★小話『おくさま』

朝、通学路を歩いていたら、坂の向こうから犬の散歩の人が来た。
真っ白い犬を連れたその人は、真っ白いワンピースを着た30歳前後の背の高い女の人だった。女の人は、すれた感じの全くしない品のいい感じでしゃなりしゃなりと歩いていて、この先にある一軒一軒の敷地が300坪くらいある高級住宅地の奥様かなにかだと思われた。
きっとこの人は、犬の散歩が終われば白いバラがたくさん咲いたイングリッシュガーデンみたいな広い庭に水をまき、ハーブを少し摘んでハーブティーを淹れるのだ。そしてお昼にはレクサスなどに乗り、街の伊勢丹の地下で神戸牛や有機野菜やワインなど、そのへんのマルエーで売ってるやつの3〜5倍くらいの値段の食料品を買い、イングリッシュガーデンをのぞむ明るいキッチンで聞いたことないような名前の料理を作るのだろう。そして一部上場企業の幹部候補みたいなエリートだけど穏やかで優しいご主人と食事をし、ショパンなどを聞きながら夜を過ごすのだ。
夢のような別世界に住む人なのだ。きっと。
新八はぼーっと口を開けて、立ち止まって見とれた。
この人と比べたら、うちの姉や同級生の神楽など山猿と同じだ。
そうする内にだいぶ近づいてきた奥様は、思っていたより背が高く、体つきもほっそりとはしていなかった。
しかしヘレンカミンスキーのラフィアの帽子から下半分だけ覗いた顔は生まれてから一度も日焼けしたことがないように白く、唇は健康的な赤い色をしていて、とても美しかった。
きっと下々とは違う良い生活をしているから、そのへんの女みたいにガリガリじゃないのだ。



新八は翌日、同じ場所で犬の散歩をする人に出会った。
あの真っ白い犬を連れたその人はしかし、あの奥様ではなかった。
犬の散歩のバイトを雇ったのだろうかと新八はガッカリした。犬を連れているのは汚い男だった。
男は30歳前後くらいで、見るからに自堕落な生活を送っている感じの風体で、履き潰したクロックスを引きずりながら酷いがに股でだるそうに歩いてくる。
男の皮膚の色は不健康に生白く、陽のある内に活動するようなちゃんとした生活をしていないのが丸わかりだった。なんかきっと夕方とかに起き出してなんやかんやで朝方寝る、とかそんなんだ。日中起きているとしたらパチンコが新台入れ替えの時くらいで、仕事なんかしたことないし、女に働かせてふんぞり返って偉そうにしているとか、そんなんだ。いかにもそんな顔をしている。
しかもこいつはきっと女を殴る。そうに決まっている。あと、よくわかんないけど避妊もしないんだ。最低なんだ。
男の体は自堕落に緩んではいたが、いかにも凶暴そうな筋肉に覆われている。洗濯を繰り返して薄やれたTシャツから伸びたあの腕で、気に入らない事があった時に女や壁を叩くのだ。
男の目は据わっていて、あまり目玉が動かない。何か、凄まじく反社会的で危なそうな感じだった。



なんでだ、と新八は思った。
あの人はなんでこんな男を雇ったのだ。こんな危なそうな、汚い男を。
この男はきっと、散歩から帰り、あの楚々とした奥様が『ご苦労様』などと言って出てきたところを無言でにやりと笑い、白い手首を掴んで引きずり倒し、そのまま玄関で犯すのだ。絶望して泣き叫ぶ奥様の白い乳房を鷲掴みにして『口は嫌がっててもここは濡れてんじゃねぇか』などと言いながら、何度も犯すのだ。勿論、避妊などせずに。
なんでだ。
なんでこんな男を雇うのですか奥様。
犬の散歩なら、例えば僕みたいな純情で真面目な高校生が相応しい。犬の紐を返す時に指先が触れて、真っ赤になる僕に奥様も少し赤くなって『あら…ごめんなさいね』などと謝り、そして『お茶でも飲んでいく?』などと優しく招いてくれるのだ。『学校がありますから』と僕が断ると、『真面目なのね』と初夏のそよ風のように笑うのだ。
そうだ。絶対僕の方が相応しい。こんな男なんかより、絶対僕の方が適している。



そうこうするうちに男は近づいてきていた。
まっとうな生活をしていなさそうな不健康な青白い顔の中で、冷酷そうに裂けた唇が妙に赤い。
その唇がふいに開き、近づいてきた新八に向かって言った。

「よー。また会ったな」

……
いや、会ったことねぇし。
誰なんだよお前はよ。

こんな男に気安く話しかけられるいわれはなかったが、下手に無視でもして因縁をつけられ絡まれるのも嫌だったので、
「ども…」
となるべく目を合わさないように会釈した。
男はそれだけで何事もなかったようにすれ違って行った。びびりまくっていた新八は心からホッとした。

学校に向かう道を歩きながら新八は、絶対に犬の散歩は自分の方が適役だと再度思った。
そしてあの男について『できれば今日中に死なねぇかな』と思った。



おわり

(2012-06-24 18:25)







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