雨の中、街の灯りを反映して僅かに明るい夜空に、稲妻が一筋走った。ほんの一瞬のそれは、儚いほどに綺麗で、下界の全てを照して、瞬きをする間に消えてしまう。
 わたしは黙したまま辺りを見渡した。
 通行人の皆は色とりどりの傘を差していた。アスファルトに溜まった水溜まりをぱしゃりと波立てていく。
 それをぼんやりと見やりつつ、片手に差した水玉模様の傘と、もう片方の手に持ったスーパーの袋に視線を移した。
 わたしが今いるのは駅前近くの商店街だ。
 雨脚が強くなったため、店の軒下に避難したのだが、それでも傘を差していなければ全身が濡れてしまうほどの雨風だ。
 それから数分。こうして雨宿りをしているが、雨の勢いは増すばかりで一向に弱まる気配を見せない。
 何度目かになる後悔を心の中でぽつりと呟きながら、しかし、後悔したところで時間が戻るわけでも、雨が止むはずもない。
 わたしは曇天の空を見上げた。傘を差しているため、全てを仰ぎ見ることはできないが、視界に入る空はどんよりとした雨雲に覆われており、そして、降ることを止めない雨が地面に叩きつけられ、アスファルトに雨水が溜まっていくのが窺える。水捌けが良くないのか、追いつかないのかは分からないが、レインブーツを履いていなければ足元が悲惨なことになっていただろう。
 しかし――この雨は、いつ、止むのだろうか。
 そんなことを考えながら、夕飯のことに思考を移すと、脳裏にちらりと従弟の姿が過った。

「…………」

 そもそも、この雨の中、商店街に赴いたのは従弟――黄瀬涼太――にハンバーグが食べたいと言われたからだ。
 今日の昼頃に何気なく涼太とメールを交わしていたらそういった話になり、夕飯はハンバーグにすると約束してしまった。雨が酷いから商店街に行けなかったと理由をつけることも、家にある食材で夕飯を作ることもできたのだが、それらを実行することがどうしてもできなくて、部活をがんばっている涼太に喜んでほしくて、涼太の笑顔が見たくて、だから、雨が弱まった頃合いに商店街に来たのだ。けれども、材料を買い揃えて直ぐに雨足が酷くなり、結局、ここで立ち往生なわけで。このままここに立ち尽くしているわけにもいかないのだが、わたしの心情とは逆に雨は勢いを増す一方だった。
 わたしは深い溜め息をつきながら、スーパーの袋に目を向けた。
 不意に涼太のことが頭の中に浮かび上がる。
 今現在の正確な時間帯は分からないが、おそらくは夕方近くだろう。いつもなら、家にいて夕飯を作っている頃だ。
 涼太はどうしているだろうか。今日は早く帰ると言っていたからもう家に帰っているだろうか。涼太が帰るまでに夕飯を作りたかったが、この雨では仕方ない。
 早く止めばいいのに、と小さく洩らし、傘の手元をきゅっと握る。露先からぽつぽつと滴る雨をぼんやりと見つめながら、数えきれないほどの溜め息をついた時、ざあざあと鼓膜を震わせる雨音と共に、聞き慣れた声が耳に入ってきた。
 わたしは一瞬、息を止めた。
 こんなことろに涼太がいるわけがないのにと思いつつ、声のした方を何気なく見やると、数メートル先に思い描いていた人物が視界に飛び込んできた。

「……涼太……」

 そこには毎日嫌と言うほど目にしている従弟がいた。
 コンビニで買ったであろうビニール傘を差し、海常高校の制服を身に纏っている。だが、手元には鞄らしきものが見当たらない。
 わたしの頭の中に、もしかして、家に帰った後、ここまで来てくれたのだろうか。そんな考えが浮かぶ。もしかしたら、心配してくれたのかもしれない。再度、そう考えて、それがすごく嬉しくて、思わず笑みを洩らしてしまう。
 そうして思考を巡らせている間に、涼太は、わたしの隣に来ていた。

「……ここにいたんスね」

 その言葉にわたしは涼太に視線を送る。

「探してくれたの?」
「いつもなら家にいるのにいなかったから……きっと、商店街にいるだろうと思って…。ちょっと心配になったんスよ」
「うん。ごめんね……雨が酷くて、帰れそうになかったんだよね」

 わたしがへらりと笑いながら言うと、涼太は小さく苦笑した。

「オレがハンバーグ食べたいって言い出したせいっスよね…」

 気落ちした声にわたしは瞬きを数回繰り返し、直ぐにそれを否定した。

「あ、えっと……違うからね! 全然涼太のせいじゃないから! ハンバーグの材料買いに来なかったとしても、夕飯の材料は買いに来るつもりだったわけだし…」
「でも…」
「ううん。本当に気にしないでよ。気にされたら困る」
「…………」
「あの……涼太?」
「………オレは気にするっスよ」
「え、」
「夕飯の材料は買いに来るつもりだったって言ってたけど、買いに来なくても簡単な夕飯くらい作れる材料があることくらい知ってる」
「それ、は……」

 わたしは言い淀んでしまった。これでは否定することは難しい。

「確かに、涼太の言う通りだけど、わたしもハンバーグ食べたかったの! 嘘じゃないからね! それに…毎日部活をがんばってる涼太に少しでも美味しいって思って貰えるものが作りたかったし……。だから、気にしないで」
「…………」
「あー……どうしても気になるなら荷物持ってよ。で、ごはん作るの遅くなるから我慢して」
「……分かったっス……」

 言って、涼太はわたしの手からスーパーの袋を手に取った。その瞬間、わたしたちのやりとりに呼応するかのように、雨の勢いが少しずつ治まりを見せ始めた。
 わたしは目を見張った。

「あんなに降ってたのに…」
「日頃の行いってやつじゃないっスか?」

 涼太の言葉にわたしは思わず笑ってしまった。

「あはは。自分で言うんだ?」
「な……っ、べ、別に笑わなくても…」
「ごめんごめん。涼太らしいなあと思って」

 そう言って、わたしは店の軒下から出た。これなら帰れそうだと思いながら、続けて言葉を紡ぐ。

「きっと、部活をがんばったご褒美に神様が雨を弱めてくれたんだよ」
「っ……神様って…」
「え?」
「よくそんな恥ずかしいこと平気で言えるっスね」
「えー、そうかなー」
「そうスよ」
「別に恥ずかしいことじゃないと思うんだけどなあ」
「……自覚がないって怖いっスよね。オレ意外の前ではそんな無防備にならないでほしいんスけど」
「え、何? よく聞こえなかったんだけど」
「聞こえないように言ったんスよ」
「ちょ、涼太!」
「ほら、早く帰らないとまた降ってくるっスよ」
「あ……う、うん」

 言い包められたような気がしたけれど、早く帰ってごはんを作らなくてはいけないため、わたしは一端、言葉を区切り、頷いた。
 歩き始めてしまった涼太の隣に並び、傘の端から涼太を覗き見る。
 涼太と同居を始めたのは、ほんの一年前からで、涼太の両親の海外転勤が決まって直ぐだった。それから、涼太を弟のように思いながら接してきたのだが、最近になり涼太を“男”として意識するようになったのだ。何がきっかけだったかは分からないが、いつの間にか気になる存在になっていた。
 今はまだ、打ち明けたり、告白したり、といったことは考えていない。今ある関係を保ち続けていたい。わたしの言葉ひとつで変わってしまうそれを壊したくないのだ。
 だから、もうしばらく、こうして姉弟のように戯れていたい。
 単に、臆病なだけかもしれないけれど、涼太との時間は本当に大切なもので、無くしたくないものなのだ。
 わたしは、落ち着かない心を叱咤しながら、そっと息を顰め、涼太から視線を外した。そして、外した先にどんよりと蠢く曇天が目に映る。

「…………」

 まるで、自分の心を表しているようだと自嘲し、言い得て妙だとぽつりと零す。
 いつか、胸の内に燻るこの感情を告白する時は来るだろうか。そんなことをふと考えながら、その思考を追いやるように、アスファルトに溜まった雨水をぱしゃりと蹴った。




手を伸ばせば届く距離、伸ばさないと届かない距離
title by 夜途


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