その一角は、ぽっかりと穴が開いたようにあらゆる権力から見放されていた。
そこに棲んでいるのは権力から見放された難民ややくざ者の成れの果てばかりだった。
石の下に無数の虫けらが集まってきて冬を越すように、弾き出された者達がその小さな一角にわらわらと集まって暮らしていた。

そこがそうなった経緯は複雑で説明に難いし、今更誰もそんなことを問題にしたりしない。
重要なのは、その何の恩恵も期待できない空白地帯でその日をどう生きるかということだけで、新八も全くそうやって生きていた。



*



銀時が女を抱いている寝台、の縁に寄りかかって座る神楽が空に差し上げている素足、の指に、新八はマニキュアを塗ってやっていた。

新八の掌に載せた神楽の踵は小さく華奢で、銀時が女を抱いている寝台は規則的に軋んでいて、マニキュアは小瓶の中で固まりかけていて粘度が高く塗りにくかった。
ねばつくマニキュアをのせた神楽のかわいい爪は、死人のそれのように歪に凹凸した。

「騙したな。騙したな騙したな」

女は両手で顔を覆って、喘ぐ合間にそう繰り返していた。
女の繰り返しに答えない銀時は、荒れた呼吸の合間に、ひっ、と笑ってから、女の乳房を鷲掴んで一際突き上げた。女は叫び、寝台は揺れるほどに軋み、女の脹ら脛が銀時の背中に一層巻き付いて、そして女の脚が巻き付く銀時の背中を見る新八は、掌に神楽の踵を載せながら欲情していた。

「うるせえんだヨ。喚くな、クソ女」

笑うばかりの銀時の代わりに神楽がそう言い捨てた。
発言の弾みで振り上がった神楽の、死人の爪を乗せた足が、新八の手にある小瓶を撥ね飛ばして、埃の積もった床にねばつくマニキュアがこぼれた。




新八は年のわりには童顔で、ついでに口がきけなかったので、変わった物を好む人間に喜ばれた。
そういう人間のひとりである男の弛んだ胸元のくすんだ皮膚をぼんやり見上げながら、新八は銀時の染みひとつない滑らかな肌を思い出していた。それほど歳も変わらない同じ男であるのに、男と銀時を覆う皮膚には天と地ほどの差がある。泥と白磁ほども違う。
早く済ませて白磁に触りたいと新八は思った。

口をきかない新八を買う人間はみな、何を見ようが何を聞こうが何をされようが何も言わない新八をまるで幼児のように思うらしく、扱いや話しかける口調は子供か犬猫に対するそれだった。
しかし口こそきかないが新八の頭の中は人並み以上に16年を生きた人間のそれで、例えばこうして脚を開かれて汚い男に犯されていようと、黙した内面では人並み以上を働かせている。

男は新八の若い太股を分厚い掌で浅ましく愛でながら言った。

「明日も来れないか」

新八は答えず、男をじっと見上げた。

「明日は、お前のとこの兄貴も連れて来い。…お前ら二人を一緒に買ってやると言ってるんだよ」

やはり答えない新八は顔色ひとつ変えず、言われた言葉の悪趣味さすら理解していないかのような風で、それで、男はより喜んでいた。




婆さんの足は、赤ん坊のそれのように小さい。新八の片手の上に両足を揃えてもまだ余るほどに小さかった。
その小さな足を、婆さんは刺繍と石で飾られた美しい布靴に包んで、よちよちと歩いた。
走ることは出来ないという。

「金はいつ払う気だい」

婆さんは、みすぼらしい寝台にゆったりと横臥して煙草を吹かす銀時に言った。
この部屋は婆さんの持ち物であるから、銀時はこの部屋に寝起きする限り婆さんに金を払わなくてはならない。
銀時は、若干ろれつの怪しい口調で婆さんに答えた。銀時が吸う煙草には阿片が少しばかり含まれている。

「あんたが死ぬ前日に払ってやる」

返答を聞いた婆さんは床に唾を吐き、銀時を『この大足が、くたばっちまいな』と罵倒した。

小さな足を愛でるのは昔の風習だ。
女の小さな足は美しい顔や豊かな乳房よりずっと価値があったらしい。逆に大きな足であることは、それだけで恥だった。
但しそれは女に限った事で、だから男である銀時が何故『大足』と罵られるのか、新八にはわからなかった。

小さな足を作るには、幼女の頃に足の先の骨を砕いて、その上の肉を削ぐ。
そうして二つに折り曲げた足を小さな美しい靴に詰めてずっと脱がない。
痛みから断念してしまう事もあったと聞く。

新八は横臥する銀時のゆったり投げ出された大足の先を見た。
明らかに女のものではない大きな両足の先には、古い、消えない傷跡が各々一筋ずつ残っている。




「私は銀ちゃんの赤ちゃんを産む」

これが神楽の口癖だったが、それは永久に叶わぬ望みであろうと思われた。若しくはその望み自体が彼女の戯れなのであろうと新八は思っている。

神楽は銀時の子供を産むと言う同じ口で、自分は銀時の娘だとも言っていた。
その二つの望みが同時に満たされる事はない。望みを叶える為にはどちらかを選び、どちらかを捨てなければならなかったが、彼女はそうする素振りを全く見せなかった。
新八は、神楽が自らの望みを言葉にする度に彼女が哀れになった。現実にならぬ戯れをしか言葉に出来ない彼女が哀れで仕方がなかった。

神楽は新八の口の動きで新八の言わんとすることを9割方察する。銀時が察するのは6割方に過ぎない。他の人間は殆ど察しない。
9割を察する神楽は新八の口の動きを見てから、

「お前だって選ばないでいる癖に」

と呟いた。
銀時が何の話だと聞いたが、神楽は聞こえないふりをしていた。




仰向けに横たわる銀時の腹の上に、家猫のように這い上がった新八の髪を銀時は、家猫にするように掌で優しく撫でた。

「なんだって?」

新八の意図を6割しか察する事のできない銀時は、小さい唇の動きを読み取れずに聞き返した。
もどかしいが新八はもう慣れてしまっている。構わずに、乗り上げた体を覆っている衣類の隙間に手を入れた。
ごわつく布の下には、冷たいほどに滑らかな、高価な白磁のような皮膚があった。これが自分の所有であると思うと、新八は堪らなく贅沢な気持ちになる。
青いように白い内股を伝って大腿の裏までを撫でると、銀時は微かに息を吐いて胸を反らし、目を細くした。手は優しく新八の髪を撫でたままだ。
その手首を新八は掴み、銀時の頭の上に押さえ付けた。大腿の裏を撫でる手に力を入れ、それを腹に付くまで押し上げ、更に開いた。

「痛って」

銀時は突然無理に開かれた脚に小さい声を上げて抗議したが、そのくせまだ自由な方の手を自ら頭の上まで持ち上げてきて、反対の手首と同じように新八の指に拘束させた。

銀時は神楽や新八を可愛がっている風な態度を見せる。
実際に、痩せた小娘と口のきけない餓鬼を匿って食わせているのだから、可愛がっている事に間違いはない。
しかしその反面で、銀時は二人を虐待している。選べない神楽を女にしてやる事もせず、かといって娘として扱う事もせず、口のきけない新八の唇を読む努力を放棄したまま、好奇心と欲情を剥き出しに体を弄らせている。

「あっ、あ。奥。すげえ」

軋む寝台の上、銀時のすぐ横には神楽が眠っている。
銀時は昨日自分が抱いていた女がその時に漏らした言葉を真似ながら、頬を眠る神楽の細い肩に刷り寄せて目を閉じていた。
新八は掴んで拘束した銀時の手を裏返し、掌を上に向けると、一番奥に突っ込んだままの体勢で彼の掌に爪で字を書いた。

あしたもこいと いわれた ぼくとあんたを いっしょにかいたいって いわれた

一文字ずつを確認しながら、その内容を理解した銀時は

「ふ、ふ」

と笑った。
銀時が笑うと、繋がっている体が直にその振動を伝えてきて心地よく、新八は音のない声を上げた。
透明な文字が書かれている掌が、新八の後ろ頭を引き寄せた。合わさった唇の奥が舌を差し出してきた。
その感触は滑らかで温かく濡れた絹のようで、新八は小さな頃に見た蓮の花を思い出した。池の上に浮かんでいた蓮の花は白く、花弁の根元に至るにつれて薄っすらと桃色に染まっていた。触れると指先がひんやりと冷たかった。
銀時の舌を口の中に入れながら、新八は、この世にこんなに清らかなものがあっていいのだろうかと考えた。

「ナメやがって」

離れた唇で銀時は、清浄な蓮の花弁のようなものを使って下種な台詞を吐いた。

「じゃあ、あいつには、溜まってる家賃を払わせてやるとするか」

ババアもうるせえしな。

昨日、銀時が騙した女を売り飛ばして作った金は、別の事に使って既にない。
今日、新八が身体を売って稼いできた金は晩飯になって各自の腹に納まってしまった。
明日の飯と寝床を確保するため、男の下劣さはいい口実になった。





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