そして、全てが始まる | ナノ
極東の島国でいう、丑三つ時。ちかちかと明滅する街灯は、本来の役目を果たすことなく立ち尽くしている。闇に包まれている地上を照らすのは、月明かりだけだった。そんな青白い月光すらも届かぬ路地裏を、一人の少年が駆けていた。
紅い髪に紅い瞳。身に纏った漆黒の布すらも紅く染まっている。手には銀色に鈍く光る刃が、腰には黒い弾を吐き出す塊が吊られていた。年は10を過ぎたくらいだろうか。紅く染められた少年は、黒を身につけた男達に追われていた。
その男達は、少年が腰に吊っているものとよく似たものを手にしていた。それらから黒い弾が、少年に向かって吐き出される。しかし、その黒い弾は少年に届くことはなく、路地を区切る壁に吸い込まれていく。


「くそっ!あんなガキ一人に!」


ふいに、黒服の一人が舌打ちと共に苛立ちを吐き出した。それでもなお、その男を含めた彼らの苛立ちは治まらない。
四時間程前、彼らは与えられた任務を遂行し、達成感に満ちていた。任務成功を祝って酒盛りをして、うとうとしていたところを襲撃されたのだ。四十人はいたであろう仲間も、今は十三人しか残っていない。あの少年に屠られたのだ。あの年でマフィアに手を出すだけはある、ということだろう。油断したこともあるが、それだけで簡単にやられるはずはない。少なくとも、あの少年は傷を負っているはずだ。姿を確認できていないのにこうして追えているのは、血がぽつぽつと垂れているからだ。
先頭を走っていた仲間が止まった。どうやら行き止まりらしい。仲間の影から見える少年は、やはり幼い。足元には血溜りができていた。思ったより出血量が多いようだ。こうして見ていると、少年に手を出すのが躊躇われてしまう。おそらくは仲間もそう感じているのだろう。こうして追い詰めたというのに、お互いに立ち尽くしているだけだ。
俯いていた少年の前髪の隙間から、その紅い瞳が見えた。暗く冷たい、闇を映したような瞳。


「チェックメイトだ」


瞬間、目の前が紅く染まった。自分の前に立っていた四人の倒れる様が、スローモーションに見えた。
雨のように重力に従って降る血を、少年は避けようともせずにその身に浴びる。背に描かれた十字架を見たとき、全てを悟った。


「――《赤の堕天使(ロッソアンジェロカドゥート)》」


少年に向けられて吐き出される弾は、全て少年が手にしている銀色で弾かれる。接近戦に持ち込もうとすれば、その小さな体を生かした俊敏性で捕らえられずに、喉笛を掻き切られた。今思えば、少年の足元にあった血溜りは、全て返り血だったのだろう。それだけの血を浴びてきたのだ。
気付けば、立っているのは自分一人だけだった。他の仲間は全員血溜りの中に倒れていた。少年の握っている血に塗れた銀色から、ぽたり、ぽたり、と紅い雫が滴り落ちた。腰に吊っている銃を、やはり血塗れの手で抜く。その銃口を突き付けられているのに、体は動かなかった。まるで金縛りのように、呼吸すらも儘ならない。


「さよなら、お兄さん」


一発の銃声が轟いた。彼が最後に見たのは、どこまでも暗い、紅いのに闇色の瞳だった。心臓に鉛を埋め込まれたその男は、ゆっくりと背中から地面に倒れ込んだ。彼が起き上がることは、二度とない。
わずか十分足らずで出来上がった、血溜りに転がる屍。それを、少年は眺めていた。
無感情に、無感動に、ただただそれを視界に入れていた。少年の瞳に映るのは、混じり気の無い虚無の闇。
やがて、少年はナイフを軽く払って血を落とし、懐に仕舞い込む。吊っているホルスターに銃を収めた。目に入りそうな血をぐしぐしと拭っていると、背後に小さな気配を感じた。此処に辿り着いたときからずっと感じていたその気配の主を、少年は知っている。


「ちゃおっス」
「…なに、リボーン」


リボーン――黄色のおしゃぶりを持つアルコバレーノは、全身を血で染めた少年に、その場にそぐわない挨拶をしてみせた。ちら、と目線だけを送り、感情の籠らない声で返事を返す。そんな少年のすぐそばに、リボーンはすたっ、と降り立つ。いつもなら、少年はそこで己の肩に抱き上げているのだが、今はどこもかしこも血塗れなので触れることはしなかった。
感情などほとんど持ち合わせていない少年だが、無自覚とはいえ少年が優しいことをリボーンは知っていた。


「帰るぞ、リヴァル」


リヴァル――《赤の堕天使(ロッソアンジェロカドゥート)》と呼ばれていた少年は、三年ほど前に自分を拾ったボンゴレのアジトに、リボーンと共に帰還した。
血塗れだったリヴァルは、いつものように自室のシャワールームへ直行して血を洗い流す。紅い血を流しても、自らの紅い髪は変わらず紅いままだ。けれど、最初は嫌いだったこの紅も、ボンゴレに来てからは少しは好きになれたようだ。
黒のTシャツと短パンに着替えたリヴァルは、頭にかけたタオルで髪をがしがしと拭きつつベッドに座り込む。どんなに恐ろしく強かろうが、どんなに感情に乏しかろうが、結局は10歳の子供に過ぎない。疲れたところにシャワーで温まったせいか、気づけば目はしょぼしょぼとしていて、今にも眠り込んでしまいそうだ。
そんなところに入ってきたのは、門外顧問である沢田家光だった。彼は所謂リヴァルの世話係のようなものをしている。家光にとっては、息子がもう一人出来たような心境だろう。いつものようにベッドに腰掛けるリヴァルの後ろに座り、頭に乗せられたままのタオルで髪を拭いてやる。
これもまた、リヴァルが血塗れで帰ってきたときのいつもの流れだった。


「ねえ、家光」
「どうした?リヴァル」


ふいに、自分の髪を優しく拭く男に、リヴァルが珍しく自分から話しかける。
外に出るときは必ず腰に吊っている銃と、いつも懐に忍ばせているナイフを見やり、呟く。


「おれ、初めて殺す相手に『さよなら』って言ったよ」













屍と歌う鎮魂歌



(それは別れの言葉)
(死に逝く者達への追悼の謳)