15

銀時は足元を見下ろした。

「てめえには、何の遺恨もねぇ。俺が歩く道端に、偶然、てめえという石ころが転がっていた。単にそれだけの事だ」

フェンスを越えたビルの最上部、その縁に手の指が10本、食い込むようにすがっている。
銀時の赤い目は、それを見ていた。

「だが、それはてめえにとっても同じだろう。俺もまた、てめえが歩く道端に転がったただの石ころだ。つまりこれは、石ころと石ころが何かの拍子にぶつかった、ただそれだけの事だ」

銀時の言葉に、ビルの縁にすがる男は治癒しかけて黄色く変色し始めた口元の痣を歪ませて、笑うような表情を浮かべた。

「悪い巡り合わせってやつだ」

銀時のその言葉を聞いた男は、ぶら下がる体を何とか持ち上げようとしながらも、より笑った。
銀時もまた笑った。



銀時に依頼をしたのは、この男の兄貴分だった。
銀時とこじれてからこちら、男の行動は男の組織の手に余った。対銀時についてではなく、全く別の場所で男は男の組織に散々迷惑をかけたらしい。失ったものを取り返そうと焦ったのだろう。
組織はそれを銀時に『始末してくれ』と依頼した。
どういう意図の選任か、知りはしないが世の中とはこうしたものだ。極めてシステマティックに動きながら、その中に酷く有機的な人間の感情が入り込んで蠢いている。
そういう在り方に嫌悪感を覚えるほど銀時はウブではない。たとえば新八あたりなら騒ぐのかも知れないが、銀時はこの程度の事でいちいち騒ぐほど潔癖ではないし、大体そんな暇はない。

銀時は言った。

「 俺はこの街が気に入ってるんだ。俺を生かしてくれるからな」

「………」

「この街っつうか、この街の人間がな。街が何で出来てるかっていやぁ、結局人間だ。だから俺は、この街の奴等とは出来れば仲良くやりてぇ。この街と仲良くしていてぇんだ」

「ご立派な考えだ」

強いビル風が吹いて、ビルの縁に佇む銀時の着物や髪を巻き上げた。
男は風圧に必死に耐えながらビルの縁にぶら下がり、自分にとっての殺人者を見上げた。
巻き上がった髪の下の目は、その異常な色のせいか感情が欠落しているかに見える。
殺される、と男は確信した。

「できれば、テメエともうまくやっていきたかったんだがな。依頼とあっちゃ仕方がねぇ」

そう言いながら、平和主義の殺人者は足を上げた。
ビルの縁に食い込んで剥がれそうな爪に、男は顔を歪ませている。その中には既に笑いはない。歪んでいるのは恐怖でだ。

「遺恨がねぇだと?嘘を吐くな」

「淫売がきれいな事を言うな」

「テメエは俺をぶち殺せるのが、嬉しいんだ」

「てめえは淫売の人殺しだ」

「何を思ってようが、言おうがな!」

銀時は15センチほど上げた足を上げたままで止めた。

「…そうだな」

と銀時は男を見下ろしていた視線を上げ、目の高さに広がる街並みを見た。昼の白い光の下、街は静かに仮死している。

「テメエには腹が立って仕方がない。ずっと何事もなく静かに収まってたもんが、全部まけ出た。あん時、テメエを撃とうとしたのが新八でさえなかったらなあ」

風に煽られ、男の片手がビルの縁から離れた。
男は本能的な悲鳴を上げた。
助けてくれ。

「…テメエの言う通り、俺は淫売で人殺しだ。何を考えていようがな」

だから、これは言い訳だ。

銀時は街並みを見る視線をまた男に戻した。
男は離れた片手で何かを掴もうとするように、無様にもがいている。
銀時はその様子に目を細めた。

そして

「言い訳くらいさせてくれよ」

と呟くと、持ち上げていた足をビルの縁にすがる男の5本の指の上に下ろし、強く踏みにじった。








銀時の指が白いガーゼを剥いだ。
今まで耳を覆っていたそれがなくなり、新八は耳が寒いと思った。

「聞こえるか」

左耳に吹き込まれた銀時の声は、息継ぎまでがはっきりと聞こえた。
新八は首を縦に一度振った。
ガーゼを取られて寒い耳には、体温を伴った声が温かかった。

「めでたし、めでたし」

銀時はふざけて言い、手の中でガーゼを丸めた。

「…まだ、めでたかないですよ。あんたの腹の穴が塞がってないでしょうが」

新八は銀時の手からガーゼを取り、部屋の隅のごみ箱に向けて投げた。丸まったガーゼはごみ箱の縁に当たって床に落ちた。

「あんたはほんとに好きですね。なんもなかった事にするのが」

「俺は平穏無事なのが一番だと思っててね」

「そうですね。あんたの平穏の下で、何かが踏まれてたとしてもね」

「なに?喧嘩売ってんのか」

「別に。今更」

新八は銀時から目を逸らして窓の方を見た。
青い空の端っこに電線が何本か。そしてそれに平行して向かいの家の屋根が見える。
なんでこんな色気のない景色を気に入っているのか我ながら不思議だ。

「聞いてもいいですか」

「何」

「なんで僕に抱かれたくないの」

窓から視線を戻すと、銀時は、蒸し返しやがった、という顔をしていた。

成る程、銀時は平穏を愛しているのだろう。
見知らぬ男に体を使わせて平気であったのは、それが銀時にとって日常の、平穏の一環だったからだ。あのような事でも、彼の日常に組み込まれれば彼にとっては平穏なのだ。
しかし自分とどうにかなる、というのは日常ではない。大きな変化だ。
そして変化は、良かれ悪かれ平穏を壊す。

「ねえ、あんたはつまり、なんかが変わるのが怖いんですか?」

僕が怖いというか、僕が変化する事が怖いのか。

「それで、僕と寝ないわけか」

自分に知られても身売りを止めなかった事と、自分に抱かれる事を拒否する事は、つまり同じ所に端を発しているというわけなのか。

銀時は勝手に喋る新八の向かいのソファで、ゆっくり横向きに横たわり、それからさもだるそうに足を伸ばして体の前面を天井に向けた。手を腹の塞がりきらない傷の上に載せる。

「お前って奴はつくづく恐ろしい奴だよ。地味に黙ってるかと思えば、急にそうやって、畳をめくるみたいにして、足下に隠されてたもんもみんな暴く」

「大掃除するなら全部きれいにしたいんですよ、僕は。掃き出せる埃があるなら、畳くらいめくります」

「お前の大掃除は痛ぇんだよ」

「埃を溜めっぱなしにしといた癖に何だ」

「…俺はなんかが変わるのが嫌だ。今、生きてられてるのに、もしなんかが変わったら生きてられなくなるかも知れねぇからな。埃が溜まったからってどうだっていうんだ。大掃除する事で生きてられなくなるかもしれないなら、俺は埃の上に何枚でも畳を重ねる」

「一緒にいる人間が、埃が嫌だって言っても?」

「だから俺は、お前が俺の身売りに付き添うって言ったのが嬉しかったんだよ。埃を拒否しなかったから」

「はあ…そういう事ですか」

新八は、どうしようかなあ、と思った。
ようやくめくった畳の下に溜まっていたのは、相当に厄介な埃だ。
掃き出してやれば喜ぶというわけではないらしい。

「俺はお前のその掃除癖が怖い。お前みたいな掃除魔を近くに置いといたら、次は一体どこに埃を見付けやがるかわかったもんじゃねぇ」

「僕だって、あんたと一緒にゴミ屋敷に住むのは嫌だ。…銀さん、僕を追い出す?」

銀時は天井を見ていた目を新八に向けた。
変わった色だと新八は思う。
赤い、血の色だ。
銀時の体内の色が、色素の薄い網膜から透けている。

「無理だね。残念ながら、お前は俺の平穏なんだ。既に」

「僕も無理です。出てけって言われたら、今度こそあんたを殺して僕も死ぬ」

なんという事だ。
絶望的だ。どこにも出口がない。
掃除されたくない人間と掃除せずにいられない人間。しかも両者は離れる事が出来ないのだ。
これは一体、どういう悲劇だ。

新八は、まだ外気に慣れない左耳を掌で覆った。
こうすると、銀時に鼓膜を破られて聞こえにくかった時と似た感じになる。外の音がぼやけたように聞こえにくく、自分の中の音が籠ってやたら響く。
外の音が聞こえない代わりに、自分の声がよく聞こえるのだ。
新八は左耳を塞ぎ、内向する聴覚で自分の声を注意深く聞きながら言った。
ある種の覚悟をもって。

「わかりました」

「なにが」

「あんたの性分も僕の性分も、もう変えようがない。だったら、あんたはいくらでも埃を溜め込めばいい。僕は必ず見付けて、端から掃いていきます」

「それが嫌だってのに、わかんねぇガキだな…」

「あんたは埃がなくなったら、変わったら、生きてられなくなるかもしれないのが怖いんでしょ?」

「そうだよ」

「だったら、僕が、埃がなくなった責任を取ります」

「何?」

「あんたは、生きてられなくなるかもだとかビクビクする必要はない。僕が、埃がなくなってもあんたが生きてられるように、色々するから。あんたは僕に全部任せて、きれいになった畳の上で寝てればいいんだ。
けど、もしも僕が失敗して、銀さんが生きてられなくなったらその時は、僕を追い出す、のが無理なら、」

「無理なら、何」

「…また眼鏡でも割れよ」

体の中の色が透けて見える目玉、なんてものを持って生まれた銀さんは不幸なんだろうか。他の人なら刃物でも使わないと体の外に出せない色を、銀さんは目を開けているだけで人に知られてしまう。
本人はどう思ってるかは知らない。でも僕は、それでいいと思う。
埃を隠す代わりに、最も隠すべきそれを剥き出しにしてくれている。だから、僕はそれでいい。僕はそれがいいんだ。

新八の言葉を聞いた銀時は目を閉じた。
そして両腕を交差させて顔の上に乗せた。

「銀さん」

銀時の中が覗けなくなった新八が呼ぶと、銀時は

「お前が怖い。お前みたいなもんに掃除されたら、俺は一体どうなってしまうんだ」

と重ねた腕の下から細く呟いた。
瞳が見えないと、銀時の中身が見えない。新八は立ち上がって銀時の傍に行き、顔の上で交差された銀時の腕を取った。
軽く力を入れただけで、それは持ち上がった。
銀時の目蓋は開いていて、傍に立つ新八を見ていた。
鋭く絞られた赤い目が、明らかに怯えていた。

「淫売のくせに、銀さん、あんたは処女みたいだ」

「生意気な事言うな童貞」

そう吐き棄てて、銀時は目を閉じた。

「銀さん、」

抱かれるのは嫌だが、口を舐めさせるならいい。
新八は床に膝を付き、銀時に許されたそれをしようと彼の仰向いた体に被さったが、唇が触れる直前に銀時は、タイミングを見計らったように

「…寝る」

と言った。

「………」

新八は張り倒してやろうかと思ったが、この腐れ処女をこれ以上怯えさせてはいけないと思い、閉じた口の端に唇を押し付けるだけで許してやった。




*




雑巾で床を拭く。
最近バタバタしていたから、部屋の隅には綿埃が蟠っている。
神楽はそんな事を気にもしないし、銀時は気にする時としない時の差が激しい。結局、万事屋の掃除は常に気にする自分の仕事になるのだ。

埃でザラザラする雑巾をバケツで絞る。
銀時は、まだソファに伸びている。
新八は無視して、熱心に掃除を続けた。

「新八」

「なんすか」

床の目地に挟まった埃が取れない。新八は銀時の声を背中に聞きながら、しゃがみこんで埃と格闘した。
そうしていたから、銀時がいつの間にか起き上がって、自分の背後に立っていた事に気付かなかった。

銀時の足が、床に置かれたバケツをゆっくりと蹴倒した。
静かに転がったバケツから水が流れ出た。
新八は呆然と広がっていく水を見詰めた。

「新八」

「何で…」

唐突な行動に反応が追い付かない。
肩越しに振り返って、銀時を見るので精一杯だった。
銀時は、水浸しの床に足を浸けて新八を見下ろしていた。

「お前、忘れてないか」

「何をですか」

銀時の足下は水浸しだが、新八の足下も同じだ。あっという間に水を吸った袴の裾が重い。

「掃除。たまには俺だってやってんだぜ」

何の事だ。

と、言おうとした瞬間、新八は水が広がる床の上に押し倒されていた。









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