「リョータ、そんなとこで寝ると風邪ひくよ。…あれ?猫は保険きかないけど犬はきくんだっけ?」

「酷いっス!」


彼女は俺の飼い主だ。そのまま言葉を受け取ると凄く勘違いされるから、何故こうなったかの経緯を説明したいと思う。

あれは俺が仕事がうまくいかない日が続き、むしゃくしゃしていた日だ。行儀が悪いとは思いつつ地面にしゃがみこんで、気付いたら眠ってしまっていた。それが彼女の家の前だった。彼女は俺を見て、家出少年と思ったらしい。今日冷え込むからそのままそこにいて死なれたりでもしたら迷惑だからあがりなよ、と淡々と言った。正直、泊める代わりに何か見返りを求められると思った。一応、俺は芸能人というものだし。しかし、それはなかった。数日経った時にただ一言、帰りたくないならいてもいいけどペットとして扱うから、とだけ言われた。そして彼女との生活が続いている。だから俺は彼女の名前を知らない。ペットだから知る必要ないでしょ、と言われたきり教えてもらっていない。


「冗談よ、冗談。ほら、」


ふわりとかけられたブランケットはモコモコしていて手触りがよかった。その感触を楽しんでいると彼女は、君は本当に犬みたいだね、と笑った。


「俺みたいに家出少年を家に泊めたことあるんスか?」

「ないよ。だいたい家出少年があたしの家の前に現れたこともないし」

「じゃあ何で見知らぬ俺は泊めてくれたんスか?」

「なんかね、君を見てたら捨てられた子犬みたいで可哀想だったのよ」

「…どこまでも俺はペットなんスね」


彼女また笑った。彼女は一応俺がモデルの黄瀬涼太だということは知っている、というか後から俺が言ってわかったという感じだが。若い子は皆同じに見えるそうだ。それでも最初の断言通り、ここにいる俺はペットとして扱われてる。ペットと言っても別に首輪を付けられてるわけではない。彼女が作った料理を食べる。他愛のない会話をする。たまに頭をわしゃわしゃと撫でられたりする。そんな感じだ。彼女が何を考えて俺をこの家に置いてくれているかはわからないが、まだ仕事をする気にもならないし、家にも帰れないわけだし、俺にとっては都合がよかった。








「今日は随分遅いっスね…」


彼女はたまに仕事の帰りが遅い。でも今日はもう日付が変わっている。これじゃ帰ってきても食べないで寝ちゃうんだろうな。彼女の分の食事を冷蔵庫へとしまおうとするとガチャガチャと玄関から鍵が開く音がした。


「ただいま〜」

「おかえりな、って酒臭いっス!」

「大人にはね、飲みたい時もあるのよ」


俺に捕まってハイヒールを脱ぐ、というか脱ぎ捨てた。あーあ、ヒールが傷つくっスよ。俺は靴を片付けて玄関の鍵を閉める。リビングに戻るとミネラルウォーターを一気飲みする彼女の姿が見えた。


「リョータ、おいでおいで」


犬を呼ぶみたいに手招きされた。そしてそれに応じる俺はもう完全にペットと化している。ぐしゃぐしゃと乱暴に頭を撫でられ、そのまま抱き締められた。撫でられたりするのはあるが、抱き締められたのは初めてで驚いた。彼女の香りといつもはしない酒の臭いが混ざって鼻に入ってくる。


「ちょちょ、大丈夫っスか!?」

「ん〜?大丈夫大丈夫〜」


ていうか俺が大丈夫じゃないんスけど…!この人痩せてるのに結構、むむむ、胸が、胸が、顔にあたるんスけど…!


「リョータは言うこと聞いてイイ子だね〜」

「そ、そりゃ、ペットなんで」

「あいつも言うこと聞いて、黙って家で待ってればなぁ」

「あいつ?」

「そうしたらあんなことになんなかったのになぁ」

「あの、話がわかんないんスけど」

「…今、顔上げたら、明日の、ご飯、作らない、から」


鼻を啜る音が聞こえた。泣いている、すぐわかった。力ずくで腕の中から抜け出すことなんて簡単だった。でも、できなかった。彼女が耐えていたからだ。俺に泣き顔を見せまいと、必死になって耐えている。だから彼女が落ち着くまで待つことにした。








「…あの、目冷やした方がいいっスよ?」


濡らしたタオルを渡すと彼女は無言で受け取ったがそれを目元に持ってはいかず手の平で握り締めたままだった。その力は強いらしく、ぽたりとタオルから水が落ちた。かける言葉が見つからない。俺は突っ立ったまま動けないでいた。


「…リョータ」


ぽんぽん、とソファーの空いているスペースを叩く。おいで、の合図だ。俺は少しほっとして、彼女の隣に腰を下ろした。


「昔話を、しようか。あたしにはね、婚約者がいた。この家はその人と一緒に住むための家」

「…一人で住むには大きいと思ってたんスよ」

「雨が強い日でね、帰り道にスリップした車と歩行者の事故があったの。人混みの間からちらっとみたらね、あたしの婚約者がね、血まみれになって倒れてたの」

「……」

「駅まで迎えに来てくれようとしてたみたい。開いてない傘が一本、転がっていたから」


彼女は握っていたタオルを置いて、スマートフォンをなぞり、一枚の写真を見せてくれた。


「……俺に、そっくりっスね」

「そうでしょ?だからね、リョータがあたしの前に現れた時、夢見てると思ったの。あいつが、あいつが、帰ってきた、戻ってきたって。そんなこと、そんなことあるわけないのに、」


彼女がしていた話がようやく理解できた。俺をペットとしてこの家に置くのも、名前を教えてくれない理由もわかった。必要以上に近い存在になればまた失った時の痛みが伴ってしまうから。だからペットというルールを最初に決めたのだ。


「リョータ、」

「はい」

「まだ家に帰らないなら、もう少しだけこの家にいて」

「…当たり前っスよ。俺はあなたのペットなんスから!」


それでも、俺に昔話をしてくれたのは少しは彼女に近い存在になれたからなのだろうか。そんなことを考えながら、俺は隣に座る彼女に精一杯明るく笑いかけた。






title:たとえば僕が

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