優しく私を揺り起こしたのは、狭いアパートメントに柔らかく差し入る太陽の光だろうか、それとも、隣の部屋からうっすらと響いてくる電話のコールだろうか。まだ二人の体温で温かい布団の中で余韻を味わっていると、向き合って寝ていた大輝がうっすらと瞼を開けた。「おはよ」と私が言うと、それには答えずに不機嫌そうな呻きを洩らすと私を掻き抱き、すぅと息をついてまた目を瞑ってしまう。
 私と大輝は、もう一枚を買うのが面倒くさいと、馬鹿な理由をこじつけて二人で一緒の布団を使っている。だから、どうしてもどちらかの足がはみ出て寒い思いをするのだが、不思議なことに寝癖の悪い大輝に弾かれてしまいそうな私の方がきちんと布団の中に収まっているのだ。窮屈だ、と訴えるかのような大輝の背中と片足が、底冷えした部屋の空気にさらされていて少し可哀想である。言葉にしない大輝の優しさに悪戯心がうずうずして、「寒い」と私が足を彼に絡めれば、「んなわけねーだろ。俺の方が寒い」と目を閉じたまま怒られた。
 まだ、隣の部屋で電話が鳴り続けている。ぼんやりとした頭の中で響いていたそれは、どんどんと喧しさを増してきた。残っていた心地良い眠気もとうに飛ばされてしまっている。大輝が眉をひそめながら目を開く。お互いに見つめあって、あの煩い電話によって私たちにはもう眠気など微塵も残っていないことを確認した。

「……出てこいよ」
「やだ。大輝が」
「だるぃ。なぁ、頼むわ」
「……ちょっと朝っぱらから絡んでこないでったら!ああ、もう、しょうがないな」

 私の機嫌を取ることに関しては熟知している大輝が、頬へ額へ唇を押しつけてくるものだから、私は彼から逃れるようにして布団から這いずり出た。テーブルには昨日二人で飲んだお酒の空き缶が節操なく転がっていて、床には脱いだ衣服が散乱している。赤司くんが見たら説教でも始まりそうな光景だ。そもそも、このアパートメントには私と大輝の私物がごちゃ混ぜになっていて、最初からカオスそのものなのだ。床の上に見覚えのない雑誌があったのでひっくり返してみるとグラビア雑誌だった。腹立つなぁ。力まかせに大輝に投げつけてやったものの、いとも簡単にキャッチされてしまう。
 冷えた朝だというのに、上半身をはだけたままの大輝は、のっそりと起き上がってベランダの戸を薄く開いた。どことなく枯れ葉の匂いのする秋風が、首筋を撫でて絡みつく。「何か着れば?」と呟くと、「お前が着てるだろ」と大輝は言う。ああ、そういえば、大輝のTシャツは私が着ているのだった。苦笑いしながら受話器を取ると、可愛らしい声が受話器越しに喚き散らした。

『ちょっと、大ちゃん!いい加減にしてよ!飛行機に間に合わなくなるよ!』
「あ、さつき?おはよ」
『もー!大ちゃん、起きてる?急かしてくれない?ほら、飛行機!』
「えっ」
『二人して何寝ぼけてるの!今日、大ちゃんはアメリカ行きだってば!』
「……ちょっと!大輝!」
「……あ、やべ」

 アホ!と私が怒鳴ると同時に、大輝が「お前も会社じゃねーか!」と怒鳴り返した。あ、そうだった。何とも言えない気まずい雰囲気で視線を交わすと、私たちは大急ぎで身支度に取りかかる。空き缶を蹴散らして大輝が服を捜索し、私はシャワーへと飛び込んだ。そうか、しばらく会えないんだな。そう実感したのはシャワーの音が鼓膜を支配してからのことだった。ざぁざぁとさびしさだけを呼ぶ雨音に似たシャワーの音に、肺に息苦しさを覚えるようで、私にしては乱暴に蛇口を捻った。
 シャワーから出て着替えたところで、意外と早く支度を終えた大輝がヘアアイロンのスイッチを入れて待っていた。

「ほら、やってやるよ。一人じゃ後ろできねぇんだろ」
「ありがとう。……大輝がいない間はどうすればいいの」
「俺が帰ってくるまで待ってればいい」
「……会社に遅刻する。クビにされちゃうでしょ」
「その時は素直に養われろよ」
「……ん」

 二人してトーストを咥えてアパートメントを出た。大輝が鍵を掛けるのを見て、いつも何かしら忘れ物をしていくくせに鍵だけは忘れないよね、とそんな柔らかくて温かい事実。手を繋いで駅前まで歩いて、そこで「じゃあな」と大輝が私の手の中からすり抜けていった。あまりにも名残惜しくて、ちゃんと顔を向けて見送ることができなかった。あーあ、と後悔に塗れていると「ちゃんと俺の試合録画して見ろよ!」と人込みをかき分けて大輝の声が私に向けられる。ばーか、と呟いて下を向いたまま笑った。いつも履いている無愛想な黒いパンプスが、今日は少しだけ可愛らしく目に映る。
 大輝がアメリカに行ってしまうのはさびしい。でも、大輝がアメリカに行ったって、どんな遠くに行ったって、彼のポケットには私と同じ鍵が入っているのだから。

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