17


いかにも雑な動作で着物が脱ぎ捨てられていくのを見上げる。
頼むからもう少し丁寧に扱ってくれないかなあ、と新八は思った。僕の銀さんを、もう少しだけでいいから丁寧に扱ってやって欲しい。
言ったところで聞きはしないのだろうが、それでもそう思わずにはいられない。

銀時が肩から抜いた着物を放ると、水を吸ったそれは重たい音を立てて床に落ちた。新八はその動作の隙をついて、普段から半ば下ろされている襟元の金具に手を伸ばした。

「………」

ゆっくりと下ろされていく前を、銀時は俯いて見詰めている。
いたたまれないのは新八の方で、臍まで開けたところで堪らなくなり、俯く銀時に言った。

「怖いものに慣れて、それで、慣れたらどうなんの」

銀時は新八に頭のてっぺんを見せたままで答えた。

「怖いもんと、それなりに仲良くなれる」

臍までを寛げた銀時の体の前面には、いくつかの傷痕が皮膚を歪にして残っている。新八が知っている傷もあれば知らない傷もある。一番新しい傷は勿論新八の知る傷で、それはまだ四角いガーゼの下に隠れている。銀時は死にかけ、新八は銀時を殺しかけた。
バチが当たったのだ、と新八は思う。銀時は金で自分を売っていた事の、自分はその共犯であった事の罰を受けた。

新八は、銀時の脇腹に貼られたガーゼの上に手を当てた。

「怖いものと仲良くなったら、何かいい事があるんですか」

ガーゼの上に掌を被せた新八が訊くと、銀時は、新八の掌の上に自分の掌を被せた。

「怖いもんと仲良くなると、怖いもんが実はそれほど怖いもんじゃなかったって事がわかる。それがおばけなんかじゃなくて、ただのシーツだったって事がわかる」

「………」

「それに、向こうにも俺がおばけなんかじゃなくてただのシーツだったって事をわかってもらえるしな」

「…それは、僕の大切なCDに傷を入れたのが、知ってる人だった時の方が知らない人だった時よりムカつかないっていうあれの事?」

「ああ、そんな事言ってたな」

つまり、それが銀時の処世だ。

この、と新八は肌蹴た銀時の皮膚に視線を這わせた。色の薄いそれは、一見冷たく乾いていそうだが、実際には予想外に熱く柔らかいのだ。
この、たかだか直径1センチかそこらの鉛弾ごときで易々と破れてしまうような極めて弱い皮膜。銀時はこの皮膜で、世の中と接してきた。痕になっているいくつかの傷は、その証拠だ。

「…でも、仲良くしようとしたものがただのシーツならいいけど、本当におばけだったらどうすんの」

叩き斬らなかった事を後悔するんじゃないのか。
ガーゼの上を覆う新八の手を更に覆う銀時の手。その中に熱が籠り始めていて、とても温かかった。

「その時は、おばけに取って食われるだけだ」

と、銀時は笑った。
冗談じゃない、と新八は思った。
この温かさを、おばけに取って食われるのは嫌だ。

「おばけに取って食われるかも知れないリスクより、実はただのシーツだった奴と仲良くできるかも知れないメリットを俺は取る。確率でいったら、ただのシーツだったって事の方がずっと多いからだ。確率の小さい恐怖に足が竦んで、得るべき利益を取り逃がすのは、馬鹿かガキだ」

「僕は馬鹿なガキでいいです。だって、ほんとの事だしね。たとえ小さい確率でもあんたが取って食われるかも知れないのを黙って見ているなんて、もう絶対に嫌なんだよ。あんたが刃物を捨てたなら、その刃物は僕が拾う。あんたは畳の上で寝てろよ。僕があんたの代わりにあんたの怖いものを叩き斬る」

散々修羅場を潜り抜けてきた人間が、それもこんな脆い皮膚を修羅場に晒してきた人間が、そんな博打めいた危うい考えを持っているという事にゾッとする。心底、ゾッとする。

そんな事でどうする。
そんな事で、お前は僕の銀さんを守れるのか。

「…あんたがやらないなら、僕がやる」

新八の手がガーゼの上から銀時の塞がりきらない傷をぐっと圧迫した。銀時は瞬間、低く呻き顔を歪め、そして歪めた顔で言う。

「へえ、勇ましいね。けど、」

言いながら、傷を圧迫する新八の手を覆う手に握り潰すように強く力を入れた。痛みに眉を寄せた新八の手の中で、やがてガーゼが沁み出す体液で湿った。
手を握られる痛みよりもガーゼに沁みる体液を恐れて新八は銀時のそこから手を離そうとしたが、被さる銀時の手の力が強く、離せない。

「二度とあんな事してみろ。次は鼓膜ぐらいじゃ許さねぇ」

「好きにしろよ。鼓膜でも眼鏡でも、なんでも割ればいいだろ」

「怖いもんを叩き斬らずに仲良くなってみる。それが、怖がって振るう剣なんか捨てろ、って言葉の俺なりの解釈の一端だ。それが気に食わないなら、お前と俺は致命的に合わない。…もう眼鏡を割る必要もねぇ」

「どういう事ですか」

「さよならだ、新八」

新八は愕然とした。



怖がって振るう剣を捨てろ、と銀時に言った奴。どんな奴か知らないが、何という事をこの馬鹿に吹き込んでくれたのだ。
おかげで馬鹿は傷だらけだ。



「…じゃあ訊くけどさ。怖がって振るう剣を捨てたあんたは、一体何で剣を振るんです」

「ノリだ」

「は?」

「その時の、ノリだ」

新八は銀時がふざけているのだと思った。
しかし、そんなふざけた事を言う銀時の表情は険しく眉間が寄せられていて、先程新八を押し倒した時のように至って真剣だった。

「あんたに斬られる人は、ノリで斬られるんですか」

「そうだよ。なんか崇高な理由があるとか思ったか?」

至って真面目な厳しい顔で銀時は言う。

銀時に剣を振るわせるのは、恐怖でも、崇高な理由でもない。
そのときの、ノリ。
新八は掌にガーゼに沁みる体液の湿り気を感じながら、喉の奥を擦るような、ヒヒ、という変な音を立てた。

「…なに、ヒヒ、って」

「笑ってんです」

そして、ガーゼの上の自分の掌を強く押さえる銀時の手を乱暴ともいえる動作で振り払い、自由になった手ともう片方の手、両方の手を使って銀時の首にしがみついた。
着物の前は先程銀時の手で肌蹴られている。露出した胸が銀時の胸に直に接触し、その感触と体温を、普段は外気に晒されない皮膚で知覚した。
温かい。
僕の中で生まれながらに欠けていた部分。この温かさは、そこにぴったり嵌まり込んで、こんなにも馴染む。

「笑ってんですよ」

食い殺されるかも知れなくても怖いものは斬らない。もし何かを斬る事があるのなら、理由なんかなくて単にノリ。
なんていういい加減な人間なのか。
しかし、そういういい加減な人間が銀時なのだ。

そして何が可笑しいって、そういういい加減さをちょっと『いいな』と思ってしまう自分だ。
思い返してみれば、銀時のいい加減なところにこそ新八は深い愛着を感じていたし、何よりも、刃物を捨てた銀時が真剣を振るうというノリ、そのノリがどういうノリなのかを知りたくて新八はこのいい加減な人間の後ろを追っかけてきたような気もする。

じゃあ僕のする事は、銀さんが捨てた剣を拾う事じゃなくて、そのノリというやつがどういうものなのか、見極める事だ。

「わかりました。あんたが怖いものに出会って、そしてもしそいつが本物のおばけだった時は、」

変な声で笑い続ける新八を抱き付かせたまま、銀時は体を横たえる。水浸しの床を気にする素振りもなくそうする。
新八は浮かべていた笑いを消し、向かい合って横たわる銀時を、銀時と同じ真面目な表情になって見据えた。

「僕もあんたと一緒に食い殺されます」

横たわる銀時の体の側面がごく浅い水に沈んでいる様子は、彼があまり動かないために、湖の真ん中の浮島を見るようだった。なぜだかわからないが、『あれ』から後、時折、銀時は新八の目に自分を取り囲む風景のように映る。一個の生き物というより、なにかもっと広い、そして何気ないものとして映るのだ。それはたとえば湖に浮島が横たわる様だったり、或いは、向かいの建物の屋根と電線が平行になっている様だったり。

一緒に殺されてやる、と言った新八に、銀時はどう答えるのか。
そうしろ、と言うのか、それとも、そうはするな、と言うのか。
眼前に広がる風景のような佇まいでいる銀時が返す言葉を新八は二通りで予想したが、結局銀時は何も言いはしなかった。

ただ、僅かに目を伏せた顔を笑わせただけだった。









互いにびしょ濡れの体に腕を回して横たわる。

「でも、」

抱き付くびしょ濡れの新八の頭をびしょ濡れの腕で抱え込み、銀時は唇を新八のそれに軽く、何度にも分けて押し付けてくる。動作の合間に、口の中に水が入り込んだ。雑巾を絞った水なのにな、と舌の上に広がる水の薄い味を思ったが、今更どうでもよかった。
銀時の皮膚を濡らしたこの水は自分の皮膚も濡らしていて、また逆に、自分の皮膚を濡らしながら銀時の皮膚も濡らしている。水を介する事で、より近く感じる事が出来る気がするのだ。雑巾を絞ったようなこんな水なんかが、全く別個の人間として生きている銀時の皮膚と新八の皮膚を架橋する。

「僕こそ、あんたを取って食うおばけかも知れないのに」

濡れた指を間近にある肌蹴た胸に伸ばして触れると、触れた瞬間、やはり銀時の体は怯える動物のように強張った。

「いいんだよ。その時はお前に取って食われるから」

体を強張らせる癖に、銀時の顔は薄く笑っている。

「…なんで笑ってんの?僕を馬鹿にしてるから?」

何度も見た、銀時の上に乗る奴らがしていた事をわざと真似て、銀時の胸に付いた冗談のような小さい乳首を爪で軽く引っ掻くと、銀時は横向きの体を少し丸めて悶え、しかし変わらず笑ったままだった。

「銀さん。僕言ったよね。あんたが抱いてくれとかそういう事を僕に言わない限り、僕はしないって」

「ふっ、ふふ…。んな事をお前、俺に言わせる気か」

「言えよ。なあ、あんた人の事押し倒してしゃぶっといて、それで勃ってんじゃねぇか。ねえ銀さん、ねえったら…なんで笑ってんですか」

「気持ちいいからだよ」

淫売は笑って、そして胸にある新八の手首を掴むと、下衣で緩めたベルトと腰の間に導いた。
そこは確かに欲望を示していて、触れると銀時は短く息を詰めた。笑った顔が引きつり、やがて強張って、笑いが消えた。
銀時は自分で導いておきながら、怯える動物のように顔も体も強張らせて新八に言った。

「お前の指がさ、…気持ちいいからだ」

新八はそんな様子でそんな事を言う銀時を直視できなくなり目を逸らす。

「おばけの指かも知れないのに」

「もしお前がおばけだったとしてもさ。だってお前、言ったじゃねぇか」

銀時が新八の手を取って動かす度に、床の水の表面に波紋が出来た。波紋は、すぐ傍で向かい合わせに横たわる新八にぶつかっては消える。

「…色々してくれんだろ?」

「え?」

「俺が生きていけないかもだとか、ビクビクしたりしないでいいように、お前、色々してくれんだろ」

たとえお前が俺を取って食うようなもんだとしても、俺が畳の上で寝てられるように色々してくれるって言うならたとえ食われても文句はねぇし、精々そうしてもらうだけだ。

「だから、…そういうノリで、よろしくお願いします」

体を強張らせて銀時はそう言った。淫売の体は怯えて強張ったりはしない。さっき新八が思ったとおり、この淫売は淫売のくせに処女だった。
そして、言いたくない事であれば、たとえフリでも口にできないのが銀時だ。
いくら回りくどかろうと、銀時がその口から発したのは、確かに『お願い』だった。

「わかりましたよ」

あんたっていうか、あんたのそういうノリが、僕の欠けた部分に嵌まり込んで僕を完全するんだ。

「…あ。やべ、」

新八の頭を抱いている銀時の腕が、ぐっと狭く窄まった。手首を掴んで動かす力が鈍って途切れる。
強張って丸く縮こまらせた体が震えていた。

「…何がやばいんですか」

覗き込むと、銀時の顔は眉間をきつく寄せながら、また笑っていた。

「いきそう」

いけばいいだろ。
新八は、力が鈍った銀時の手に手首を掴ませたまま、硬く張った性器を内に入れた掌を強く動かしてやった。銀時は圧し潰した声を漏らし、笑いを残したまま苦しいような顔をした。

「銀さん」

「…んだよ」

「キスして」

僕がしたくてするやつじゃなくて、あんたがしたくてするやつが欲しいんだ。

銀時が新八を見る目を細めて小さく吹き出した。
それから足を上げて新八の脹脛に巻き付け、快感の反射で丸まった背中を延び上がらせてから、

「口開けろ」

と言った。



*




「ふ…っう、ァ」

上擦る呼吸に混ざって漏れ出す声は、もう堪えようとも思わない。感じたことのない感触に何も考えられなくなる。
見上げると銀時は笑っていて、そのいくつかの傷痕が走る胸元が上気して痛々しいように赤らんでいた。

「気持ちいい」

銀時は笑わせた顔の目を閉じて言い、軽く息を吸ってから新八を跨いだ腰を緩く前後させた。
持っていかれる、という感覚がどんなものなのかを如実に学習した新八は、その表現が実に的を得ていると掠れる理性の端で思った。体やその感覚どころか、自分全部を持っていかれるようだ。
だが、それが少しも惜しくない。あるだけを全部遣りたいと思う。長いこと、その方法がわからなかったのだ。やっとわかったその方法を拒む理由など、あるわけがない。

自分の上で動く銀時の肩を掴む。
夢中で力を込めるとそこは驚くほど抵抗なく従って、銀時の上体は再び浅い水に浸かる。水滴が眼鏡のレンズに跳ねた。
挿入したまま捻れた体勢に銀時の喉の奥が呻き、新八は歯を食い縛って耐えた。
組み敷いた銀時の体に乗り掛かり、息を整えようと震える呼吸を繰り返す新八に、銀時が指を伸ばす。

「………」

銀時の親指の腹が水滴の跳ねたレンズをゆっくりと拭った。
水滴が銀時の指で延びるのを新八はレンズの内側から見た。

レンズから離れた指が、ゆるゆると床に落ちる。その指を、新八は追いかけて握った。
こうして指を握って『仕事』だと言う、それが合図だった。
新八の、指を握る指に知らず力が篭り、そして指の間に割り込む指の感触に、銀時が息を詰めて顎を上げる。
晒された首筋に、赤い鬱血が見えた。新八は迷わず屈んで、そこを強く吸った。
その瞬間、新八の下で銀時は体を震わせ、

「あ」

という短い、しかし圧し殺されていない、喉を開いて出す生きた声をひとつだけ上げた。

「銀さん」

新八は、途切れる息を使って銀時を呼んだ。
呼ばれた銀時は、体の中に流れるものの色をそのまま映す目で新八を見た。

「…怖い?」

新八はそう訊いた。
銀時は、

「怖い」

と細く答え、それから、新八を見ていた目を強く閉じた。
迫る体感に喘いで震える唇の内側で、歯も一緒に震えて音を立てている。喜びながら、同時に怯えている。
新八は、

「じゃあ慣れて」

と囁き、水の中で自分の指に握られた銀時の指、その曲がった指先に口付けた。

「慣れてよ」

唇をそこに付けたまま、懇願するように繰り返した。

銀時は、

「…わかった」

と、千切れた呼吸の合間に消え入るように呟いた。

その表情は、眉間をきつく寄せた、至って真面目な厳しいものだった。











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