20


眠っている銀時は静かだ。
新八はすぐ傍にあるそれを正面からじっと見詰める。眠っているのだから静かで当たり前だが、それでも静かだと新八は思った。

まるで死んでいるみたいだ、と思う。

あんなに喧しい人なのに、こうしているとまるで死んでいるみたいだ。



銀時が考えている事が、新八にはわからない。たとえ着物の下の肌に触れて、その隙間から体ごと潜り込んでみたとしても、わからないものはやはりわからなかった。
この男が何を考えて生きているのかがはっきりしない。いまいち、よくわからない。
そもそも、なぜ身売りなどをしていたのかについても、新八は明確な回答を貰っていない。金が要ったからか、男が欲しかったからか、自分や神楽の情愛を計りたかったからか、或いはこの街で生きる上で淫売である事は都合が良かったからか。いくつかの可能性は示されたが、銀時はそのどれだとも言わなかった。
しかし事がここに至った今、新八は、その全部なのだろう、と思っている。そして、その全部でないのだろうとも。

銀時がひとを斬るのに崇高で確たる理由などない。銀時がひとを斬るか斬らないかは、ただのノリで決まる。
同じように、身売りをしていたのもただのノリなのだ。 金が要り、男が欲しく、自分や神楽の情愛を計りたく、この街で生きる上で淫売である事は都合が良かったからだ。そして、そのどれでもない。そういう全てを包括した『ただのノリ』で、銀時は男に犯され続けた。

馬鹿だなぁ。

新八は心の裡に呟きながら、布団の中の手を動かして銀時の手指を探した。すぐに探し当てたそれは温かく脱力していた。新八は自分の指先に触れたそれをぎゅっと握り込む。淫売であった彼が疲れ切って眠る、その傍らでした時と同じように、新八は銀時の手を強く握った。
彼を馬鹿だと思うが、新八は銀時のその馬鹿さ加減にこそ深く愛着しているし、その馬鹿さ加減を見届けたくて彼についてきた。
だからいいのだ。わからなくても。



血の滲むような乾いた現実しか見ようとしない彼の価値観は、やはり恐ろしい。心底恐ろしいと思う。彼の生きる乾いた現実が彼をやがては殺すだろうと確信できて、恐ろしい。
恐ろしいが、しかし同時にどうしようもなく気を引かれるのだ。心配で目を離せないというのは勿論だが、それよりも、他で見たこともないその価値観をもっと知りたいと思う。
恐ろしい、ろくでもないものをまた見せられるかも知れない。だが、それでも、もっと知りたいと思うのだから仕方がない。満足するまでは、きっと離れられないのだろう。

他人の人生に介入するという事は、つまりそういう事だ。



早く帰って来いと言った自分の要請どおり、銀時は帰ってきた。すぐになんでも忘れるような悪い頭で、ちゃんと帰って来た。
銀時は、少なくとも新八の事を忘れなかったのだ。忘れずに、寝ている布団に潜り込んで来た新八の肩に腕を回した。
温かく重たい腕に緩く締められながら、新八は、もう大丈夫だ、と再確認した。
多分、また性懲りもなく不安になるのだろうが、それでも多分、また大丈夫だと思うのだろう。

そんな事を繰り返しながら、やがて銀時の『ノリ』が体の深いところに浸透していけばいい。
言葉にはされないそれを、知らぬ間に自分のものにしていければ、それが一番いいのだ。



「銀さん。あの人、僕に銃をくれようとしましたよ」

「………」

寝ている銀時が実は起きていて、新八の言葉をちゃんと聞いているのを新八はわかっている。
しかし、寝たふりを止めろと言うでもなく、新八は言葉を続けた。

「でも、僕は、いらないって断りました。だって、いらないものは要らないですから」

新八は脱力している銀時に乗り上げて、肘と膝を使って体を支え、目を閉じて動かない彼を見下ろした。

動かない銀時は眼前に広がる風景のようだ。風景は誰か一人の所有物になる事はないし、そもそもそういう性質のものではない。ただ淡々とそこにあるだけだ。
だが、他の誰も見付けていない風景を新八だけが見付けたのなら、それを新八が自分のものだと思う事は自由だし、風景が荒れれば『色々』して景観を保つ事も自由だ。
なんせ風景の方で新八の色々を期待すると言ったのだから、新八は何に遠慮するでなく色々できるのだ。

「あんなものがなくても、僕はきっとどうにかできる。たとえ無理そうだと思っても、どうにかするって決めたんです」

すっかり良くなった左の耳を銀時の左胸に押し付けて目を閉じると、しっかりと打つ鼓動が、治癒した鼓膜に響いてきた。
これは、僕の中で生まれながらに欠けていた部分にぴったりと嵌まり込んで、僕を完全するものだ。

「この自信は、あんたがくれた」

「…俺はお前に何かをやったりなんかしてねぇよ。お前が何かを得たっていうなら、それはお前が自分で得たもんだ」

銀時が目を閉じたままそう呟いた。
新八は銀時の胸から延び上がって彼の顔の上に頭を持っていき、少し開いたその唇に唇を触れさせて、そしてその状態のままで言った。

「あんたはくれたつもりはないのかもしれないけど、でも僕のこれは、あんたの中から盗んだものに間違いないんです」

粘膜に触れる粘膜をうるさがって銀時は眉を寄せ、そして掌を新八の額に当てると押し退けるように持ち上げた。
閉じていた目を開き、底までを見透かすような新八の強い視線を、血の色を透かす目で受け止め、言った。

「盗んだのかよ」

「僕は貰ったつもりですけど。でも、あんたにくれた覚えがないっていうなら、僕はきっとあんたから盗んだんでしょ」

「…もて余して困ってたもんを持ってってくれた奴を泥棒とはいわねぇ」

もて余して、軒先に置きっぱなしだったもんを誰かが勝手に持ってってくれたなら、こんなに都合のいい事はない。

銀時はそう言って、首を軽く曲げて新八の視線を避けると再び目を閉じた。

「………」

新八は銀時の頭の脇にある両手で彼の髪を掴み、曲がった首を強引に真っ直ぐに直した。

「そうですよ。僕はあんたがもて余して軒下に放っていたものを、何故だか良いなと思って勝手に持って行ったんです。…でも」

でも、僕は知っている。

「…あんたも昔、誰かが軒下に置いてたものを、良いと思って持って行ったんでしょ」

そして、僕が持って行ったものは、あんたが昔、誰かのところから持って行ったものの『使い古し』だ。
あんたが良いと思って持って行って、使って、使い切った後の、あんた仕様にカスタマイズされたそれを、僕は良いと思ったんだ。

「だから、」

と、新八は銀時の頑なに閉じた目蓋の上を触った。
細い静脈が走る薄い皮膜の感触は、酷く儚く健気だった。あの白い鳥の様子がそうであったように。

「あんたの軒下からあんたのものを持って行った奴の顔を、ちゃんと見てよ」

「………」

触れている薄い皮膜が、新八の指の下で微かに震えた。
その内側にあるのは、隠し続けた体の内部の色を透かして見せる瞳だ。

新八は、それが現れる邪魔にならぬよう、銀時の目蓋からゆっくりと指を離した。




*




多分、知られたら叱られる。
だから新八は内緒で動いた。
神楽が味方をしてくれた。彼女もまた、生きるために生まれ生きるために生きる、健気なものに深く愛着している。

たとえ、そうなるのが仕方のない、自然な事なのだとしても、それを放っておけない誰かがいるというのも、また自然な事だ。

彼女はそんなような意味合いの事を言い、迷う新八の先をずんずん歩いた。
彼女は逞しい。
彼女はいつも逞しく、正しく、迷わないし躊躇わない。
新八は何度も思った彼女への称賛を胸のうちにまた繰り返した。
彼女は一体どんな女の人になっていくのだろう、と思わずにいられなかった。



銀時と懇意の不動産屋の親父は、この街に生きる殆どの日陰者の住まいを把握している。
銀時と懇意なだけあって、あらゆる意味でいい加減な周旋屋は、現れた子供二人にあっさりと教えた。

鳥好きのやくざが、たくさんの鳥を養っていた部屋をだ。



黒駒のオッサンは恙無く『畑』を始め、最初に銀時を襲撃した、鳥好きのやくざの組織はある日を境に影も形もなくなっていた。
鳥好きのやくざも、組織と共に影も形もなくなった。
どうなったのかは知らない。
銀時は、んな事は俺には関係ねぇよ、と言うだろう。全くその通りで、新八も関係ないと思う。
関係あるのは、男が飼っていた鳥達だけだ。

自分に関係があるないは、自分で決める。
自分で決めると、決めたのだ。

周旋屋は、場所を教えはしたが、鍵を貸してくれるまではしなかった。
当然だ。
あのオッサンも、自分に関係あるないは自分で決めているのだ、と新八は、神楽がマンションのドアをウェハースのように簡単に蹴破るのを見ながら思った。



鳥好きのやくざが帰って来なくなって正確にどれだけが経っているのかはわからない。
だから新八は、手遅れになってしまっている想像もしていた。
今まで自らを養ってきた籠に閉じ込められて、死んでしまったたくさんの鳥の死骸。
覚悟しているとはいえ、少なからず緊張しながら室内に入った新八は驚いた。

雑然とした部屋に置かれたいくつかの大きな鳥籠の中に、鳥は一羽もいなかった。
鳥籠の口は、全て開けられていた。
そして、部屋の一番奥にある窓が、大きく開けられていた。

「どういう事…」

「新八」

驚いて立ち竦む新八を神楽が呼んだ。
神楽が指差すテーブルの上には、鳥の餌が山盛りになって、傍には空っぽの餌袋が落ちていた。

「あのオッサン、もう帰って来れないかもって、わかってたアル」

神楽はらしくなく寂しそうな声を出した。

鳥好きのやくざは、死ぬまで鳥好きだった。
やくざの愛情によって籠から出された鳥達は、窓から飛んで行ってしまって、そして二度と戻って来なかった。

「よかった…」

新八は思わずその場にしゃがみ込んで呟いた。安堵しすぎて、膝に力が入らなかった。

願わくば、たくさんの鳥の内のたった一羽でもいい、やくざの事を覚えていてくれればいい、と思った。



しゃがみ込んだ新八の足元で何かが動いた。
何かと思い見ると、一羽の白いインコだった。

インコは、起こった何かを知る素振りもなく、全く普通に、何とも関係ないといった様子で、ただカーペットの上にいた。

「怠け者アルな、そいつ」

神楽がそう言った。

新八は手を伸ばし、怠け者を両手で包んだ。
人に慣れた生き物は、怯えるでもなく簡単に新八の掌の中に入った。

鳥を掌に包んだまま、新八は、開け放たれた窓まで歩いた。
そして、肘から先を窓の外に出すと、

「お前はもう、どこに行ってもいいんだよ」

と語りかけて、合わせていた両手を開いた。

途端に鳥は羽ばたいた。
そして、静かに仮死する昼の街の空を飛んで、すぐに見えなくなってしまった。
きっと、二度と戻っては来ないのだろう。



けれども、もしかしたら、万事屋の窓から見えるあの風景、向かいの建物の屋根と電線が平行になっているあの風景に、いつかあの白いインコがまた入り込むこともあるかもしれない。

もしもその時が来たら、新八は訊いてみようと思った。



お前の事を好きだった奴の事を覚えてる?



『鳥なんかと、話ができるもんならな』
やくざはそう言った。

でも、と新八は思う。

たとえ話が出来なかったとしても。
それでも。












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