しりとり

『穴』



僕の風雨が吹き荒れる人生に、突然縦に開いた穴が銀さんだ。

その深くもなく浅くもない穴は、出ようと思えばいつでも出られる。
そして穴の底は今までの風雨が全く嘘だったみたいに快適だった。僕はそこで、今まで縮こまらせていた手足を伸び伸びと伸ばして、ようやく本来の生息域に戻された心地で自由に息をするのだった。
だから、出ようと思えば出られるけれども、そうしようとは思わない。
そりゃ、いつかは出るんだろうとは思っている。
だけど僕はもうこの穴を見つけてしまったんだから、出たとしてもいつでも戻って来れる。
そう思えば何も怖いことなんか何もなく、僕は穴の底で手足を伸ばして幸福だった。

ただ、穴の壁は土を刳り抜いただけの素っ気ないもので、酷く脆かった。
僕は脆い壁に煉瓦でも積んで補強しようと考えた。

「ちょっとお前は、何すんの」

銀さんは擽ったがって嫌がった。
嫌がったけれど知った事ではない。

僕がいつでも戻れるように、僕が銀さんを守る事があったって、それはそれで当然だと思うのだ。




『縄』




「お前が縄を回してる間は、俺も一緒に跳ぶ」

銀さんが天井を見上げたまま、そう言った。

僕と銀さんは向かい合わせで縄跳びを跳んでいるようなものだ。
縄を持っているのは僕で、銀さんは僕の回す縄のリズムに如才なく合わせて跳び続けている。

「嫌だったら跳ばねぇよ」

無表情でそう付け加えて、銀さんは目を閉じた。

僕は勝手に銀さんの傍に寄って行って、勝手に縄を回し始めた。銀さんは何も言わずにそれに合わせてくれた。そして、僕が回すのを止めるまで一緒に跳び続けてくれるという。
嫌じゃないから、そうしてくれるのだという。

僕は言った。

「もしも僕が銀さんに縄を渡したら、アンタそれを回してくれますか」

それを聞いた銀さんは閉じていた目を開けて、目だけで僕を見た。そして、

「もしもお前がそうするなら、俺は縄のもう片端を神楽に持たせてから回す」

そんでお前を死ぬほど跳ばせてやるよ。

そう言うと、薄く笑ってからまた目を閉じた。




『枠』




枠に嵌らない、持て余すものを、無理矢理に嵌めようとしたら、枠が軋んだ。
枠の軋む音を聞きながら僕は今日も生きている。

僕が外の階段を降りようとしたら、丁度銀さんが買い物袋をぶら下げて下から上がって来た。
重たいブーツの底で大儀そうに階段を踏み付けながら、ゆっくりと上がってくる。

「どこ行くの」

銀さんが上段にいる僕の足に気付いて目線を上げ、訊いた。

「買い物に」

僕は答えて下段にいる銀さんを見下ろすと、その手がぶら下げている袋には、例の、飲んだら頭が悪くなりそうな乳飲料が入っていた。

「…それが切れてたから、買いに行こうと思ったんです」

頭が悪くなりそうな乳飲料を僕は指差す。
この、頭が悪くなりそうな飲み物を銀さんは毎日飲んで、毎日頭を悪くしないと不機嫌だ。

銀さんは、僕の返答にちょっとだけ笑い、

「お利口だな」

と、ふざけて言ってから、一旦止った足をまた動かして階段を上り、僕の横を擦れ違った。
擦れ違い様、前を見たまま、手の甲で僕の頬を二回、軽く叩いた。

銀さんがそのまま階段を上がり切ってしまった後も、僕はしばらくそこでぼうっと立ちつくしていた。
叩かれた部分に、いつまでも銀さんの手の甲の感触が残っていた。
そこだけが自分のものではなくなってしまったような部分に、指で触れてみる。

枠が軋む音が、また体の奥の方から聞こえた気がした。




『杭』




ソファでだらしなく寝崩れている銀さんを見下ろす。
緩みきったその様は、僕の期待や願望を全て裏切るようでいて、全てに応えるようでもある。

これは何だ、と、僕は思う。

僕はこの銀さんというのが一体何なのか、よくわからない。
僕にとっての何なのか、僕をどうしてしまうものなのか、僕はこれをどうするべきなのか、よくわからない。

傍に木刀が無造作に落ちている。
僕は何気なくそれを拾った。
そして、眠る銀さんの胸に切っ先を定めてみる。

たとえばこの木刀の先で、杭を打つようにその胸を貫いたら、この正体のわからないものは血の一滴も残さずに、一握りの砂になって風に吹かれて消えてしまうのではないだろうか。
そんなわけはないのに、そんな気がした。

何も気付かない銀さんは、だらしなく寝崩れている。
僕の期待や願望を裏切るように、或いは全てに応えるように。

僕にとっての銀さんは、その血肉を通り越して、僕自身の期待や願望で出来ているのかもしれない。




『池』




池のほとりに立つ銀さんの背を押して、水の中に突き落とした。

しぶきを上げた水面の波立ちが静まった頃、池の真ん中に、丸い小さな頭が浮き上がって来た。
水藻を纏わり付かせた丸い小さな頭が僕に言う。

「お前が今落としたのは、きれいな銀ちゃんアルか、それとも、かっこいい銀ちゃんアルか」

僕は答えた。

「違うよ神楽ちゃん。僕が落としたのは、きれいじゃない、かっこよくない、なんの変哲もないただの銀さんだよ」

神楽ちゃんは少し首を傾げて考えてから、

「お前は欲のない素直な奴アルな。褒美に、きれいで、かっこいい銀ちゃんをお前にやるアル」

と言った。
僕は、神楽ちゃんは子供だな、と思って笑った。

「神楽ちゃん。そんなの、もう銀さんじゃないよ」

笑う僕を見て、神楽ちゃんもすぐに気付いたようで、困って難しい顔になった。

「じゃあ、欲のない素直なお前にやれる褒美が何にもないネ」

僕は困って項垂れる神楽ちゃんに言ってあげた。

「いいよ。僕はご褒美が欲しいわけじゃないから」





『剣』




僕の細い腕は銀さんの剣だ。
持つものの少ない銀さんが持っている、数えるほどのものの内の一つだ。

僕はその腕で、銀さんの胴体を抱き締める。

「危ないですね」

刃物でそんな事をするのは危ないと思うのだ。

「危なくても関係ねぇよ」

銀さんは平然としている。
暗い、あまり目が利かない場所での曲芸まがいを、銀さんは平然として行う。

「どうしてですか」

危ないに決まっている。危なくないわけがないと思う僕は、怖くて仕方がない。
怖くて仕方がない僕は、腕を引っ込めてしまいそうになる。

銀さんは、引っ込めかけた僕の腕を掴んで止めた。

「お前、俺のもんを取る気かよ」

と、低くてきつい声で言った。
僕は銀さんに掴まれる腕に爪が食い込んで痛い、と思った。

「俺が持ってるものなんて、本当は、たった一個っきりっかねぇんだ」

昔から俺はそれだけを持って生きてきたし、それがなかったら俺じゃない。
それは俺そのものなんだ。

「そういうものをさ、お前、そんな理由で俺から取るっての」

そう言って、銀さんは掴んだままの僕の腕に額を当てた。









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