未決/既決
歯が、ぐらぐらするんだよ、トシ。
また、女に振られたらしい。
だからあんな女はやめろって言ってんのに、聞きゃしねえ。
歯がぐらぐらになるまでぶん殴られて、それで、喜んでいた。
ほんとに懲りねえな、あんた。殴られすぎて馬鹿になってんだよ、それぁ。
いや馬鹿で幸せだ、俺は。
だってよ、人を好きになるってことはさ、馬鹿になるってことだからさ。
などという今朝方の馬鹿な会話を
俺は、真面目な表情で書類に印を押している近藤さんの横顔を見ながら、今更蒸し返していた。
聞けば、ぐらぐらになった歯の痛みまでが嬉しいんだそうだ。
「ああ、そうかよ」
俺は未決の箱から、紙を一枚、渡してやる。
「そうさ」
近藤さんは受け取って、印を押して既決の箱に入れる。
「お前みたいな恵まれた男にはわかんねえんだろうが」
「わかんねえ」
俺は別に恵まれてなんかないが、歯折られて嬉しいなんてわかんねえ。
「馬鹿だと思ってくれていい」
「ああ。馬鹿だな」
俺がまた、未決の箱から紙を一枚取って、近藤さんに渡してやる。
近藤さんがまた受け取って、印を押して既決の箱に入れる。
それを繰り返す。延々と。
馬鹿になりそうだ。
ため込んでいた未決の山は、一向に崩れない。
俺は、歯なんか折られても馬鹿にはなれない。
俺は多分、こういう単調なやつで馬鹿になる。
近藤さんはまた女のとこに行く。
そして俺は、また書類をため込むのだろう。
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