きつね

帰って来ない銀さんを探して歩いていたら、雑居ビルの隙間に稲荷の祠を見つけた。


ビルの隙間のそこは真夏の昼間だというのに暗く湿って、割れた石が敷かれた短い参道には苔が生えていた。
草履の裏が湿り気で水っぽい音を鳴らした。


銀さんはどこに行ったんだろう。
時々こんな感じで銀さんは、ふっと僕らの前からいなくなる。大体はくだらない用事で僕らを呆れさせるのが常だが、それでも銀さんの消え方があまりにも忽然としているものだから、僕らは懲りずに不安になる。

僕らは、僕らの見えない所にいる銀さんというものが不安だ。
僕らは結局、銀さんが何者なのか知らないのだ。


白い陶器の狐が対になって祠の前を守っている。萎れて首を垂れた、いつ供えられたか知れない榊の葉から、湿気が水滴になって落ちた。

祠に向かって何か拝もうかどうか一瞬迷ったが、結局止しておいた。
こんな禍々しい所に拝んでも良いことは何もないような気がしたからだ。
僕はさっさとここを出る事に決め、踵を返しかけた所で、目の端に止まった物にぎょっとした。


古びた祠の崩れかけた礎石の傍に、白い物がある。陶器の狐と同じ色の。


乾いた喉が固い唾液を嚥下した頃、それが白い布、もっと言えば人が着る着物だとわかった。
そして、布に混じるような色をした手が、上を向いて放り投げられている。手の傍には見慣れた木刀が転がっていた。


「銀さん」


礎石に背をもたれかけ、首を俯けてはいるが眠ってはいない。
湿気で束になった白い髪の間で、暗い、赤い瞳が開いていた。

銀さんの額からは血が流れ、顎を伝い落ちて胸の上に滴っている。剥き出しの右腕は何ヵ所かが裂けていた。


僕らは結局、銀さんが何者なのか知らないのだ。


銀さんが俯いたまま、打撲で鬱血した口元をひきつらせた。
それは笑ったように見えたが、ただ何かを言おうとしただけなのかもしれない。

口元をひきつらせた銀さんは、指先を動かして、触れた木刀を静かに掴んだ。そして、迷いない動きで持ち上げ、切っ先を僕の目の前に突き付けた。


「お前、これを掴めよ」


「掴んだら、どうなるんですか」


「狐に化かされる」


と、今度こそはっきりと笑った。

顔を上げた銀さんの赤い目の中で瞳孔が縦に細く見えたような気がし、僕はまた、僕らは銀さんが何者なのか知らない、と思った。


僕は突き付けられた木刀を掴み、手前に強く引いた。

自然持ち上がった銀さんの体はしかし、自力で支える事ができず、膝が伸びきる前に、僕の肩の上へ覆い被さるように倒れ込んだ。


銀さんが僕の首の後ろで


「化かされても知らねえからな」


と荒れた呼吸に混ぜて細く呟いた。

僕は、脱力しきって酷く重い銀さんの体に腕を回し、必死で支えながら言った。


「あんたが狐なら、僕は犬になります」


犬になって、満身創痍の化け狐を、何度化かされようとどこまでだって追いかける。









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