ゆきてかえらぬ 1

街の裏側を歩く。
時刻は正午を少し過ぎた頃だったが、昼夜が逆転しているこの街では陽のある時間帯が夜だった。正午過ぎなどは深夜にあたる。あたりに人の気配はなく、立ち並ぶ雑居ビルのテナントは悉く入り口を閉ざしていた。死んでるみたいだな、と新八は思う。

夜はあんなに喧しいのに、昼はまるで死んでるみたいだ。




*






銀時は、昼に仮死して夜に目覚めるこの街で生きている。

街はひとつの巨大な生き物のようだった。独特なサイクルで盛んに活動し、そして活動に伴って諸々の副産物を排出する。彼は街が排出した副産物の中から日々の飯の種を拾って生きている。この街と銀時の関係は、何かの生き物とその体内を漂う微生物の関係に似ていた。
微生物は、宿主の体内に順応した体の構造と生活形態を持つ。銀時が刃物ではなく安っぽい木刀をぶら下げて歩くのも、この街に順応していく過程で獲得したひとつのスタイルだった。行き場をなくした野良犬が苦し紛れに芽生えさせた哲学は、この荒くれた街により育てられ枝葉を付けた。

格好だけの浅はかな振る舞いだと軽蔑する者もあるが、新八は尊重している。
ただの格好つけだとしても、命がけの格好つけだ。命がかかれば、格好つけだろうが悪ふざけだろうがそれは本気だ。人が本気でしている事を他人が横から揶揄したとして、果たしてそれは揶揄する方にもされた方にも何か意味がある事なのか。

「銀さん。誰か、ついてきてます」

新八は2歩前を歩く銀時の後ろ姿に言った。左耳の少し下に鬱血痕が薄く残るのが見えた。
銀時は新八の言葉に、ああ、と応え、懐に入れていた右手をさり気なく抜いて体の横にだらりと下げた。指先は緩く曲がり脱力している。いつでもすぐに動かせるようにだ。

「お前、先行け。走れ」

命じられた新八が駆け出すのと、銀時が振り返って腰の木刀を抜き放ったのは同時だった。

「万事屋っ」

知らない男の罵声が、両脇に迫る汚いビルの壁に反響した。

はい、何ですか。

ふざけた銀時の返答は尻上がりで、語尾は木刀を振った身体の動きに合わせて掠れた。




*






新八は走って、10メートルほど距離を取ってからビルの壁に背中を付ける形で立ち、銀時の方に視線をやった。
恐らくは罵声を上げた男が、既に倒れて腹を庇いながらもがいている。苦悶するたび頬が地面に擦れていた。その顔の前に足を置いて、木刀を握った銀時が立っている。銀時の向こうには抜き身の刃物を手にした穏やかでない様子の男達が数人立っていた。

男達の中の一人が言った。

「万事屋。ふざけんなよ」

銀時は

「ふざけてなんかねぇよ。俺ぁいつでも大真面目だ」

などと言い返しながら、倒れた男の手から離れて落ちていた刃物を踏み付け、そのまま後ろに蹴りやった。刃物は地面の上をよく滑り、新八の足元から2、3メートルのところで止まった。

刃渡り30センチ程の、やくざがよく持っているタイプの両刃の凶器だ。見るからによく使い込まれている。何度も研がれたせいで刀身が減っていた。よりにもよって銀時に実力行使を企てるからには、暴力沙汰には慣れた連中なのだろう。
倒れている奴を除いて総勢12名。少なくはない。
新八はワクワクした。銀時が暴れるのを見るのは久し振りだ。

「調子に乗りやがって。いくらお登勢が可愛がってるワンちゃんでも、あんましオイタが過ぎると保健所が黙ってねぇぜ」

「オイタ?何言ってやがる。ありゃビジネス上の行き違いだ。…ていうか、俺をババアの座敷犬みたいに言うのやめてくんない。流行ってんのか。気持ち悪ぃんだけど」

「そんなこたどうでもいいんだ。俺達ぁ、金を返せって言ってんだよ。人間の言葉がわかるか、ワンちゃん」

「『人間の言葉』ならな」

憎たらしく笑ってみせた銀時に男達も笑った。笑う声は殺伐としている。

「口が減らねぇなあ。躾がなってねぇんじゃねぇか。テメエがそんなんじゃ、そこの」

と離れて立っている新八を顎で示す。

「ぼっちゃんと、あのお転婆のおじょうちゃんの教育に良くねぇよ」

「何言ってやがる、俺のお行儀は完璧だぜ?あいつらの親御さんからも全面的に信頼されてんだ、俺」

嘘吐け、と新八は思った。

「躾がなってねぇのは、こいつの方だろう」

銀時が足元に転がる男の頭に靴底を載せる。男は失神してしまっていて、踏みにじられたというのに身動きもしない。

「ものの筋ってやつを知らねぇみてぇだから、俺はちょっと教えてやっただけだ」

「そいつは申し訳なかった。だが、ちょっと越権だったな万事屋さん。それにテメエがこいつから掠め取った金は、こいつが違えた筋とは関係ねぇんじゃねぇのか?それとも何か、テメエのマナー教室は強盗のやり方も教えてんのか」

「おい、人聞きの悪ぃ事言うなよ。金は、…あれだ。授業料だ」

「ふざけるな」

男の一人が素早く動き、銀時の後ろに回った。銀時の視線がそれを追った瞬間、前にいる男が銀時の横面に斬りかかった。

斬りかかった男の手首を硬いブーツの爪先が蹴り上げる。弾かれた刃物が鋭い音を立てて地面に落ちた。音の余韻が消える前に、後ろに回った男が銀時の背中を目掛けて棍棒のような鈍器を振り下ろしている。蹴りで崩れた体勢を利用して銀時は体を逸らし、その肩を鈍器の先端が掠めた。
鈍器を振り下ろした勢いで前のめりになった男の後頭部を、銀時の広い掌が鷲掴む。鷲掴んだ頭を最初に斬りかかった男の顔面にぶち当てた。硬いもの同士が衝突する重い音がして、ぶち当てられた男が仰け反り顔面からの血を飛沫かせながら背中から倒れた。
後頭部を掴まれて体を折る男には、鋭く曲げた膝が胸へ入る。無残な呻き声を上げた男は鼻血まみれの男の上に重なって倒れた。

いつも思うが、銀時の立ち回りは滅茶苦茶だ。新八は道場の息子なので、銀時のそういう立ち回りを見る度に溜め息が出る。行儀が悪い、と思うのだ。
手が塞がってるから足で戸を開けた。開けましたが何か?というスタンスだ。
新八が習ってきたのは、手が塞がっていた場合に、足など使わず時間も動線も無駄にしないで行儀よく戸を開ける方法だ。
つまり銀時の立ち回りは見ていて全く参考にならない。
参考にならないが、参考にならないからこそ見ていて面白かった。
だって動物の喧嘩みたいじゃないか。

胸に膝を入れられた男が倒れたまま身じろぎした。苦しみながらも起き上がろうとしている。
銀時はその首筋に容赦なく木刀を振り下ろした。2度も。1度目で男は声を上げ、2度目で手足を伸ばして身体を弛緩させた。

「酷ぇなぁ」

緊迫した空気の中で、ひとりのやくざが思わずといった感じで苦笑まじりの感想を漏らす。
新八はその感想にこっそり同意する。
ああなっていれば戦意など喪失していると判断して、多少動こうが捨て置くのが普通だが、銀時はそうしない。敵の体が動く内は徹底的に叩く。自分を害する可能性は、たとえどれだけ小さいものでも完全に潰すのだ。
銀時のやり方は念入りで執拗で、常識が通用しなかった。
動物の喧嘩なんだよな、と新八はまた思った。そして、そう思うとますますワクワクした。

一人が薙いだ短刀を銀時の木刀が遮った。短刀を跳ね退けられた反動で腕が浮く。その下へ木刀が突き込まれる。短刀の男は脇腹を抉られて悶絶し蹲った。蹲る男の肩に足を掛け踏み越えた銀時は、短刀男の背後にいた男の襟首を掴んで引き寄せ、頭突きを食らわせる。
頭部への衝撃で瞬間ふらつきながらも、頑丈な性質であるらしい男は怒声を上げて銀時の腹に頭から突っ込んだ。押し倒そうというのだ。新八は小さく息を呑む。如何な銀時であろうと、この状況で地面に押し伏せられれば終わりだ。
男の頭頂部に腹を押された銀時は、押された瞬間、僅かに体の重心を傾けていた。男の頭は銀時の正中から反れ、反れた勢いでそのまま虚空に突っ込んだ。身を屈める形になっている男の後ろ髪を銀時が掴む。虚空に突っ込もうとする勢いを借りて、男の屈んだ体をビルの壁に叩き付けた。丁度その場にあったゴミバケツが派手な音を立てて転がり、突っ込んできた男とその辺りを生ゴミ塗れにした。
そうやって攻防しながらも、銀時は隙を見ては既に倒れている者に留めをくれてやる事を忘れなかった。
これは礼に始まり礼に終わるような、お行儀のいい上品なものではない。暴力に対して条件反射で暴力を返す、ただの動物の喧嘩だ。




*






多人数に囲まれた時。
囲んでるのは多人数でも、一度にかかってくるのは2人かせいぜい3人だ。それぞれの動きが邪魔をするから、一斉にかかってくるなんてことはまず出来ない。
だから多人数相手の時は、結局、体力勝負なんだよ。
と、以前銀時が言っていた。

体力勝負の言のとおり乱闘は長引いた。
それでも、立っていた5人が4人になり、4人が3人になり、やがて2人になった。
そろそろ片付くかと思った新八は、しかし首を傾げた。

残りの2人の様子がどうもおかしいのだ。
距離を取って、簡単には近付かず挑発するような動きだけを繰り返す。挑発する動きにも迷いがあり、鈍っていた。煮え切らない。

「何なんだよ、めんどくせぇな!」

喚く銀時の呼吸はさして乱れてもいなかった。確かに銀時の体力は並外れている。但し、根気のなさも並外れている。

「やる気ねぇなら怪我人連れてさっさと消えろよ。こんだけやりゃ、テメエらもテメエらの周囲も納得だろうが」

乱闘に飽き始めた銀時がぶっちゃけた内容は、的を得ていた。

彼らは、もともと銀時を消そうなどとは思っていない。
単に落とし前を付けにきただけだ。
この街での銀時の立場は非常に微妙だ。迂闊にいじれば何の起爆装置になるかわからない。そもそも、銀時本体がこのとおり危険物なのだから、本気でどうにかしようなどこのチンピラ達が思っているはずがなかった。

「テメエらが売ってきた喧嘩だぜ。落とし所くらいテメエらで準備してくれよ」

銀時の面倒くさそうな口調に、対峙していたやくざの片方がおどけた風に肩を竦めて手にしていた武器を捨てた。
残りのもう一人も、無言で刃物を引く。
立ち込めていた緊張感が、それで緩んだ。

新八は、なんだこんな終わり方か、と内心でがっかりした。物足りない、と舌打ちをした。
亡父や姉に知れたら泣かれるだろう。
銀時と行動するせいで、新八の行儀は悪くなる一方だった。




*






万事屋の行動が自分達の利益を損なったので、正当に抗議した。
抗議した所、11名が負傷したので一旦抗議を取り下げた。
何のことはない。単なる挨拶と同じだ。この街で生きていく者にとって、ありふれた、日常的な儀式だ。

話のわかる2人のやくざが凶器を片付ける。
銀時が木刀を腰に差した。

それらを確認してから、新八は銀時が蹴飛ばした刃物の傍へ寄り身を屈めた。
拾ってやろうという親切心半分、使い込んだ刃物をもっと近くで観察したいという下心半分だ。

銀時が新八のいる方に向かって歩き出した。
2人のやくざは倒れている者に声を掛け、順番に抱き起こしている。

銀時の暴力は執拗だが、命は取らない。何故ならこれが儀式であるからだ。
儀式が儀式で済まされなくなるような事態を銀時は絶妙の技量で避ける。銀時が並外れているのは、単なる強さなどではなくそういう調節の上手さだった。
人が死ぬ死なないの加減を知っていて、それを操る銀時というのは、暴れている時の動物のような印象からは遠い。極めて冷静で理性的だ。
新八は、動物のように暴れる銀時は好きだったが、冷静に手加減をする銀時はあまり好きではなかった。

というか、有体に言えば、新八はそういう銀時が恐ろしい。




*






一番最初に襲い掛かってきて、一番最初にぶちのめされた男が抱き起こされた。視線が定まらず青褪めた顔はまだ若い。

銀時とトラブルを起こして、事の発端を作ったのはこの男だった。
今回の件で男の仕事にはケチがついてしまった。男にとっては、ガキの頃から下積みを続けてようやく任された責任ある仕事だった。それをナメた形で台無しにされ、舎弟にも女にも全く格好がつかなくなった。
あの万事屋っていうのは何なのだ。
お登勢のババアの上に居候して、ぷらぷらしているだけの野郎ではないか。それが何故、泥水や西郷に一目置かれているのか、この街で特権的な地位を得ているのか、全くわからないし納得がいかない。何よりも、妙に腕が立つのが腹立たしい。
兄貴分に諭されても納得できず、この男は、万事屋に対して殆ど意味のない『落とし前』をつけさせる事を執拗に主張した。

男の所属する組織(と呼べる程の規模ではないが)は、万事屋との間で定期的に儀礼的な『落とし前』をつけることで、関係の均衡を保っていた。
男の主張を受け、それではこの機会に、と組織は銀時に対して恒例となっている儀礼的挨拶を行う事にした。

しかしそれはあくまでも男の属する組織の意向だ。

男個人は、挨拶などを行うつもりはなかった。




*






新八は、使い込まれた刃物を目の高さに持ち上げていた。
使い込まれてはいるが、あまり丁寧な使い方がされていないらしく刃物の減り方は不均一で不恰好だった。
こういう使い方をする人間に刺されたらきっととても痛いだろう。一体どれだけの人がこれで痛い思いをしたのか。新八は、痛い思いをした見知らぬ人々に同情し、暴力を行使する事の愚かさを嫌悪する。しかし一方で、刺すなら痛くないように刺すべきだ、などという事も考えている。
安物の鋼が、昼の白い光を反射して濡れたようにぬめっていた。

ぬめる刀身の向こうで、この刃物の持ち主が肩を貸されてどうにか立ち上がろうとしている。
あの人、一番最初にいきなりやられちゃったんだよな、可哀想に。
子供に哀れまれているとも知らず、男は肩を貸されて覚束ない足で立っていた。
自由な方の腕は地面に向かって力なくだらりとぶら下がっている。
つい今さっき失神から覚めた弱りきった男など、すぐ横で肩を貸している男を始め誰も注視していない。偶然男の刃物を持っていた新八が、少し気に掛けただけだ。

持ち上げた刃物の向こうで、男がぶら下げていた腕を重たそうに持ち上げたのを新八は見た。
なんだろう、と思って様子を見守る。

男は、持ち上げた腕を自分の腰の後ろにのろのろと回した。

あっ、と新八は声を上げた。

男は腰のホルスターに差し込んでいた拳銃を引き抜いて、前に向けた。

ふらつく腕が構える拳銃の先には銀時がいた。
こちらに向かって歩きながら、欠伸をしていた。



「銀さん」

新八が叫んだのと男が発砲したのは同時だった。









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