蹴り入れ菩薩

「俺には長谷川さんしかいねぇんだよゲラゲラ。」

腰に手を当てて仁王立ちになる銀さんは、下から見上げていると実に堂々として頼もしく美しく、どこか神々しくさえあり、なんていうかギリシャの女神像とか観音菩薩像とかそういう感じに見えるのだった。

別に銀さんはただの坂田の銀さんなわけで、女神でも菩薩でもないが。

しかし俺は、俺の前に聳え立つ銀さんを見ていると、なんか泣きながらひれ伏してその白い裳裾にすがりたいような気持ちになる。
だから銀さんは確かに女神でも菩薩でもないが、俺にとっては何かそういうあれな対象なのは間違いなかった。

俺にとってのあれな対象である銀さんは、さっきから『長谷川さんしかいないの』みたいなちょっと聞きには可愛らしいような事を言っている。
しかし、言葉の終わりには『ゲラゲラ』という怪鳥のような笑いが付属している。

多分これで俺が『銀さーん』とか言ってその清らかな白い裳裾にすがりつこうもんなら、その瞬間に『調子のんなゲラゲラ』とか言って俺はミゾオチとかに蹴りを入れられるに決まっている。

銀さんは女神でも菩薩でもない。しかし、蹴り入れ菩薩とかそういうものではあるかもしれない。




「もう俺ぇ、仕事にも家庭にも疲れましたぁ。
だってさ、CR江戸の花嫁は現金預け入れだけで払わない機だすぃ〜、
メガネは俺を全人格的に蔑むすぃ〜、底なし胃袋は俺のケーキのその下の紙まで食うすぃ〜、
犬は俺の布団にゲロ吐くすぃ〜。」

パチンコは仕事じゃないと思ったが言わない。何故ならば、そこに関しては俺も同レベルだから。

しかし家庭に関していえば、俺は銀さんより身軽だ。
別に身軽になりたくて身軽になったわけではないが、ていうか間接的に銀さんのせいで身軽になってしまったのだが、身軽なことには違いない。

「銀さん、可哀想に。せめて俺のとこでは全部忘れて、素顔の銀さんに戻ってよ。」

俺は、聳え立つ神々しい銀さん像に心を込めて祈りの言葉を捧げた。

俺の言葉を聞いた銀さんは『ゲラ』とやけに短く笑った。
そして笑い終わった途端に真顔になり、

「調子のんな。この○○○野郎が。」

と、俺の延髄に的確な蹴りを入れた。せめてミゾオチだと思ってたのに。あと、俺はインポじゃないのに。

ああ、蹴り入れ菩薩様の思し召しは、卑賤な俺などには想像もつかない。




ところで、この白い菩薩様は、うちにエッチをしにきた。

屋台で飲んでて

「何かえろい気持ち…。」

とか言いながら、俺の肩に頭を載せ、指先で俺の脇腹に『の』の字を書いた銀さんの目は潤んでいて、 確かにそういう感じだった。
屋台の親父は、俺が男に走ったから妻に逃げられたのだ、という理解をしていて、『銀さんは魔性だねぇ。』とか笑いながら 、嫌そうにしていた。

嫌なのは俺だ。

そそくさと屋台を出て、うちのアパートになだれこんで、予定なら今頃は銀さんが俺の上に乗っかってガンガンに俺を攻め立てているはずなのだが。
蹴りもいいけど、そろそろ本格的な御利益を頂きたいのだった。

「銀さん。」

俺は胡座をかいて5合瓶の酒をらっぱ飲みしている銀さんの側に膝で這いずって近寄り、銀さんお気に入りの、 大杉漣っぽいソフトな口調で銀さんの白い巻き毛がかかった耳元に声を吹き込んだ。
銀さんは、すぐ近くにある俺の顔を骨太の手の甲でどついたが、蹴りは入れてこなかった。
どついたのは恥じらいの一種なのだ。例えそれが一般的には裏拳と呼ばれるような気合いの入ったものであるとしても。

「長谷川さん。」

短いまばらな睫毛を瞬かせ、上目遣いで俺を見上げた銀さんは、酒が入って頬っぺたが紅潮していた。
赤い舌の先っぽがいやらしく笑った唇の上を舌舐めずりする。

蹴り入れ菩薩様が、ようやく本物の菩薩様に。

俺は、震える思いで(いつ蹴られるかわからなくて怖い)銀さんの清らかな白い衣の内側に手を入れた。




うちのアパートの壁は超薄い。 電話の声ぐらいでもう筒抜けだった。

かといって、銀さんは周囲への配慮とか俺への配慮とかはしてくれない。してくれるわけない。
菩薩様は下々の些細な迷いなど、知ったこっちゃないのだ。

最初は泣きそうだった俺だったが

「めんどくせぇこと言ってんじゃねぇ犯すぞこの○○野郎が。」

と罵倒されたので、諦めた。あと、俺は包茎じゃないのに。

ていうか、ご近所に顔向けできないこういう感じも、嫌だけど何かいいかも、と微かに思った自分に気付いたのだ。

ああ、これからオッサンはどうなるのだろ。オッサンはどこへ行くのだろ。

「オイ、何やってんだ、てめーの、出来る事は、これだけだろが、ハアハア、言いやがって、気持ちいいのか、 このワン公が、オラ言えよ、ワンって、言ってみ、ワンワン言え、このマイライフ、アズアドッグがぁ!」

この有り様なので、ご近所には俺のそういう交友関係どころか具体的な嗜好まで知られてしまっているのは確実で、 益々顔向けできないのだった。でもそれがいいのだった。

俺の上に乗っかっている銀さんは、下から見上げていると実に堂々として頼もしく美しく、どこか神々しくさえあり、 やっぱりギリシャの女神像とか観音菩薩像とかそういう感じに見えるのだった。

俺は、そういう銀さんに泣きながらすがりたいような気持ちになるので、もう言われることに従うだけでなんか幸せ なのだった。
それは止めた方がいいんじゃない?みたいな事でも、そこをおして無理に従うと、より一層幸せなのだった。

なんてこった、もう泣きそう。
銀さんのせいで泣きそうなのに、銀さんに泣きながらすがりたい。




色々あって、最終的に本当に銀さんに泣きながらすがった俺は、銀さんに『調子のんなゲラゲラ』と言われながら やっぱり蹴りを入れられた。

一通り蹴りを入れ終わって満足したらしい蹴り入れ菩薩様は、急に素に戻って

「帰るわ。」

と言った。俺は心の底からホッとした。

お願い。早く帰って。やるだけやったら帰れとか最低だと思うけど、銀さん相手の場合、どことなくそういう話には ならないような気がする。だから早く帰って下さい。

とにかく、あらゆる面で疲労していた俺は、サクサク服を着てあっという間にいつものシュッとした感じに戻った銀さんが腰に木刀を差す仕草をぼーっと見ながら、やっぱ銀さんはかっこいいな、などという、何で今そんな事を思うのか自分でもバカだとしか思えない事を思っていた。

そんな朦朧とした頭が覚醒したのは、銀さんが俺の財布から大切な万札を堂々と抜き出した時だった。

「…銀さん、何してんの。」

銀さんは全く悪びれずに、抜き出した金をそのまま懐に突っ込み

「銀さんの体をタダで好きにできるとか思ってんじゃねぇぞ。何、もっかい法廷行く?」

と言った。
もう法廷は嫌だった。
というかその場合、銀さんは原告になるわけで、そうしたら俺は誰に弁護を頼めばいいのだろう。

俺の金を懐に入れた銀さんは、座り込む俺の前にしゃがんで

「やっぱ俺には長谷川さんしかいねぇよ。」

と慈愛に満ちた声で言いながら、俺の頭を愛しむように撫で、『ゲラ』と短く笑った。

俺はもう、なんだかわけがわからなくなって感極まり、思わず『銀さーん』とか言いながら、最近太ってきたらしい腰回りにすがり付いていた。
その瞬間、銀さんは真顔になり

「調子のんな。」

と言って、俺の向う脛のド真ん中に容赦ない蹴りを入れた。




ああ、俺の蹴り入れ菩薩様。でもお賽銭に一万円は高過ぎる。









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