13

眠っている銀時の横顔を見る。
今更、銀時の顔形など気にもならないが、ただ、その高くも低くもない鼻梁の形だけは気に入っている。
横から見るとそれの形がよく目立った。

万事屋の窓から外を見ると、向かいの建物の屋根瓦と何本かの電線が平行になっている。新八はその風景が好きだった。
別段、美しくも華やかでもない些細なそれを、新八は気に入っている。平凡な日常の内にある、ささやかな愛着だ。
銀時の鼻梁はそれと同じだった。
酷くささやかな、平凡な愛着。
だが、失ったらきっと泣く。



仄かに愛着する鼻梁から唇、顎、喉へと滑らせた視線は、やがて首筋まで下りたところで止まった。
銀時の頸、耳朶の端から指三本分下りたところに薄赤い鬱血痕がある。視線はそれに引っ掛かって止まった。

いつまでも消えないそれは情痕で、銀時と、そして新八が累ねた紛れもない罪科の証拠だった。

銀時は眠っている。
新八は静かに椅子を立ち、銀時が眠るベッドの傍らに膝立ちになると、銀時の頸に顔を埋めた。
柔らかい髪が頬や額に触る。優しい感触に目を閉じ、新八は唇に触れる銀時の首の筋、真っ直ぐに伸びたその上に薄く残る情痕に唇を当てた。

皮膚の下を走る動脈が脈打っている。それを唇が感じる。
その事に深い幸福を覚えながら新八は、銀時に残る罪科の痕跡を強く吸った。

いつまでも消えないのなら、塗り潰せばいい。




*






怒っているような歩調で個室に入ってきた神楽は、入って来たままの歩調で銀時に近付いた。
新八を、まるで薬屋の入り口にあるゾウの人形であるかのように無視して銀時に近付き、眠る彼を見下ろした。しばらくそうしてから

「銀ちゃん」

と呼んだ。

「私がわかる?」

神楽の声はよく通る。
その高く透明な声は、白濁した睡眠の淵にいた銀時に届いた。
銀時の目蓋がゆるゆると持ち上がり、赤い網膜に神楽を映す。

「…ああ、わかる」

銀時の声を聞いた神楽はベッドの枕元に立ち尽くしたまま、胸をみるみる波打たせた。
そして『えーん』と声を上げて泣いた。

嗚咽に波打つ神楽の胸は、少し膨らみ始めている。そうであるのに、彼女の泣き方はまるで幼児のようだった。



新八は銀時を時に動物のようだと思うが、神楽の事はもっと動物のようだと思う。
彼女に礼儀や理屈はない。胸の奥の衝動をそのまま行動にする。そして、それを恐れない。

神楽は何の脈略もなく突然銀時の手を握ると、ずっと離さなかった。強すぎる握力に銀時が痛いと言っても離さなかった。
何か口実がなければ、たかがそんな事も出来なかった新八とは違った。

彼女は逞しい、といつかと同じ事を新八は思った。




*






銀時には絶対に言えない。

大きく切られた窓の向こうを神楽が身を乗り出して眺めている。病棟のロビーに燦々と降り注ぐ光を浴びる神楽は窓枠に肘を付いて、背が足らないせいで少し爪先立ちになっていた。その爪先で調子を取り、光を気持ち良さそうに浴びながら微かに鼻歌を歌っている。

銀時には絶対に言えない。
銀時は何よりもそれを恐れていた。

神楽は、銀時のやっている事を知っていた。



「何も聞かないの」

新八が訊く。
訊かれた神楽は、相変わらず機嫌よく鼻歌を歌いながら外を見ている。
思いのほか銀時が元気そうで安心したのだ。




*






神楽には新八が喋った。

彼女は動物のようだったが、だからこそその嗅覚は鋭かった。そして嗅覚が感知した何がしかを具体的に知るために取った手段は、やはり動物じみていた。



その日、窓際で向かいの建物の屋根瓦と電線が平行になっているのを眺めていた新八は、なんの前触れもなく背後から突き飛ばされた。
前のめりに空中に上体を踊らせた新八の視界に、ぶら下がった自分の両手と、数メートル下の舗装された地面が妙に近く見えた。

新八を突き飛ばした神楽は、背後から新八の足首を掴んでいた。
その手を離されれば新八は落ちる。しかし、もう少し持ち上げられても新八は落ちる。

「神楽ちゃ」

落ちる。

と言った新八の足首を、神楽は少し持ち上げた。支点がずれて、新八の体は平衡を失いかける。
瞬間、背中に冷たい汗が流れた。
離せとも言えない新八は、氷の塊のような固い唾を飲んだ。逆さまになった体の中を唾液はなかなか下りていかなかった。

「新八。お前、どうしたよ?」

神楽の口調は時々銀時に似ている。
彼女は銀時になつくあまり、意識してかどうなのか、よくその真似をする。

「どうって」

小さい銀時に突き飛ばされた新八は、耳から外れそうになる眼鏡のレンズを押さえた。自分の手に塞がれて視界が狭くなった。

「お前だけじゃなくて、銀ちゃんもな」

「いきなり何だよ。何すんだよ。何言ってんの」

「…新八ぃ」

と、楽が新八の足首を掴む手を開いた。
途端に重力に引っ張られた新八が悲鳴を上げて落ちかける。跳ね上がったその踵を、神楽の掌が止めた。

「新八ぃ」

神楽は繰り返し新八の名を呼んだ。
そんな仕方で恫喝する声音は、そのくせ今にも泣きそうだった。

「何か隠すなら死ぬ気で隠すネ。それが出来ないなら、最初から隠すな」

逆さまになった頭に血が上る。
新八の踵を押さえる神楽の声が血が上った頭の中に浮ついて響いた。

「お前も銀ちゃんも、一体何してるアル。私に隠して、何してる」

「神楽ちゃん。落ちる」

「落ちればいいネ」

右の踵だけを支点に、中ずりになる新八の背後で神楽は泣き出していて、毒吐く声は嗚咽に震えていた。

「二人して私を独りにして」

神楽は新八の踵を押さえながら泣いた。

『えーん』と声を上げるそれは、まるで幼児の泣き方だった。

「神楽ちゃん、ごめん。君に気付かせた僕らが悪い。でも、言えない。どうしても言えないんだ」

幼児のような嗚咽を上げる神楽に新八は言った。

銀時は神楽に知られる事を恐れている。
何より、新八は神楽を盾に銀時を恐喝している。神楽に知られれば、あの権利を失う。銀時の行動に介入し、力の抜けた銀時に寄り添って眠る、あの権利を。
自分は汚い。あの薄暗い特権のために神楽を犠牲にしようとしている。

「どうして言えないアル」

「それも、言えない」

新八が話す言葉の文脈は、以前銀時が自分に吐いた不実な言葉とことごとく似てしまっていた。
似ている、と気付いた新八は眼圧が高まって鈍痛がする目をきつく閉じた。

「銀ちゃんに訊く」

「だめだ!」

叫んだ新八の足首が急に引かれた。
勢いよく室内に引きずり込まれた新八は窓枠に顎をぶつけ、ついでに舌を噛んだ。

引きずり上げられた新八は窓の下の壁を背にへたり込む。
新八の前で神楽は立ったまま俯いていた。表情は伺えず、肩が震えているのだけが見えた。

「私をのけ者にして」

畳の上に涙がいくつも落ちる。新八は噛んだ舌が痺れていた。

「のけ者にしたいわけじゃない」

「じゃあ言えヨ」

「銀さんが、君に知られたくないって言ってんだよ」

不自由な舌で言った瞬間、それが言うべき言葉ではなかったと新八は咄嗟に後悔した。
神楽は一度銀時に棄てられかけている。銀時から距離を置かれることを神楽は何よりも恐れている。銀時が神楽に愛想を尽かされる事を恐れるのと同等か、或いはそれ以上に、神楽は銀時に棄てられる事を恐れている。
二人の人間の恐れの間に新八は挟まれている。
新八は、二人の恐れを恐れている。

新八は迂闊な発言を後悔したが、遅かった。
髪を掴み上げられた新八は後頭部を壁に打ち付けられ、目の前が一瞬白くなる。

「新八ぃ。だからお前はダメなんだよ」

神楽はまた銀時の口調を真似て言った。

「あのアホが何を言おうが関係ないネ」

「そうもいかねんだよ」

「お前もアホだから、すぐあのアホに騙されるネ」

神楽は新八を哀れむ目で見、刺繍の入った袖を使って、顔の涙や洟をごしごしとがさつに拭いた。

「私は騙されない。アホじゃないから」

へたり込む新八の前にしゃがんでいる神楽の足がある。
ほっそりした平べったい足の甲の先に、銀時とも自分とも違う繊細な作りの指が5本揃っていて、その先には薄い半透明の貝殻に似た小さい爪が載っていた。

「アホと、アホに騙されたアホで、何をしようっていうアル」

さくら貝のようだ、と新八は神楽の爪を思った。

「うちの中で今、アホじゃないのは私だけ。その私をのけ者にするアルか」

神楽は孤独に怯える可憐な少女でありながら、動物だった。
理屈が通用せず行儀が悪く、何よりも逞しい。
思うままに振る舞い、複雑な事情に影響されない。だから彼女の思いは何にも害されないで、いつも真っ直ぐだった。
神楽は正しい。自分と違って、いつも正しい。

あの事実を知った時、新八はその場にいない神楽に助けを求めた。
神楽の素直で単純な逞しさに何度も助けを求めた事を思い出した。



「…銀さんは、」

あの薄暗い特権と神楽の正しさ。
銀時の恐れと神楽の恐れ。
自分はどちら側に組するのか。

あの時、新八は銀時に『選べ』と言った。神楽に知られるか、自分を付き添わせるかを選べと言った。
今度は自分が選ばされる番だった。可憐な動物のような少女が、言外に選べと言っていた。

新八は深く息を吸い込んだ。



神楽のさくら貝のような爪を見詰めながら新八は、銀時を裏切り神楽を選んだ。




*






「銀ちゃん何であんな怪我したネ?」

「銀さんに酷い事しようとした奴を僕が撃とうとしたら、逸れて、銀さんに当たった」

「お前が撃った?」

「そう」

「お前、耳をどうした?」

「銀さんに殴られて、鼓膜が破れた」

白い光を肩に浴びる神楽は、陽に照らされて光る埃に目を細めた。

「本当にお前らはアホアルな」

と、歌うように言う。

神楽は、銀時の売春を管理していると言った新八を責めなかった。
もし自分がお前なら同じ事をしただろうから、と彼女は言い、それから鼻血が出るほど新八を殴った。

また殴られるかと思った新八は、こちらを向いた神楽に対して少し背中を反らした。

「殴る?」

「殴らない。怪我人だから」

彼女は膝を広げて新八の向かいのソファにどさりと座り、飲みかけのジュースのパックから行儀悪くストローの音を立てて残りを吸い上げる。パックを持つ神楽の指先で、ヘタクソに塗られた透明なエナメルが陽を反射して光っていた。

「結果がよければ何でもいい。最期に笑えれば上々だって、私のマミーが言ってたネ」



「じゃあ、もし銀さんが死んでたら?」

神楽はジュースを吸うのを止め、上目遣いに新八を睨め上げ

「…だからお前はダメなんだよ、新八」

と、例の銀時の口調で言った。



結果がよければ何でもいいと言ったばかりなのに、どうしてそんな事を考えるのか。



小さい方の銀時は、大きい方と違ってつくづく正しかった。









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