11

目を開けると、見知らぬ白い天井が見えた。

天井から薄黄色い液体が溜まった透明の袋がぶら下がっていた。袋からは細いチューブが延びていて、目で辿るとその先端が自分の腕に突き刺さっていた。
窓が少し開いている。緩い風が入ってきて、天井のレールから吊り下がる薄いカーテンが揺らめいていた。どこかで電子音の『エリーゼのために』がかかっているのが微かに聞こえてくる。
開けられた窓の向こうには、明るく透明な光が燦々と満ちていた。

何時だ。

銀時は目だけを使って辺りを見回した。
体中が痛い。特に左の脇腹あたりが、重たいように痛む。呼吸の度に響いて、その部分ばかりに意識が集中する。
しばらく探したが、目の届く範囲に時計は見当たらなかった。時計はなかったが、時計の代わりになりそうなものはあった。

「何時だ」

銀時は、時計の代わりのそれに声を掛けた。発した声は息ばかりが掠れる頼りないもので、その弱々しさに自分で驚いた。

時計の代わりは応答しない。
横たわる銀時の腹の横に頭を置いて向こうを向き動かない。上になっている左耳があるべき場所は、ガーゼで覆われていた。
鼓膜が破れたな、と銀時ははっきりしない意識の隅で思った。
大したことはない。半月もすれば勝手に塞がる。抗生物質を飲んで感染に気を付ければいい位で、支障があるとすれば少し耳が遠くなる程度のものだ。

後は、何だ。

俺がこいつにした事は、後は何があったっけ。




*






聞こえないのだろう。銀時の呼びかけに目を覚まさない新八は背中を丸めて銀時のベッドに上体を伏したまま動かなかった。止んだと思ったらまた鳴り出すナースコールの微かな響きに紛れて、規則的な寝息が細く聞こえた。
それを聞きながら銀時は動かしていた目を天井に戻し、目蓋を閉じた。

俺は、こいつをどうしよう。
明らかに自分に欲情していた熱っぽい目付きが、閉じた目蓋の裏に残像のように浮かび上がっていた。
掛け値なしに真っすぐな、他の何をも見ようとしないあの目は見えているようでその実、盲目だ。そして自分が盲目だという事に多分こいつは気付いていない。
新八を自覚のない盲人にしたのは自分だ。



銀時は全部を最初から知っていた。何もかもを全部、知っていた。
あの客が言った事は、あながち的外れではない。銀時が新八を弄んでいる、というのはある意味で正しい。
正しいが、別の意味では正しくない。
銀時は、別にそうしたくはなかった。したくはなかったが、結果としてそのような形になった。
しかし、そうなったのは偏に自分が悪い。
わかっている。わかっているが、だからと言って俺にどうしろと言うんだ。

謝罪しろと?
ごめんなさい新八君、銀さんが悪かった。お詫びといっては何ですが、いつものように手を握らせて、さっきのようにキスをくれてやり、それからセックスでもしてやりゃいいのかよ。



「ぜってー嫌だ」

「何が嫌なんですか」

「お前とセックスしたりすんのがだよ」

上体を伏せたままで頭だけこちらに向けた眼鏡の顔には眼鏡がなかった。

「…本体はどこ行った」

「あんたがぶっ壊した」

新八は遮るもののない目を眠そうな半目にして、うつ伏せた体勢のまま喉の奥まで見える欠伸をした。
欠伸の涙を袖で拭いた新八は言った。

「もっとそっち行っていいですか」

「何でだよ」

「銀さんの声がよく聞こえないから」

銀時が返答する前に、新八は腰掛けた丸椅子の脚を引きずって銀時の顔の前まで移動した。
動けない銀時の顔のすぐ下で、今までしていたのと同じ体勢を取る。横を向いた銀時の顎から喉が作る曲線に、新八の丸い頭がすっぽり入った。
目線を下げると、新八のどこといって特徴のない顔の造作が至近にあった。地味で大人しい、実に無害そうな顔だ。

その、僕は無害でございます、と主張する顔が上目遣いで銀時を見上げている。

「あんたはさー、男にやられるのが好きなんか?」

無害な見た目のものが、無害な見た目のままで、有害極まりないどぎつい台詞を吐く。

「定期的に男にやられないと身体が疼くとか、つまりあんたはそういうアレなんか?」

「男にやられるのは、…まあ、嫌いではないわな」

銀時は、地獄のような毒舌を吐く可愛いぬいぐるみから視線を逸らした。至近にあるぬいぐるみの造作の端々はそろそろぬいぐるみを止めようとしている。少なくとも自分がこいつの歳の時は、もうぬいぐるみではなかった。というか、ぬいぐるみではないつもりでいた。
人間の成長の内、個体差を除いた普遍的な部分にそういう自意識の成長があるのなら、このぬいぐるみもかつての自分と同じように、自分はもうぬいぐるみではないと思っている。

「趣味と実益を兼ねて知らん男とセックスしまくってたって事かよ」

「うるせえな。ほっとけよ」

吐き捨てた銀時は横を向けた頭をまた真っ直ぐに戻した。天井に吊られた点滴の袋が、半分ほどまで落とした液体の分だけ皺を寄せて萎んでいた。おそらくは冷蔵されていた液を絶え間なく注入される腕が冷たい。腕だけでなく体中が冷えている。
銀時が寒さに軽く身震いした瞬間、視界が塞がれた。
熱い掌が唐突に銀時の両目の上を覆っていた。

「銀さん。本当の事を言って下さい」

視力を奪われた銀時の耳に、新八の声がやたらくっきりと響いた。

「わかってるんでしょう。あんたはもう逃げられない。あんたは、僕に捕まったんだ」

新八のもう一方の手が点滴で冷えた銀時の指を握った。口調と裏腹に、新八の手は銀時の指を柔らかく包んで温めるようだった。

「舐めた口きいたら、このまま、ここで犯す」

やりかねない。

銀時はあまりの事に思わず笑った。
目を塞がれて見えないが、おそらく新八も笑っていた。

「銀さん」

「何だよ」

「僕は何を言ってるんだろう。…ていうか、僕は一体どうなっちゃったんですか」

新八も、銀時と同じ事を思ったのだろう。呟く語尾は笑いで震えていた。

「それはお前、アレだ」

銀時が言うと、目を覆う新八の熱い掌に、押し付けるように力が入った。指を握る力も俄かに強くなる。
銀時はまた思った。

俺は、こいつをどうしよう。

「アレって何…」

「なあ。お前は俺と寝たいのか」

銀時は、はぐらかした。

「寝てくれんの?」

はぐらかされた新八は、独り言のように呟いて返した。




*






掌の下で銀時が瞬く。その度に掌の皮膚を睫毛が触ってくすぐったい。塞がれてしまった目など閉じてしまえばいいのに、銀時はそうしない。
銀時はそういう人間だ。それがいいとも悪いとも言わない。単に、銀時はそういう人間だというだけだ。
そして新八は銀時がそういう人間だと知っている。知った上で、言うのだ。

「寝てくれんの?銀さん」

新八の中では、いわゆる性欲というやつと人を愛おしむ気持ちとが繋がっていなかった。それが繋がっていると知ったのはついさっきの事だ。

つまり、そういう欲望は人を愛しむために存在している。欲望は目的ではなかった。手段だった。
僕はそんな事も知らなかった。
仕方ない。だって今まで好きな奴なんかいなかったんだから。



「ぜってー嫌だ」

新八の掌を睫毛で擽りながら、銀時は言った。

「お前にぶち込まれてあんあん言えってのかよ、俺に。冗談やめろ。大体お前、わかってんの?俺だよ、俺。お通とか新垣結衣とかじゃねんだよ、俺は」

「あんたがあんただろうがお通ちゃんだろうが新垣結衣だろうが、あんたがあんたであるなら、僕はあんたと寝たいです」

「…お前、どんだけアレなんだよ」

「そうですよ。僕は完全にアレです。アレだからこんな事言うんです。だって、アレなんだから仕方ないじゃないですか」

「あのなぁ、お前なぁ…」



「うるさい!黙れ!」

ぱっ、と掌が目の上から退かされ、網膜を昼の光が鋭く刺した。眩しさに目を細めた銀時の身体の上に新八が乗り上げてくる。

「舐めた事抜かしたら犯すって言ったよな、僕」

被さった新八が真上から、眼鏡をなくして遮断するもののない瞳で覗き込んでくる。

「銀さん。本当の事言ってよ。あんたは、もう僕に捕まっちゃってるんだから」



ぬいぐるみをやめようとしている、しかし銀時から見ればまだ十分にぬいぐるみな生物の、背中のチャックがほつれて、そこから何かわからないものが出て来ようとしている。
わからないものはチャックから腕だけ出して銀時の手首を掴んで言う。

すみません、あなたを生きながらに食ってみたいのですが、いいですか。

銀時は、口の中に滅茶苦茶に押し込まれる舌で口腔内がいっぱいになっていた。
開いた目は明るさに慣れ、天井の点滴の袋を見詰めている。液の大方がもう銀時の身体に移動していて、それのせいで無性に寒い。そして冷えた体には新八の暑苦しい体温が心地よかった。
相変わらず熱い掌が、病院の寝巻の襟を広げた。
銀時はされるままに動かなかった。動くと、腹の銃創が痛むからだ。
露わになった首と肩の境目に、新八が噛み付く。健康な歯が皮膚の薄い部分に食い込んで、噛み千切ろうとしている。

銀時は、点滴の針が刺さっていない方の腕を持ち上げた。

新八を盲目にしたのは自分だ。
目が見えてない事を知りながら、酷な事を山ほどさせた。
それを眺める自分の奥底に薄汚い快感がなかったといえば嘘になる。
だが別に、それを見たいがためにそんな事をさせたわけじゃない。結果としてそういう状況になっただけだ。

銀時は、持ち上げた腕を曲げて新八の背中に載せた。載せた掌をその薄い背中で動かした。

チャックはどこだ。
わけのわからないものが出て来ようとしている、俺が開けたチャックはどこだ。



銀時は、首筋に噛み付く新八の背中をゆっくりと上下に撫でながら言った。

「…頼む。本当に、嫌なんだ」



俺が酷なやり方で開けたチャックから出て来たそれを、俺は自ら殺そうとしている。

多分、俺は地獄に落ちる。
今更だが。









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