楽しいですか、フェブラリー

きんきんに冷えた外気が、開いた障子の30センチほどの隙間から大きな塊の形でわっと部屋の中に入り込んできて、冷めた風呂程には温まっていた部屋の空気を一遍に駆逐してしまったので、土方は腹を立てた。

障子を開けたのは山崎だった。




*






土方が山崎に対して抱く感情はおおよそ80%までが『ムカつく』なのだといって良かった。
じゃあ残り20%は何なのか、というと、どうせ『ムカつかない』ぐらいのもんだろうと思った山崎に、土方は

「次にムカつくための、伸びしろだ」

と回答した。
80%のムカつきは、更に増加する可能性を秘めているのだった。残り20%はそのための空き容量なのだった。内容はともかく、回答は意外と具体的だった。
山崎に対して土方が、そんなふうに多少は具体的な説明を加えられるくらいに何か考えていたのだという事は、山崎にとっては非常に驚きであり喜びでありそしてどこかしら気まずくもあり、だから少しおかしなふうに照れた感じになったが、土方は別に何という事もなかったので平然としていた。
なんでって、こんだけ粘着に自分に構ってくる者に対してなんかしらを思うのはそんなん当たり前だろが、と土方は思う。
山崎は平然としている土方を見て、え、そうなの、と今度は違う方にびっくりした。びっくりというか、がっかりした。
で、そういう山崎を見て土方はやはりイラッとしかけ、例の残り20%が、14%くらいになったのだった。

山崎が微妙に萎れて土方がムカつき、その日の話はそこで終わった。
何より仕事が忙しかったので。




*






今日は天気が悪く、日が差していた昨日より気温が下がった。二月半ばにもなれば最後の冬だ。朝から緩いみぞれが降ったり止んだりしていた。今日はそういう非番の日だった。
早く暖かくならないかな、と山崎は思い、土方は、寒い、と思っている。思っている内に、あっという間に夕方だ。ああ、明日はまた忙しいのだろう。

「副長、灯油を」

山崎が土方の部屋の障子を開けると、土方は背を曲げて炬燵にあたっていて、両手も炬燵に突っ込まれていて、口に煙草を咥えていて、煙草の先はだいぶ灰になっていた。
心得ている山崎は、土方の返事を待たずに室内に入り、手に提げた灯油タンクを土方が背中に背負っているストーブに落とし込む。下手に返答を要求すれば、おそらく伸びきった煙草の灰が下に落ち、落ちたといって、土方の怒りを買うからだ。全く山崎は心得ているのだった。

「入ります」

炬燵の事だ。これも山崎は土方の返答を待たないで、さっさと土方の向かい、でなく角隣の布団をめくって座った。土方は、目だけで山崎を見た。目だけで見たが、その僅かな筋肉の動きで、煙草の先の灰がぽろりと落ちた。
山崎は動体視力が良い。
ぱっ、と掌を差し出して、落ちた灰が炬燵に着地する前に受け止めていた。
受け止めた羽のように重さのない灰を山崎は、掌から、既に山盛りに近い灰皿へ慎重に転がし落とす。動作の流れは滞りなく呼吸のようだった。

山崎はもともと空気を読む事に長けている。読み過ぎて自分が空気になっている節はあるが、ともかく山崎は空気を読む。そして、その技能は土方に対して顕著に発揮されるのだった。と、山崎は誇っているが、それを土方が評価してくれているのかどうかは不明だ。相変わらず土方は山崎を見もしない。
外ではみぞれが酷くなっていた。あられに変わったかもしれない。屋根を打つ音が硬い。今夜は冷えるだろう。ストーブの灯油を継ぎ足した山崎の手柄に対しても、やはり土方は目もくれない。別にいいんですけどね。だって山崎と土方というのは、こういうものなのだ。

「メシ食いましたか」

そろそろ6時を回っている。
山崎はまた気を利かせた。土方は億劫そうに炬燵から手を出し、フィルターまで燃えた煙草を吸い殻の山のてっぺんに押し付け、また炬燵に手を仕舞ってから、ぶっきらぼうに、食ってねぇ、と言った。

「腹空いてますか」

「空いた」

「そうですか」

土方は休日を大体こうして過ごす。普段入りっぱなしになっているスイッチが全部切れて、全く使い物にならなくなって、ぼんやり部屋で座っている。山崎は空気を読むので、というか空気なので、使い物にならなくなっている土方の傍に寄っても邪魔にされないのだった。灯油入れ機、吸い殻掃除機、そういうものは、別に邪魔に思う程のものではない。

「これ」

灯油入れ機が何かを土方の前に置いて見せた。
新しく火を付けた煙草の煙に目を細めながら土方が見下ろすと、なんつうか、煙草くらいの大きさのそれより厚みのある箱だ。
土方は何故か一瞬それをコンドームだと思ってしまい、全く何の脈略もなくそう思ってしまい、

「ああ?!」

剣呑に発声した。
いきなりでかい声を出した土方が、なんか勘違いしたのだ、とすぐに山崎は察知しはしたが、そこでヘタを打てば土方の山崎に対するムカつきレベルが、一気に100%まで到達する事になるとわかっている心得た山崎は、すぐに感情を土方に沿わせて、決して嘘嘘しくなくビビってみせた。というか、大声には本当にビビったのだ。頭ではよおくわかってはいたが、体は反射的にビビった。

あわ、わ、と、昔あった音声に合わせて動く花のおもちゃ、何とかロック、それ的な動きを見せて土方の声に驚く山崎の、ある種狡猾な内心や、それでいてマジビビりな事など、実は土方は見抜いていた。

しかし山崎のそういうとここそが山崎であり、そんなもん知ってっし、別にどってこたねぇ、俺の静かな休日を阻害するようなもんでもねぇし、そう思いつつ、やはり土方はムカついた。

「…いやいや、これ食って下さい」

箱はコンドームではなく、食物、植物油脂と糖類の凝固物の箱だった。チョコレートだった。
土方は箱を手に取り、箱の6つの面を代わる代わる眺める。広い面2つ細長い面4つ。
ただのチョコレートでなく、見るからに金のかかったチョコレートだった。高級な洋物の、なんでこれをコンドームと間違えたのか自分でもわからない上品な包装の、それも、どこか女くさい、女の匂いのする、女の意図が読み取れる、そういうのだ。

「あんだこれ」

「チョコです」

「見りゃわかる」

ぽい、と土方が箱を放ると、箱は勢い炬燵の上を滑って、山崎の手に当って止まった。

「あ、嫌いでしたか」

「何のつもりだか知らんが」

気持ちの悪い事してんじゃねぇ、と土方はムカついた。
てめぇは買ったのか、この女くさい、女々しい、意図的な、そういうこれを、てめぇ金出して買ったのか。

気持ちが悪ぃんだよ、と土方は一気に静かな休日を台無しにされた気になる。ムカつく、ムカつかない、そういう問題ではない。根本的にアウトだ。
追い出してぇ、いますぐ。

「いや、ちゃいますって」

山崎は高級な包装をびりびりと千切った。
千切って箱を開け、たった二つしか入っていない菓子の粒を露出させた。蛍光灯に、黒い位の茶色が光る。

「最前、外歩いてたら、貰ったんです」

「誰が」

土方は適当に問いかけておいて、背中のストーブをずりずり後ろに押しやり、スペースを取ってから仰向けに横たわった。天井にあるシミを見上げた。伸ばした脛から下は、炬燵布団からはみ出した。非番なので着流しだ。炬燵から突き出た足は着物が捲れ、男の厳つい骨格と毛脛が顕わになっている。

「俺がです」

淡々と山崎が言った。

「ああ、総悟からか」

「何でですか。憐れまれたんじゃないです。ちゃんと女からですよ」

「ふうん。そら、マニアックな女だな」

はぁ、と山崎は呼吸のような気のない返事をし、そんな調子のままで、可愛くも可愛くなくもない女が屯所の前に立っていて、帰って来た山崎を見ると寄ってきて、異様に強引な仕草で山崎の手に押し付けるように握らせて、それから走って逃げたのだ、と事の顛末を土方に聞かせた。

「受け取って下さいって言われたから、受け取りました」

「へえ」

土方が煙草の煙を吐くように呟くのを山崎は聞いて、そこから何か、なんかしら読み取れるものがないかと探しはしてみたが、別に何も、全く何もなかった。ついつい寝っ転がっている土方の顔をちょっと覗き込んでみると、うっかり目が合い、それで妙な間が出来てしまった。土方が眉を片方だけ上げた。

あ、いかん。

山崎は会話を繋ぐ。

「食って下さい」

「それをか」

「はぁ」

「てめぇが女から貰ったものをか」

土方はまだ山崎を見ている。なんとなしに耐えられない山崎は目を伏せて、千切った包装紙の破片を指で集めた。

土方は時折、不意打ちみたいに山崎に対して具体性を求める。昨日話した、山崎に対する感情の件とかがそれだ。そういうとき山崎は驚くような嬉しいような気まずいような、そういう複雑な感情に襲われるのだが、ふと土方を見ると、まるで何でもない、平素の調子のままでいるものだから、少し孤独になる。そりゃ確かに感情の共有などという僭越な事は望みはしないが、だからってこれはないよな、と思うわけだ。

「まぁ、…そうです」

孤独な山崎はそう返答して、それから耳の後ろをかいて、そして目の前の菓子を見詰めた。

丸い、親指と人差し指を狭く丸めた位の大きさの粒だ。
山崎はこれを山崎に渡した女、顔の細部はもう思いだせない女に、口には出さず問いかける。


ねぇ君さ、これ、これは何なの、これはただの甘いカロリーの塊ではないの、こんなもんと一体、何を引き換えられるというの、俺はなんだか、よくわからなくなってきた、もしもまた会えるなら、俺は、この二粒の内の一つを君の顔面に叩き付けてやりたい、この硬い粒が君の柔らかいだろう頬にめり込むくらい、思っ切り、叩き付けたい。
そして、そして残りの一粒を多分、俺は。


がん、と炬燵が、下から蹴り上げられた衝撃で5センチ程もとび跳ねた。


あっ、と驚いた山崎が俯けていた顔を上げると、炬燵の上に所在なくなっていたチョコレートが転がって、一粒が下に落ちたのだった。落ちたチョコレートは炬燵布団と畳を転がり、ストーブの前で止まる。それを、伸びてきた手が拾って、口に入れた。

土方は口の中に入れたそれを無遠慮に咀嚼した。

「なんだこれ。中に何か、歯に悪そうなもんが入ってんぞ」

咀嚼しながら土方は、口には出さず吐き棄てる。


俺の休日が台無しだ。
そこにいるのは空気じゃなかったんか?一体何を、このチョコの中に入ってるような、歯や舌や喉に絡み付くもんになってやがる?
思い出せ、てめぇは、空気だ。

俺には、空気と、煙草が介在する空気しか必要ねぇ。


くちゃくちゃ音を立てて咀嚼を続けても、口の中のものは一向に飲み込めず、土方は難儀した。難儀して、いつまでも口をくちゃくちゃいわせている。
土方は無くならない口の中の物に、イラッとした。
イラッとして、ムカついた。

「…ムカつく」

ストーブを頭の上にした土方の声は、のぼせたように浮つくのだった。それを聞きながら、炬燵から突き出した土方の脛から足を、山崎は見ている。
骨太の足首に付いたくるぶしの大きさは、丁度チョコレートの粒の大きさだった。

「副長」

山崎が声を絞る。低く小さい、でも目標に照準を合わせた、圧の高い声だ。
体を深く前屈させて腕を伸ばし、土方の、男の骨格でしかない足首を取る。なにか収穫するみたいに。
山崎は唇の粘膜、それから歯で、土方のくるぶしに触れた。限りなく緩く。
土方は天井のシミを見上げながら、その感触を、ムカつく、と思った。

あられは降り続いていて、土方の山崎に対するムカつきの伸びしろは、惜しみなく使われた。




*






「おやすみなさい」

山崎が開けた障子から押し寄せた、きんきんに冷たい外気が室内を途端に冷やしたのだった。
そんなような外気の中に出て行く山崎の事を土方は少しも考えず、湿った皮膚に触れる空気の冷たさにただムカつく、腹を立てる。
一方で山崎は、体内に蓄えた体温とその他のために、冷えた空気の事など少しも気にならない。

障子が閉じられると、あられの音が土方には遠く、山崎には近くなったが、両者ともに考えている事は同じ、明日の仕事の事と、あの、屯所の前で山崎を待ち伏せていた誰とも知れない女の事なのだった。



山崎と土方にとって、楽しくもなんともない、二月は、単にただの二月であって。









<< prev   next >>

text

top



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -