12

新八はゆっくりと、傷に障らないように銀時の体の上に体を落とした。
背中を撫でる銀時の掌が広い。頬に触れる鎖骨は冷たかったが、それを覆う血肉には温もりがある。

「俺は、お前に殺されても仕方なかった」

鼓膜を破られた左耳が上になっている。銀時の声は、まるで水の中にいるように籠もって不確かに響いた。

「…銀さん。よく聞こえません」

「殺されたって仕方ない。当然の報いだ。けど俺は、お前にそんな事をさせたくない。一体俺は、どうやってお前に詫びればいい?今すぐ死んでみせればいいか?」

「銀さん。聞こえない」

「聞こえなくていい」

銀時は新八の背中を撫でていた掌を、着物を巻き込んで握り締めた。

「俺は、お前がいつから俺をつけてたかも、お前が俺をどう思ってたかも全部知ってた。知ってて、ああいう事をして見せた。俺が男にやられて善がるのは事実だし、お前に見られて感じてたってのも本当だ」

俺は救い難い人でなしだ。

銀時の言葉は、鼓膜が破れた新八には水中で魚があぶくを吐いているように聞こえた。
あぶくは銀時の口から吐き出されるなり、掴もうと伸ばした新八の指の隙間を通り抜け、不規則に光る水面に向かって揺れながら上っていって静かに弾ける。その中に含まれた毒ごと、銀時の言葉は向ける対象もなくそうやってただ消えた。
新八はあぶくが通り抜けた指を動かして銀時の冷えた指を探したが、傷を気遣って制約を受けた動きのせいで見付ける事が出来なかった。

「お前が俺に付き添うって言った時、俺はお前の頭の具合を本気で心配した。まさか、お前がそんな事まで言い出すとは思ってなかったからな」

新八の着物を巻き込んで握られる手の力は次第に強まった。やがて手だけでなく腕の力も強まり、新八は銀時の身体に伏せながら、銀時の片腕に締め上げられた。
締め上げられた新八は、銀時の体温と脈拍、呼吸を直接に感じる。
手を握りたい。
そう思うが、動きを封じられているために叶わない。
新八はただ一方的に抱き締められ、一方的に銀時の存在を感じさせられた。

「けど、俺はその時、喜んでた。お前がついて来るって言った時、俺は嬉しかったんだ」

新八は抱き潰されながら首を捻じ曲げ銀時を見上げた。

「銀さん。あんたと寝たい。僕に抱かれてよ」

「俺はお前らに棄てられたくない。そんなのは死ぬより嫌だ。だから俺の最低な部分を見たお前が、最低な部分を共有すると言った時、というか言ってくれた時、俺は間違いなく、嬉しかった」

「どうして僕とセックスすんのが嫌なんですか」

「俺がバカをしないように管理するだって?お前はそう言いながら俺をやり込めてやったと思ってたんだろうけど、違うね。俺は喜んでたんだ。お前がブチ切れてる前で、俺は喜んでたんだよ」

新八を背骨が折れる程に締め上げる銀時の目は、真っ直ぐ天井を見上げている。
新八は銀時が作る極めて狭い空間に閉じ込められて、銀時の言葉だけを聞かされる。
答えは返らない。しかしそれでもいいと思った。

だって僕は、ずっとここに入りたかった。

言葉にされない回答は全部ここにある。散らかったこの中から探し出せばいいのだ。

「俺は完全に人でなしだし、お前らに棄てられたくないなんて言う資格はない。わかってんだ。わかってっけど、嫌なんだ」

「あんたのような臆病者を棄てられる程、僕らはタフじゃないです」

見上げた視線を水平に戻すと、銀時の腕で切り取られた視界に屋外の景色が明るく映った。真昼の白い陽光が降り注ぐ下で、街は静かに仮死している。
仮死する街は夢を見るのだろうか。見るとしたらそれはどんな夢なのか。深夜の狂騒を懺悔する夢だろうか。

「あんたが何をしようと、僕らがあんたを棄てる事なんて有り得ない。あんたが臆病なのと同じ位、僕らも臆病者だから」

抱き締める腕の力が一層強まり、新八の頬が銀時の胸の上で潰れた。
潰れた頬に、銀時の胸が小刻みに震えるのが伝わった。

目に白い街並みを映しながら、新八は手を動かして銀時の点滴で冷えた指を探した。今度はすぐに見付かった。
新八は探り当てた冷たい指を手の中に包み込む。僅かずつ冷たい指に自分の体温が奪われていくのを感じながら新八は思った。

この幸福のためなら、体温なんか全部くれてやってもいい。




*






銀時の腕の力が緩まる。
緩まった片腕が新八の背中からシーツの上に微かな音を立てて落ちた。

新八は銀時のもう片方の手を握ったまま体を起こした。
銀時の目は真っ直ぐ天井を見上げている。目蓋が寝起きのように腫れて、眦が濡れていた。

「口。キスしていいですか」

「…何を、今更」

許された新八は、喋り過ぎて乾いた銀時の唇を唇でそっと触り、それから舌で舐めて潤した。
銀時は天井を見上げる腫れた目を開けたままだった。

「僕らを試したんですか」

接していた唇を少し離し、新八が訊く。銀時は腫れた目を一層細めて言った。

「結果として、そうなった。試すなんて大それた事が俺に出来ると思うか」

シーツに落ちた腕を新八の後ろ頭に当て、ぐっと押し付ける。
触れた鼻先が冷たい。さっきまで死んでいたからだ、新八はそう思った。
指も鼻先も体の末端はみな冷たく、死んでいた時の名残がある。しかし自分の胸が接している胸は蘇って温かく震えている。

この胸の温もりを末端まで巡らせて、全身を蘇らせたい。

「でも、結果として僕らは試された。で?それで試した結果、あんたは僕らに満足できたんですか」

「満足した。でも、その過程で、わけのわからないものが現れた。そいつは俺を抱かせろとかとんでもない事を言う。言うだろうなとは思ってたけどよ。でも実際に言われてみると、」

銀時は頸を上げ、新八の下唇を軽く噛み、そしてすぐ離れた。

「…まあ、相当ショックだな」

「キスはいいのかよ」

「お前も定春に口を舐めさせるだろ。かわいいから」

新八は体を少しずり上げて銀時の顔を覗き込んだ。先程まで天井を見ていた銀時は、今度は新八の顔を真っ直ぐ見ていた。
眦が腫れて湿っている。
赤く腫れたそこに唇を当て、湿り気を吸い取った新八の下で、銀時の胸がまた戦慄いた。

「僕は、かわいいから抱かせろって言ってんのに」

「俺にそういう回路はない。無責任で申し訳ありませんが、ないもんは仕方ねぇ」

だからお引き取り下さい。
お願いだから。



新八は銀時の頭の両脇に手を付いて上体を擡げ、そして完全に起き上がった。銀時の胸に跨がって座り、彼をしみじみと見下ろした。

見知らぬ他人に身体を許すくせに、かわいがりたいと言う者は頑なに拒む。

「銀さん」

「何よ」

「あんたの目、変な色だよな。赤くて」

「そうだな。気持ち悪いか?」

「…お登勢さんが教えてくれたんですけど、あんたは色素が薄いでしょう、だから目玉の下を流れる血の色が透けて見えてるんですって。だから、あんたの目の色はあんたの血の色らしいですよ。知ってた?」

「へー。そうなの」

「あんたは呆れるほど隠蔽体質ですけど、普通の人が当たり前に隠せている体の内側の色を実は隠せてない。あんたは自分の目を見る事が出来ないから知らないのかもしれないけど、あんたが何気なく僕らを見る度に、あんたは僕らに最も隠すべきものを見られてるんだ」

銀時は上下の前歯の間隙を広げ、溜め息を吐くように笑った。
細めていた目蓋を持ち上げ、大きく目を剥いてみせる。

「今は、何が見えるよ」

新八は指先で、銀時の目元を撫でた。今拭ってやったはずが、指先は湿り気を感じた。



「何が見えてると思いますか」

目元を何度も撫でられる銀時は、皮膚の薄い部分への摩擦にしばらく耐えていたが、やがて諦めたように目蓋を下ろした。




*






ベッドから降り、さっきのように丸椅子に座る。

「あの時、」

小さな声で新八が言う。

「いつ」

銀時の声は新八以上に小さく、囁くようだった。

「僕があんたの売春について行くって言って、あんたが来るかって訊いた時」

どうして、僕の言った事なんか、知らないふりをしなかったんですか。
もう止めたって言って、知らないふりすれば良かったのに。

新八の言葉に銀時が新八を見た。体の内側が透ける、その瞳を新八に向ける。

「そうしたくても出来なかった」

「どうして出来なかったんですか」

「…」

銀時は答えない。

新八はシーツの上に載る手をまた取った。
天井では透明の袋がぺしゃんこになっている。点滴は終わっていた。触れた指は徐々に温まってきて、新八の体温を奪うばかりではなくなっていた。

「銀さん」

この臆病ゆえに不誠実な人間から、敢えて言葉で聞きたい。表面を取り繕うためではない、真実を語るための言葉で聞きたかった。
この縺れきった糸の先に付いている儚く脆い真実、みたいなものを手にしたいのだ。それには他ならぬ銀時自身による保証書を付けてもらわなければならない。銀時自身が捺印した保証書が要るのだ。

「…俺は」

銀時は呟くように言った。
新八を見る赤い目が、微かに笑っている。

「やっぱり僕を馬鹿にしてたんですか」

「違ぇよ」

銀時は目を笑わせたまま、新八に握られた指を少し動かした。新八の手の中で、新八の指の内側を微かに撫でた。

撫でながら言った。

「俺はさぁ、…怖かったんだ」

「怖かった?」

銀時は目を閉じ、傾けていた頸を上向きに戻した。そして目を開け、天井を見上げる。
その眦は腫れ、やはり濡れていた。

「怖かったんだ。…多分ね」



俺について来るとまで言ったお前に、これ以上は取り繕えないと思った。

「言ったろ。俺は嬉しかったんだって。だから、あの歪んだ喜びをさー、かっこいい大人の顔を取り繕う事で失うのが怖かったし、」

新八は掌を擽る銀時の鈍い指の動きを感じながら聞いた。目は、銀時の天井を見上げる瞳を見ている。

「俺にそういう思いをさせるお前を欺くのが怖かったんだ。ていうかお前がさ。多分俺は、お前が、怖いんだよ」

多分ね。

銀時はそう言うと、新八の掌を擽る指を止めた。

「…お前に抱かれるのは、嫌だ。本当に嫌だ」

苦し気な言葉は、重罪人が贖いきれない罪を認めるようだ。
新八は、罪人の手を取って離さないままに問うた。

「怖いから?僕が?」

「ああ。…多分ね」




*






またナースコールが鳴っている。

壁を隔てて響くそれは耳の聞こえない作曲家が愛した女の為に作った曲だ。
味気ない電子音に置き換えられたそれを聞こえない耳で聞きながら、新八は元のように銀時の腹の脇に上体を伏せていた。

握った銀時の手を額に当てている。それはもうすっかり温まって、死の気配など影もない。
良かった、と眠くなりかけた意識の端で思った。



「銀さん」

「何だよ」

「もうやらせろとか言わない」

ナースコールが途切れ、窓から入り込む風に点滴の袋が揺れた。
銀時は新八の手から指を抜こうとした。それは、するりと抜ける、はずだった。
抜けない。

「問答無用で犯す系か」

「…あんたが抱いてくれって言うまでやらない系です」

抜けかけた銀時の指の第二関節から先を、新八の指が強い力で挟んで、どうしようが離さなかった。

銀時が開けた背中のチャックから出てきたわけのわからない生き物は、銀時が想像したようなものではなかった。銀時の想像をはるかに上回って礼儀正しく、道理を弁えて、優しく、狡猾だった。



言葉に詰まった銀時の顔の上に、新八が何かがさつくものを置いた。

「入院費。さっき稼いだ分じゃ足りねーだろ」

薄くはない、厚みのある三次元的な紙幣の束を銀時は持ち上げて見た。

「どこから出した」

「さっきのおじさん、いい時計してたでしょう。あれを貰ったから、あんたが寝てる間に金にしてきた」

「貰ったって、お前」

「自分で言って忘れたんすか。サービス料です。出さなきゃ撃つって言ったら、くれました。いい人ですね。あの人」

新八は銀時の横で伏せたまま、喉を擦るような、ヒヒ、と聞こえる変な音を出して笑った。

「お前、金で解決するな、とか言わなかったか…」

「それはそれです。金は金です。あっても邪魔にならないもんは貰える時に貰っとこうと思ったんだよ。文句あるか。…いやぁ、個室は気持ちいいですね」

「新八君」

「何ですか」

「お前、かっこいいわ。…抱いてくれ」

「黙れ。この淫乱」



銀時といると、新八の行儀は悪くなる一方だった。

だが行儀が悪くなろうと、それでいいと新八が思っているのだから誰が口出し出来る事でもない。
ほっといてくれ、と新八は思い、銀時の頭の上にぶら下がっているナースコールのボタンを取ると『エリーゼのために』を鳴らした。

銀時の腕にいつまでも突き刺さっている針が、邪魔で仕方なかったのだ。









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