コロコロ
俺ぁ若い頃、チュートの徳井(※1)
(※1)
みたいだったのよ。
と、松平が鼻の穴からセブンスターの副流煙を吹き出しながら言うのを聞いて、近藤はどうしようと思った。
ここであからさまに否定するのは、卑しくも上司である松平に対して失礼であるが、でもいくらなんでも徳井はないだろう、百歩譲って照英(※2)
(※2)
ぐらいにしとかないか、と提案したいのは山々であったが、このおっさんに冷静な議論など持ちかけるのは時間の無駄であると知っている近藤は賢明にも
とっつぁんが徳井なら、俺だってマツジュン(※3)
(※3)
だ。
と、話を自然に自分の事に持っていき、しかも絶妙のウィットを利かせるという小技で不毛な時間の浪費を回避した。
近藤は図体に似合わず人付き合いに関してはすばしっこく小器用だった。
それも、サザエさんでいうところのカツオ(※4)
(※4)
のごとき自らの利を得んとする攻めの小器用さというよりは、全てを受容した上で平和的解決に導こうとするマスオ(※5)
(※5)
的な小器用さであった。
松平は、
お前ぇがマツジュンならトースターだってヘルシオだ(※6)
(※6)
っつうの。
と独特の口調で言いつつ、咥えていたセブンスターを灰皿で殊更グリグリする。そして、猪おどしの鳴る瀟洒な庭に目をやって、霧ケ峰(※7)
(※7)
の霜取りの時のような溜息を吐いた。
おや、と近藤は思い、これはとっつぁんに何か懸案がある時の様子だぞ、と身構えた。
江戸守護職たる松平が真選組局長たる近藤に対して懸案を持ち掛けようとしているとは、これは只事でない。日頃何かと無理難題を突き付ける天人がまた幕府に難題を突き付けたか、日々江戸に害を為さんと虎視淡々と狙う攘夷派がまた不埒な動きを見せているか、何であれ看過できぬ何事かが起こっているに違いない。
と、
近藤の思案を余所に、あまりに灰皿に煙草をグリグリしすぎたか、たっぷり吸い殻がのった灰皿を松平がひっくり返した。
ぶちまけた灰と吸い殻は、卓上だけでなく畳の上にまで散った。
おお〜ぅ。
何やってんだよ、とっつぁん。あ…駄目だ、ふきんで拭いたら、畳の目に入っちまうだろ。
近藤は自慢の名刀虎鉄を取り上げ、先端部に接続されたコロコロ(※8)
(※8)
で畳の上をコロコロする。
慌てた松平が畳の目にめり込ませてしまった灰は、側をとんとん叩く事で浮き上がらせ、そつなく掃除を行った。まめな男である。
そういうまめな近藤を見詰める松平の目は、どことなくしんみりしていた。
お前ぇも、そろそろいい歳だな…。
な、何だよ、とっつぁん。止めてくれよ。
近藤は奥手である。
しかも不思議な奥手であった。自ら求めるには積極的に行動できるが、逆に他から指摘されたり勧められたりすると、極端に恥ずかしがる。但し、自ら求めるにも、そのやり方が不適切である場合が殆どなので、どちらにしろそういった話からは縁遠かった。
縁遠いがために、更にやり方は不適切になり、恥しがり方が極端になる。
照れ隠しに、近藤はしきりにコロコロをコロコロし、それが為あっという間にコロコロの粘着力は減少してしまった。
これぁ便利だが、すぐにテープがなくなるのが玉にキズだ。
そう思う近藤の手元で、確かにコロコロのテープは残り少なくなっていた。
自慢気にこのようなものを取り出した自分に罪悪感を感じた近藤が、若干厳しさを取り戻した表情で、コロコロのテープを爪の先でめくる。
禄を食む隊士を多く抱える真選組の局長として、例え避けて通れぬ必要経費とはいえ、このように消耗の激しい武具を所有するのはいかがなものであろう。
…近藤、お前ぇ、『まーる/まーる/Wローラー』(※9)
(※9)
って知ってる?
『まーる/まーる/Wローラー』?
こういう
(http://item.rakuten.co.jp/kaihyaku/10000046/※楽天)
のなんだけどもよ。
…そりゃあ、確かによさそうだな。
だろ?
でも、そんな凝ったやつ虎鉄っちゃんに付け始めたら、そんなんもう虎鉄っちゃんじゃなくね?そんなんならもう、虎鉄っちゃんじゃなくて最初からただのコロコロ持ってればよくね?
江戸の治安を維持せんがため、日夜市中を見回る真選組局長の腰に、コロコロ。
悪辣な攘夷党が潜むアジトを制圧せんと、いざ突入の号令をする真選組局長の振り上げた右手には、コロコロ。
刃を振り回し抵抗を止めぬ悪人が、重ねての警告をも聞き入れず、致し方ないこうなっては、と袈裟掛けに振り下ろしたコロコロで悪人をコロコロ。
…とっつぁん。
…なんだ。
結局、今日は何の用事で来たの。
…おぅそれよ、近藤。
松平は懐から綴り物(※10)
(※10)
を取り出し、近藤の前に置いて見せた。
それは、開かずとも明らかに見合い写真とわかる装丁であった。
やはりか、と溜息をつきたくなる。しかし近藤も馬鹿ではない。写真まで出されては照れてなどいられない。
ただの老婆心からそのようなものを持って来るほど松平も暇ではないであろう。つまり、これは何らかの政治的思惑の絡んだ話である。無碍には出来ない。
しかし、今の自分にはそのような話に行儀よく乗れない事情もあった。
私的な事情に流されて公を全う出来ないとは、忠義に生きる者として有るまじきことではあるが、しかしこればっかりはどうしようもなかった。
しかし俺ぁ…。
言い淀む近藤に、江戸守護職としての松平が静かに畳みかける。
勿論、俺は仲人がやりたくってこんな話をしに来たわけじゃぁねぇ。これは俺やお前ぇの意思だけで動いてる話じゃねぇってこった。
…だがまあ、あれだ、美人だぞ。黒木メイサ(※11)
(※11)
みたいだぞ。
んなこと言ったって…。
近藤、腹決めろ。お前ぇももうフラフラしてる年じゃねぇだろうが。
仕方がない。
事ここまで至っては形だけでも繕う必要があるだろう。円満に解決する方策は、後で考えるしかない。
近藤は脳の片方でそう思い、もう片方では、へぇ〜黒木メイサ(※11)
(※11)
かぁ、と思っていた。
とりあえず、松平の言うとおり顔だけでも見てみよう。いや、勿論、最終的には断る。円満に断る。
断るが、顔くらい見たい。
政略結婚ということなのだから、相手はどこかの深窓のご令嬢に違いない。ご令嬢というのがどんなのか知りたいではないか。黒木メイサ(※11)
(※11)
に似ている深窓のご令嬢の顔くらい見たいではないか。
近藤は『お妙さんごめんね。』と心の奥で謝りながら、見合い写真の綴りを開いた。
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