そして、全てが始まる | ナノ
ざああ、と喧しいくらいの雨音がしていた。肌に当たるソレは、痛いほどではないが煩わしい。日本とは違って基本的にからっとした天気で過ごせるイタリアでは、夏間近の雨といってもじめじめした感覚はない。
単純に、雨に打たれている容姿の整った青年、とくれば見栄えが良いが、その青年の手には銃が握られている。そして、青年の足元にはとうに冷たくなったヒトだったモノが、重なり合って倒れていた。折り重なるその塊も、つい先程までは血溜りにあったのだろう。だが、突然の雨がその血溜りを洗い流してしまったようだ。


「Addio」


ぽつり、と青年が呟いた。少し低めのバリトンの声。騒々しい雨音の中、その声は何故か響いたように思えた。降り続く雨が、青年の浴びた血も洗い流していく。血の紅から現れたのは、同じようで違う鮮やかな紅だった。
しばらくすると、青年の下に彼と同じような服装をした男達が数名やってきた。青年は彼らに何かを指示すると、彼らは足元に転がっていた塊を片付け始めた。どうやら事後処理班らしい。後処理を彼らに任せ、青年はその場を立ち去った。明確な目的地があるわけでもないらしく、ふらふらと気まぐれに歩を進める。
ぴたり、と、ある路地で青年は歩みを止めた。雨はまだ降り続いている。


「隼人」


ぎくり、と四肢が一瞬硬直する。どくっ、と心臓が撥ねた。うまく隠し通せるとは考えていなかったが、声をかけられるとはこれっぽちも思い付かなかった。出ておいで、なんて子供扱いはしないでほしい。だが、彼から見れば自分はまだまだ子供なのだろうから、仕方がない。
雨に濡れた髪をがしがしと掻き毟りながら、とっさに隠れた物陰から出る。恐らくは、悪戯が見つかった子供みたいな顔をしているのだろう。


「すいません。…冴弥さん」
「それは何に対しての謝罪なんだ?」


かろうじて雨よけが出来る小さなひさしの下に体を押し込め、背を壁に預けて青年――冴弥はそういった。
思いもよらない冴弥の言葉に、隼人は間抜けな声を上げる。が、冴弥はそんな隼人のことなどお構い無しに、懐を探っていた。お目当てのものが見つかったらしく、引っ張り出されたそれを見れば、用意周到にもビニールに包まれた煙草の箱とライターだった。いつものようにそれに火を点け、肺いっぱいに吸い込んだ紫煙を細く長く吐き出し、隼人に視線を向ける。


「お前は何に対して謝罪したんだ?」
「え?いや、あの、それは…」
「俺の後をつけてきたことに対してか?それは間違ってる。
俺は一度も「ついてくるな」と言った覚えはない。だから、隼人がつけてきたことに対して怒るつもりは、全くない。つまり、隼人が俺に謝る理由はない」


違うか?
そういって、冴弥さんは笑った。
あの頃――五年前、俺が中二だったときと同じ顔で、笑った。


十代目と俺と山本が並中を卒業して、イタリアに来てから五年が経った。十代目が正式に『ボンゴレ十代目』を襲名してから、四年が経った。六道骸と、ヴァリアーと、そして十年後のミルフィオーレと戦って、俺は強くなったのだと自惚れていたんだ。
初めて冴弥さんと任務に――殺しの任務に出てみて、痛感した。
マフィアってのはそういうもんだ、と。解っていたはずなのに、俺は躊躇した。命を奪うことの重さを、今更ながらに実感した。そして恐怖した。躊躇うことなく敵を屠る彼に。淡々と命を狩る彼に。降り注ぐ血の雨を、避けることなくその身に受ける彼に。
けれど、彼は言った。「恐れる」ということを忘れてはいけないのだと、哀しげに笑っていた。奪った命の重みを忘れてしまえば、いつか大切なものも守れずに掌から零れ落ちてしまう、と。哀しそうに笑ってそう言った。
ふう、と溜息と共に吐き出された紫煙を、なんとなくぼうっと見上げた。それは雨に阻害され、空に立ち上ることなく掻き消える。冴弥さんの言葉の後、返す言葉が思い付かずに黙り込んでいたら、冴弥さんも俺に話しかけることはなかった。しばらく心地良いような、気まずいような、なんともいえない雰囲気が漂う。でも、俺はこの沈黙は嫌じゃなかった。
いつの間にか、冴弥さんの足元には吸殻が三本ほど落ちていた。それだけの時間が過ぎていたみたいだ。


「隼人」
「何ですか?冴弥さん」
「陰から俺を見てたとき、…その、何か気付かなかったか?」
「え?いや、特には何もありませんでしたけど…。どうかしたんですか?」
「いや、気付かなかったんならいいや」
「そう、ですか…?」


気付かなかったなら、それでいいさ。
あの時、つい十一年前のことを思い出した。だから、地に伏した奴らに「Addio」なんて言ったんだ。何だか感傷的になって、とうに乾ききったと思っていたモノが込み上げてきた。
あの後すぐに降ってきた雨に紛れて、傍目には判らなかっただろうが、隼人はそれよりも前からいたからな。21にもなって泣くなんて、恥ずかしすぎる。
吸っていた煙草を足元にぽとりと落として踏み潰す。火が消えたのをちらりと確認してから、未だ降り続く雨の中に一歩踏み出す。


「帰るぞ、隼人」













濡れた髪の鬱陶しさに



(前髪をぐい、と掻き上げた)
(降り注ぐソレは、血に穢れた俺を清める)