【赤ペン先生】



小さい頃から、通信教材を取っている。プリントが送られてきて、それに解答して送り返したら赤ペンで添削されてくるやつ。
本当に小さい頃から取っていて、りんごやきりんが描かれた絵とりんごやきりんと書かれた字を線で繋ぐような、そういう問題が刷られたプリントの頃からだから、多分4歳とか5歳とかからずっと取っている。
こういうものは大抵途中で飽きてしまったり、提出期限を守れずに投げ出す事が多いと聞くけれど、僕の場合はそんな事はなかった。全くなかった。
飽きる事も投げ出す事も全くなく、りんごときりんの頃から今までのおそらくは13年くらいという長い間、通信教材を取り続けている。勿論、取る教材は年齢に合わせて人並みにレベルアップしていったけれども、切れ目なく取り続けているという事に間違いはない。




ところで、この通信教材に関して、僕は妙な空想を持っている。
13年くらいもの長い間取っていて、内容も学年が上がるごとに違っていっているその教材が、ただ一人の同じ人物によってずっと引き続き添削されているのではないかという奇妙な空想だ。
それはりんごときりんの頃あたりから持っている空想で、確かにりんごときりんの頃は物事がよくわからない年齢なので、前の教材と今の教材にまるをつけてくれている先生が違うという事実は理解しにくい。だから、りんごときりんの教材からひらがなを練習する教材に変わった時に、『りんごときりんとかけるようになたありがとお』と、前回の教材の時の適切な指導に対する謝辞をプリントの端に書いたら、姉ちゃんが『あら新ちゃん。今はきっと前と違う先生だから、りんごときりんと言われても、今の先生は何の事だかわからないと思うわよ』と言った訳がよく理解できなかった。
しかし、ある程度成長してくればそうした世の中の仕組みや事情などもわかってくるわけなので、僕の幼稚な空想は打ち破られてもよかったというかそうなるべきだったのだが、そうはならなかった。

僕の教材を添削している人は、ずっと、ずっと同じ人だ。

僕は13年間くらいそう思い続け、そして今ではもう確信に近くそう思っている。
別に、何かを確かめようとしたわけでも、通信欄で『先生』と勉強以外のメッセージを交わしたわけでもない。僕はただ、淡々と問題を解き返送して添削された部分で復習をしていたに過ぎないが、それでも何故だか確信しているのだ。
勿論、こんな事は姉ちゃんにも誰にも言っていない。当たり前だ。そんな事言ったら、姉ちゃんは僕がびょうきになったと思って泣くに決まっているからだ。

だからこれは、誰にも話すべきではない、話す必要のない、僕だけの妄想だ。
僕だけの、正気を保った妄想なのだ。




靴箱の上に、紙袋が置いてある。
僕は内心が喜びに浮つくのを隠して、極めてなんでもないふうにそれを取り上げた。先週分の添削が返ってきた。殆ど物心ついた頃から切れ目なく続く『先生』との交流、問題とその答えだけのやり取りでしかないけれど、それだけに僕の人生に当たり前に寄り添って離れないそれが、また今週も返ってきた。
素直な気持ちを言えば頬擦りしたい。でもしない。姉ちゃんが近くにいるからだ。

「新ちゃん、添削きてたわよ。晩ご飯の前にやってしまいなさい」

「あとで」

馬鹿な。日のあるうちから開けるなんて事ができるものか。
そんな恥ずかしい真似ができるものか。

小さい頃からずっとやっている通信教材。
それを添削している人はずっと同じ人だという確信。ていうか妄想。
その妄想を13年間あたためる内に、僕はその『先生』に並々ならぬ感情を抱くに至った。
顔かたちはもとより、男だか女だか年寄りだか若いかもわからない、しかも僕の妄想であるその人。その人に、僕は、完全に並々ならぬ感情を抱いてしまっているのだった。




夜、お風呂から上がって自室にこもり、隣室でごそごそしてた姉ちゃんの気配が既に消えているのを注意深く確認してから、電気スタンドだけの光の下で返送されてきたそれを開封した。
毎度のことながら胸のドキドキが止められない。僕はびょうきだ。びょうきの僕は何枚かのプリントを封筒から出した。
味も素っ気もない、印刷された問題文の羅列。その行間に記入された僕のシャーペンの筆跡。そしてその上に重なる、くっきりと赤い、細くも太くもないペンの、まるやぺけや、正答を記した文字。
僕は机の上に何枚かのプリントを重ならないよう広げて、『先生』の添削の赤い痕跡を見下ろした。
このくっきりと赤い、細くも太くもないペンの筆跡。ちょっと角が張ってはいるけど、あくまでもお手本どおりのような無個性な文字。

これは、本当に妄想なんだろうか。
僕は最近そんなふうに思う。
何故なら、この赤いペンの色や太さや、それが描く文字は、昔から全く変わっていない、ずっと同じものであるような気がするからだ。

『2つの名詞(句)がA,Bのようにコンマにより並列され,間に接続詞(andやor)がない時,AとBは同格だと考える.「BというA」の意味ととらえるとわかりやすい.』

ああ、今回もいつもどおりに機械的な、全く人間味を感じさせない添削。
でも、僕は13年かけて、その無味乾燥な中にたまらなく有機的な人間臭い息遣いを見つける事に成功しているのだ。

『ナ変は活用語尾がナ行の音をもとにして変則的な変化をするが、この活用をするのは「死ぬ」「往ぬ(去ぬ)」二語のみ。』

ぬ、という字。ひらがなの、ぬ。
この赤ペンが書く、ぬ、という字は、なんというか、そう、いやらしいのだ。
字がいやらしいとか自分でもわけわからないと思うが、幼児の頃からこの字を見詰めてきた僕には、このぬが他の人が書くぬと違うという事がわかる。
カーブの感じなのか、最後にぶたのしっぽみたいにくるってなってる感じなのか、具体的にどこがどうとは説明しにくいが、とにかくこのぬはいやらしい。
有機的な人間の息遣いを感じる。すごく感じる。
本当はいないんだとわかっている、でももしかしたらいるのかもしれない、たった一人の、僕が幼児の頃から僕のプリントに赤ペンで添削し続けてきた、その人を感じる。

「…あ、」

僕は『ああやばい、やばいな、超やばい』と、いつも思う事を思いながらしかし、殆ど条件反射のようになっている欲望を抑えきれず、プリントを広げた机を前に、椅子に座ったままパジャマのズボンの中に手を入れた。

マジで僕はびょうきだ。
でも、これはあくまでも妄想だってわかってやってる事だから、それほどびょうきではないはずだ。
逆に、この湧き上ってやまない妄想を押さえ込むことで本格的にどうかなってしまうよりは、あの、ほらこうやって、あ、小出しにしてた方が、あぅ、いいんじゃないかって、ぁ、あ、だめだ、だめ。
僕の身動きで机がカタカタいって、あんまりカタカタいわすと姉ちゃんに聞こえると思うけれども、もう別に見つかってもいいとも思っていて、僕は、僕は。

あっという間に本格的にやばくなった僕は座ったまま前のめりに倒れ、机の上に広げたプリントの上に頬っぺを乗せる形になった。
近視の目にも近すぎて焦点が合わない赤いペンの添削。
その中にある魅惑の、ぬ。
その、ぬ、が、「死ぬ」「往ぬ(去ぬ)」と書かれた部分の三つのぬが、僕が書いたシャーペンの解答の上、非常に微妙に、僅かコンマ2ミリくらいだけ重なって書かれている。

「あ!…あ、ぁあっ!」

僕は、姉ちゃんに聞こえない程度に押し殺した声を開きっ放しの口から漏らして、ぬ、っていう字を見ながら、見たこともない、いるのかもわからないその人の息遣いを感じながらいった。

…別に、罪悪感とか自分に対する嫌悪感とかはない。
だって、僕がこういう事を覚えてからの相手は全部この赤ペンの添削だったし、そもそも僕がこういう事を覚えた切欠も、この赤ペンの添削を見ていてそういう感じになったからであって、だから罪悪感とか嫌悪感とかが入り込んでくる隙間はなかったのだ。
やばいなあ、とは思うけれども。
でも別に、これは僕の妄想なんだし、妄想だってわかってやってる事だし、それほどにはやばくない。
やばくないんだ。
僕は、いったままの体勢で、目との距離が近すぎるのと目が潤んでいるのとで見にくい、プリントの上を走っている赤ペンの細くも太くもない、角が少し張った筆跡を見詰めた。

これは妄想なんだと思う。
思うけれども、この字やこの字を書くペンは、ずっと同じものであるような気がして仕方がない。
この、ぬ、を見ていると、この字の向こうに、本当にたった一人の、確かに存在する人がいるような気がして、それで僕は何故だか泣けてきてしまい、整わない息で洟を啜り上げたら軽く噎せた。
机の下にあった手を上げて、それが汚れている事に気付いたので、肘を使って広がっているプリントを脇に寄せる。プリントはかさかさ音を立てて、机の隅に追いやられた。

切ないんだか馬鹿馬鹿しいんだか、よくわからない状況だった。
来年の今頃にはこの赤ペンの添削ともお別れだ。上手くいけば、僕はその頃最後の学校に進んでいて、そうすると自動的に通信教材の必要はなくなっている。
僕だけの、正気を保った妄想との付き合いは、間違いなく来年で終わる。

「落っこっちゃおうかな…」

と、呟いてみた。

けれどもしかし、これだけ添削を熱心に見詰める生徒は、多分受験に失敗したりしないんだ。





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