そして、全てが始まる | ナノ
ある朝、僕が気まぐれに屋上へ行くと、バリトンに近い低い詠声が聞こえた。僕がいることも気付いていないらしく、ずっと詠い続けてる。イタリア語の歌みたいだから歌詞も分からない謳だけど、不快感はしないから歌が終わるまでずっと聴いてた。
そのままどれ程の時間が過ぎただろうか、ふと謳が止んだ。ほんの少しの余韻を残し、静寂が訪れる。微かに残る余韻を沈み込んだ意識の中で聴いていると、己を呼ぶ声に反応して思考回路が動き始める。意識が深いところにあったせいか、焦点が合わずにぼやけていた視界が晴れると、紅い瞳が目の前にあった。


「ちょっと、近いんだけど」
「だって、呼んでも反応無かったから」
「顔が近い理由にはなってないんだけど」
「瞳孔開いてないか確認しようと思って」
「人を勝手に殺すな」


とりあえず、物凄い至近距離で喋る冴弥を引き剥がし、一息つく。瞳が紅かったからもしかしたら、と思ったのは当たっていて、普段は黒く染めている髪は紅いままだった。滅多に冴弥の紅い髪なんて見られないから、つい、じっと見てしまう。そんな僕に気付いたらしく、自分の髪をつまんで言う。


「今日は授業無いから、染めてこなかったんだ」


面倒だし、と付け加えて苦笑する。





朝目が覚め 窓からの光が部屋を照らす
闇に生きる僕には 眩しくて
思わず目を瞑った
闇に生きる僕には その光で瞳が焼けそう
その光を遮れば いつもの闇が訪れる
光の中より 闇の中
光なんていらない 僕を照らさないで
闇なんていらない 僕を隠さないで
矛盾してる 僕の願い
光が欲しい 闇を消して
闇が欲しい 光を遮って
光が欲しい 闇は寂しいから
闇が欲しい 光では生きられない
ああ どうか
僕を 何処でもないところへつれていって





「さっきの謳を日本語に訳すと、大体こんな感じ」


冴弥が詠ってたあの歌の意味を教えて、ってせがんだら、思ってたよりあっさり教えてくれた。この謳をつくった人は、この曲だけをつくって他の曲をつくろうとしなかったらしい。そのせいか、この曲もつくった人も、知っている人は少ないらしい。
でもそんなことは、僕にとってどうでもいい。


「…どうして、こんな謳を詠ってたの」


冴弥がイタリア語で詠ってたときから、ずっと気になってた。すごく澄んだ綺麗な声で、惹かれてたけど、ほんの少し違和感があった。どこか、哀しそうな、辛そうな、苦しそうな…そんな響きがあった気がしてた。歌詞も、どこか倒錯的な印象を受ける言葉ばかり並べられてる。


「…この歌は、言ってしまえば俺自身だから」


この歌は、俺自身だ。闇に生きる俺。朝目覚める度に、光が物凄く眩しく感じる。いつも朝日は直視できない。目を瞑った後に目の前に広がる闇には、いつも安心感を覚える。けれど、心の奥底で、俺は闇を恐れている。光が欲しいと望んでる。でも、俺は闇でしか生きられない。光は俺を壊す。矛盾している。自分の中で。そんな俺の心を詠ったかのような、この謳。
この謳は、俺の心そのものなんだ。
綱吉に会うまでは、光が欲しいなんて考えたことも無かった。俺には闇が在る。光に焦がれることも無かった。光を知らなかった。けれど、綱吉は俺に光を教えてくれたんだ。綱吉は俺に、ほんの少しだけど光を与えた。
それから、俺は光を渇望し始めた。決して相容れる事の無い光と、共に在りたいと思い始めたんだ。でも、光が強すぎるから共に在る事なんて無理だった。闇に居るしかない。でも光が欲しい。


「じゃあ、僕と一緒にいればいい」


僕は光と闇、どちらも持っているから。
光が強すぎるなら、闇も一緒に在る僕と共に在ればいい。


「…ありがとう、恭弥」


確かに、お前の隣は心地いいよ。

















(光と闇と共に在る少年)
(その隣に俺)