デート

寒い。

とても寒くて、だから僕は銀さんの胸に腕を回して広い背中に自分の胸を密着させた。
夕飯の買い物の行き帰りだけの、とても短い、これはデートだ。
いつでも不調なベスパのエンジン音と耳元を通り過ぎる風の音だけが聞こえている。向かい風になびく銀さんのマフラーが僕の顔に被さって前が見えない。どうせ見えないのだから僕はマフラーの下で目を閉じて、そうすると耳はますます音を拾った。
しがみつく銀さんの体は頼もしく、着膨れしているから体温は感じないけどその頼もしい厚みが僕を守った。

音と、腕が感じる銀さんの体の形、寒さ、これが僕のデートだ。

さっきまで僕は銀さんとセックスをしていて、真っ昼間の明るい光の下でセックスをしていて、僕は2回いったけど銀さんはいかなくて、そういうのはセックスというのかどうなのか、そもそも僕と銀さんのあの行為はセックスというのかどうなのか、だから、僕は銀さんに訊きたかった。

どうしてあんたはこんなことを許してくれるんですか。

でも結局訊けなかった僕は、ソファの上で、浜辺に打ち上げられた正体不明の深海魚みたいに白い半透明のダラッとしたものになっている銀さんを見ながら、もし僕が訊いていた場合の銀さんの返答、みたいなものを勝手に想像した。
銀さんは、決して僕の自惚れでなく、僕に、僕らに一筋縄ではいかないくらいの愛情を感じていて、だからどんな無体な要望も大抵は受け入れてしまうのだ。

(だからお前、お前が俺に突っ込みたいって言うなら、それもやぶさかではねえっつうこった)

自分の頭で勝手に作り上げた銀さんの言葉は、僕の耳の中で銀さんの声で再生された。僕はその声とエンジン音それから風の音を聞きながら、前に伸ばした両手で銀さんの胸を、ジャケットの胸の部分を、握るようにぐっと掴んだ。

「寒いんか」

信号待ちの隙に銀さんが言った。

「はい、いえ」

ボケッとしていた僕は訳のわからない返事をしてしまう。慌てて、誤解を招くほど握り締めていた銀さんのジャケットから手を離した。離して広げた掌を冷たい空気が一舐めする。背中がぞくっとした。
銀さんは、片手でハンドルを握ったまま器用に自分のマフラーを外すと、こっちを向かないで、肩越しに外したマフラーを渡してきた。僕はその端っこを受け取ってずるずる引っ張った。そして、のろのろ首に巻く。
マフラーには銀さんの体温が移っていて、それから使い込んでいるせいで銀さんの体臭も染み込んでいて、僕はそれを首みたいな弱い部分に巻き付ることで、さっきの失敗したセックスよりもずっと銀さんに密着していると感じる。おかしな話だったが、本当にそう思った。
あんな事するよりもずっと、情愛(情愛?でも他に言葉がない)の遣り取りがスムーズだと思った。

「あの」

口で一回、中で一回。
僕は、赤ちゃんがお母さんにお風呂に入れられるように、銀さんに身も心も委ねて気持ち良くなった。
銀さんは赤ちゃんの世話に疲れてしまったお母さんのように、他の何でもなくただ、寝かせろ、と言った。
銀さんはお母さんではないのに。そして僕も赤ちゃんではないのに。
それでいて、やっている事は多分セックスと呼ばれる行為なのだから、事態はよっぽど複雑だ。

「あの」

銀さんは一度も欲望を示さなかった。そういう気分じゃなかったんだから当たり前だ。そして、僕にはそういう気分じゃない人をそういう気分にする技能がない。あればそれで良いというような話でもないけど。
問題なのは、欲望を示さない相手に欲望する僕と、欲望を示さないくせに相手の欲望を拒まない銀さんだ。
僕らは、一体何をやってるんだろう。

近付いた僕の眼鏡を銀さんが外す。眼鏡を外されると途端に僕の視界はぼやけてしまって、ものがよく見えなくなる。そうして僕は、次に眼鏡をかけるまで、目の無いいきものがそうであるように、触覚であるとか味覚、嗅覚であるとかの原始的な感覚だけがやたらと発達するのだった。
唯一残る高等な哺乳類としての機能が聴覚で、だから僕の理性は耳から聞こえてくる音に必死で縋りつくのだ。

新八。

銀さんが一度だけ僕を呼んだ声が、頭の中に、理性の根っこに、絡まってずっと残っている。そして、僕に考えさせる。

「あの」

どうしてあんたはこんなことを許してくれるんですか。

僕は、続く言葉をどうしても言えないで、中途半端な呼びかけは、口元まで埋めた銀さんの匂いのするマフラーの中に吸い込まれて消えた。

がち、と銀さんがベスパのギアを蹴る。僕は、はっとして目を上げる。信号が青になっていた。今度こそ本当に振り落とされないように、僕は冷えた指先で銀さんの肩に掴まった。ジャケットの肩が乾いてさらさらしていて、よそよそしかった。
僕が銀さんの肩に掴まるか掴まらないかでベスパは発進して、遠心力で僕の上体は仰け反った。仰け反った真上にある空は雲の影まで青く晴れていた。
晴れた空の真ん中に鳶が一羽、浮かんでいた。

僕は寂しいんだ。

僕が何を言ってもしても、銀さんは、うんとしか言わなくて、それは僕が望んだ事であるのに、うんと言われると僕は寂しい。
僕ばっかり2回もいって、銀さんはいかなくて、それも、してもらうばっかりで、そんなにしてくれなくてもいいのにくらいにしてくれて、僕は僕の理性を繋ぐ眼鏡を外されてしまって、ただの目の無いいきもののように。聞こえる音は、呼吸、心音、動物みたいな声、そして、空っぽな頭にぽつんと残された、僕の名前だ。
他の何かを聞こうとしても、僕の喉は塞がって、どうしても言えなくて、僕はただ銀さんのくれたマフラーに顔を埋める。

ああする事はあんたにとって何なんですか。
僕はあんたにとって何なんですか。
あの時呼ばれた僕の名前は、僕の名前である事以上に一体どういう意味があったんですか。

僕の眼鏡を外すあんたは、あんたも僕みたいな事を、考えているんですか。

ベスパは雑踏を真っ直ぐ突き抜けていく。
迷いがないように、ただ真っ直ぐ。僕は振り落とされないようにしがみ付くので精一杯だ。
エンジンと風の音、寒さ、青い空、しがみ付く銀さんの体の形、それだけの短い僕のデート。夕飯の買い物をするスーパーまでの。

ぼんやり景色を見ている内に、ふと、気付いた。

「銀さん。スーパー、行き過ぎました」

少し身を乗り出して銀さんの耳元で言ったら、銀さんの耳が寒さで赤くなっている。掌に包んで温めたい、と、銀さんの耳の感触を思い出しながら、ちらっと思う。
銀さんが言った。

「悪ぃ。考え事してた」

「何考えてたんですか」

僕は訊いた。
今度は喉につっかえなかった。

銀さんは

「お前の事」

と、言った。

言った瞬間に急ブレーキをかけて、突然、方向転換をした。

真横を通り過ぎていく車のクラクションが耳を刺して、僕は、死ぬ、と思った。反射的に腕を回した銀さんの首が締まって、銀さんは変な音を喉から出して、僕が悲鳴を上げて、そして銀さんは僕を首にぶら下げたまま怒鳴った。

「…って言えば満足か!」

その言葉は、ずっと銀さんの事を考えていた僕にとって、どうにも、無性に可笑しかった。
さらっと言えばいいのに。いつもみたいにどうでもよさそうに、お前の事考えてたんだけど、ってさらっと言えばいいのに。
酷い無謀運転のバイクの後ろで銀さんの首にしがみつきながら、自分でもよくわからないけれども僕は無性に可笑しくなって、何だかもうどうしようもなくて、笑い出していた。
笑いながら銀さんの首に巻き付いていた腕をほどいて、胸に掴まり直した。深く掴まって、前で交差する自分の手首を自分で握った。さっきよりももっと胸と背中を密着させた。

銀さんは今までとは正反対の方向にベスパを突っ走らせながら、

「あんまひっつくな、気持ち悪ぃ」

と、本当に気持ち悪そうに言った。

あんな事しておいて、ひっつくのが気持ち悪いとか。
僕は余計に可笑しくなって、歩道を行く人がこっちを見るくらいに笑った。
笑い過ぎてまた仰け反った空は、青くて、馬鹿みたいに広かった。

短くて、なんにもないけど、でも、これが僕のデートだ。

ひっつくなと言われた銀さんの背中に、僕は頬っぺたを思い切り押し付けた。





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