おかしのいえ

最初は、いつも通りの万事屋の玄関だった。

「おはようございます。」

僕は全く普通に草履を脱いで上がり、全く普通に奥に進んで行く。
すると、おかしな事に万事屋の古びた建具の隙間から葉っぱや枝が伸びていた。

葉っぱや枝は奥に行くほどどんどん茂って、いつもの万事屋の居間に至る距離を歩いた頃には、そこはもう深い森のようになっていた。間取りだけは万事屋だったが、ソファやテーブルや銀さんの机があるあたりには、万年杉のように太くうねる巨木の幹が表面に苔をのせて横たわっていた。足元は平べったい床ではなく、腰まであるような草木がざわざわと育って、僕はそれを踏んでいる。上を見上げると、巨木の枝葉が低く、丁度天井の高さほどに空を覆っていた。

僕は、これでは仕事にならないな、と思った。

困って辺りを見回したら、普通なら銀さんの机がある位置に横たわる巨木の向こうに、更に奥があることに気付いた。
そこばかりはいつもの万事屋の間取りと違った。
僕は、玄関で草履を脱いだ事を軽く後悔したが、後ろを振り返ったらもう玄関は見えなくなって森が暗く塞いでいたので、仕方なく高く生えた茂みをかき分けて巨木に手をかけよじ登る。

巨木の向こうも変わりなく深くて低い森が続いていたが、どん詰まりに何か建物が見えた。工事現場で見かける仮設プレハブくらいの大きさの小さい建物だ。
足の裏に踏み付けた草木が刺さりそうなのを我慢しながら、僕はその建物に近付いた。
近付くごとに、何かの匂いがし始めた。
小麦粉とか砂糖が焦げるような、甘くていい匂いだ。あと、人工的でべたべたした香料の、子供菓子みたいな匂い。

建物はお菓子で出来ていた。




ビスケットで出来た扉を押すと、中はますます子供菓子の匂いが充満していた。いちごポッキー五億本分みたいな匂いだった。
正直、僕はそれで引き返したくなったが、そうしなかった。
いちごポッキー五億本の匂いの中に銀さんがいたからだ。

「おはようさん。」

銀さんは、どうやらカステラで出来ているらしいソファに殆ど寝そべるようにだらっと座ったまま、眠そうな口調で僕に言った。
そんなものに座っていたら着物がべたべたになると思った。現実にビスケットで出来た扉に触った僕の手は、何か脂っぽくなっていた。
僕は銀さんの側に足早に近付いてその前に膝を付き、銀さんの投げ出された脛に掌を載せ、撫でるふりをしてついでに着物の裾で手を拭いた。

「銀さん。僕…。」

来ました。
と、自分でもよくわからない報告をした僕を、銀さんが迷惑そうに見下ろして言った。

「別に来なくても良かったのに。」




あ、銀さんだ。




胸が悪くなる甘い匂いに包まれながらしみじみそう思い、思ったら変なものが喉にぐっと詰まる感じがした。切ないようなむず痒いような、そんな変なものだ。
変なものに突き動かされるまま、僕は銀さんの緩く開いた膝の間に顔を入れる。そうやって息をすると甘い匂いは薄らいで、銀さんの布団の匂いがした。つまり銀さんの匂いだ。
僕は自分の布団の次に銀さんの布団の匂いが懐かしい。

もっと懐かしくなりたかったので、僕は鼻先から潜るように着物の裾を割った。銀さんは、下に何も着ていなかった。それをいい事に、僕は銀さんの膝小僧を鼻で探り当てた。鼻先に触れる硬い骨を覆う薄い皮膚が儚げで、僕はそこに唇を当ててから強く吸った上で歯を立てた。そして、その歯形の上を舐めた。
お菓子の家の家主の皮膚は、別に甘い味はしない。人間の味がした。

「ねぇ、来なくても良かったとか、何でそんな事言うんですか。何でいっつもそうやって僕のこと苛めんですか銀さん、ねぇ、アンタ酷いよ。」

「俺は酷いか。」

笑うでも怒るでもなく銀さんが言った。知らなかった事実を厳粛に受け止めるような口調だ。
僕は銀さんの膝から徐々に伸び上がって股間からみぞおちに頭を進め、やがて銀さんの体の上に乗り上げた。そしてその首筋を前歯でなぞり上げると、上唇と前歯が耳たぶの付け根に触れそうになる。
その瞬間に、

「アンタは酷いです。」

と息と一緒に囁くと、銀さんは短く声を詰まらせて体を一度緊張させた。緊張の反動で少しだけ浮き上がった銀さんの腰が僕の腹に当った。それで銀さんが軽く興奮しているのがわかった僕は、銀さんの裸の太腿から足の付け根に掌を滑らした。
銀さんは一瞬だけ緊張させた体をすぐに弛緩させ、弛緩した腕をゆるゆると持ち上げて僕の背中を撫でながら、

「じゃあ俺はお前に優しくしないといけねぇなぁ。」

と、溜息みたいに僕のつむじに向かって言った。
一体どうやって優しくしてくれるのか想像もつかなかったが、酷い奴な銀さんが優しくしてくれる時というのは本当に優しくしてくれるので、僕は大いに期待した。
シーツを剥ぐように、やはり砂糖でべたべたしていた着物を剥いで、僕は慣れて懐かしい布団に包まる要領で銀さんに包まった。
使い慣れた布団は期待を裏切らず、僕の脹脛に暖かい足の裏を何度か擦りつけて、それから足の親指でそこを抓るみたいに擽った。
現実にも比喩的にも異様に甘ったるい空気の中で、有言実行な銀さんは、僕にとても優しくしてくれた。

「これ、優しいか?」

「優しいです。」

「よし。じゃあ、これは?」

「あ。」

とても優しかった。
普段あまり優しくしてくれない部分まで優しくしてくれて、僕はもうどうでもいいと思っていた。

ここはどこなのか、なんでこんなことになったのか、どうしてそんなことをしてくれるのか、とか、そういう事が全てどうでもよくなった。
今日の仕事なんか、はるか彼方でどうでもいい。
銀さんは、どうでもよくなった僕に畳みかけるように、もう一生働かなくていいのだ、と言った。

「食うもんならある。」

と、体を預けているカステラでできたソファを指先でほじくって僕の口に突っ込んだ。
僕は銀さんの指ごとそれを食べながら、一瞬だけ寿司とか焼き肉の事を思ったが、銀さんが僕に指を噛まれながら、

「すんげー気持ちいい。」

とうわ言のように呟きつつ深く仰け反って喉を見せたので、寿司とか焼き肉の事もすぐにどうでもよくなった。

僕の幸せというのは、突き詰めると実は非常にシンプルに出来ていたのだと気付いた。




「お前はもっと太れ。」

と銀さんが言った。
言われるまでもなく、ここで食べる物は全部カロリーの塊のようなものなので、僕は日をおかずにそうなるだろう。
しかし、そうなってしまうと僕は非常にかっこ悪くなってしまうのではないだろうか。
別に今もかっこ良くはないが、かといって悪いわけでもない。それが、かっこ悪くなってしまうんじゃないだろうか。
僕がそう言うと銀さんは、いやらしく笑った。

「お前のかっこなんか俺には関係ねぇよ。お前はここで俺に優しくされながら、どんどん太るんだ。そんで、」

銀さんが僕の二の腕の内側を手の甲で撫でる。
肉の付き具合を確認するような感じだった。

「俺に食われるんだ。」

撫でていた二の腕の内側に、林檎にでも齧り付くように噛み付いた。

「いてて。」

「どうだよ、嫌ですか。」

僕の悲鳴で口を離した銀さんが相変わらずいやらしい顔で訊いてくる。僕の腕の内側には半円形の歯型が唾液に濡れて残っていた。
銀さんのでかい歯形を見ながら僕は考えた。
優しい銀さんは実は僕を食らう気で優しくしていたらしい。
優しくするのは、太らせて食らうつもりだかららしい。
どうだろう。僕はそれが嫌だろうか。

「あそこにあるレンジでチンするんだ。」

銀さんが指差す方にレンジがあった。
太った僕は、どうやらチンされるらしい。

「チンしたら僕、爆発しますよ。」

「そらぁ、やり方が悪ぃんだよ。最初からレンジ強でやるからだ。」

立ち上がった銀さんがレンジの方に歩いて行く。

「ほら、このボタン、このヘルシーグリルボタンで、」

「どれですか。」

「これ、これだよ、これ。な?」

僕はレンジなんか見ていなかった。僕はレンジの前に屈んで立つ銀さんの、広い背中と横に平べったい腰回りを見ていた。
見ていたら、その背中が反るだけ反って肩甲骨の間に額が挟まれる感覚を思い出す。
あんまり声を出さない銀さんは、その分体が雄弁なのだった。

僕はここで銀さんに優しくされながらどんどん太って、そして銀さんに食べられる。
それはとても幸せだろうと僕には思えた。
しかし僕は、銀さんの背中を見ている内に僕の中のある欲求に気付いていた。
銀さんの思惑とは全く別のところにある、僕自身の欲求だ。

既に今、これ以上太らせる必要のない体になっている銀さんをチンしたい。




僕は、レンジを覗き込んでいる隙だらけの銀さんの後頭部に手を伸ばした。









と、いうところで目が覚めた。

僕は悶々としながら万事屋に出勤した。いつも通りの万事屋の玄関だった。

「おはようございます。」

僕は全く普通に草履を脱いで上がり、全く普通に奥に進んで行った。
すると、台所で銀さんが腰を屈めて何かをやっていた。

「どうしたんですか。」

「いや、レンジの調子が悪くてよ。お前なんか変なとこいじったろ。」

リアルの銀さんは別に優しくもなく、酷い奴だった。




しかし僕はそれでも毎日家を出て、どん詰まりにあるかのように真っ直ぐ万事屋に来て、銀さんを見て過ごすのだ。
万事屋は古い木造で、お菓子で出来ているわけでは全くなく、働かなきゃいけないし、食べる物はカロリーに乏しい炭水化物だけれども、僕にはわかる、僕はこのままきっと、どんどん太っていくのだろう。

「ああ、遂にいきましたか。」

僕はレンジなんか見ていなかった。
僕はレンジの前に屈んで立つ銀さんの、広い背中と横に平べったい腰回りを見ていた。肉付きのいい大人の、これ以上太らせる必要のない体だ。
夢でも現実でも変わりがない、これは真実なのだった。

僕はレンジを覗き込んでいる隙だらけの銀さんの後頭部に手を伸ばし渾身の力で鷲掴み、その頭をレンジの中に押し込めた。

「何すんだ。」

驚いて暴れる銀さんに、

「このままやってもいいですか。」

と後ろから言ったら、現実の優しくない銀さんは容赦なく僕を殴った。




僕はどこにも行かずに、こうやって食っているんだか食われているんだかわからない日々を送りながらどんどん太る。太ってかっこ悪くなるのだろう。

でも、かっこ悪くなったとしても、そんな事関係ない。

僕の幸せというのは、突き詰めると実は非常にシンプルに出来ている。









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