シャローム 1


昼メロ劇場さんの昭和初期華族もの小説『凋落の華 』のスピンオフを書かせて頂いたものです。
※スピンオフといいながら、ほとんど捏造です。
※細かいことは考えないでください。感じてください。
※細かいことは昼メロさんで読んでください。

※ざっくりあらすじ
成り上がり大金持ちの三代目の銀ちゃんは、由緒正しき没落貴族の沖田をものにして家名を乗っ取ってこいとおじいちゃんに命令されました。





孤児だった祖父さんは、始め、辻馬車の馭者なんかをしていたという。維新がまだそれほど昔ではなかった頃の話だ。
祖父さんは、そうやって一日中馬の尻を眺めるところから始めて一代で莫大な財を成した。

祖父さんは人を人とも思わないところがある。
祖父さんは自分のことにしか興味がない。全くない。人のことなど何とも思っていないし、気にも留めない。例えば、己の所業で人が血を吐こうが手足をもがれようが、少しも気にならないのだ。
人を気の毒に思ったり罪悪感に苛まれたりするような、人間たる者に備わってしかるべき徳。祖父さんにはそれが欠落している。しかも、己でそれを自覚しながら恥もしない。祖父さんはそういう人間だ。
おそらくは、『だから』、ひょんな事から手を出した商売で祖父さんは大成功した。大成功して得た金を元手に、地べたから天に這い上がるような出世をした。代わりに山程の怨みを買ったはずだが、祖父さんは平気の顔で、この歳までをのうのうと生きている。
これは、祖父さんに手足をもがれた連中が祖父さんに向けた毒より、祖父さん本人が持ち合わせていた毒が勝ったのだとしかいいようがない。もともとの善人が急拵えで煮詰めた毒など、もともとの悪人である祖父さんが生涯をかけて熟成させ続けた毒に比べれば、なんのことはない、舌にすぐ溶ける粉砂糖のようなものだ。

大成功した祖父さんは、まず甲信越の貧農の娘たちを集め、昼夜問わず煮えた蚕から糸を巻かせた。
娘たちが親元に返されるときは糸を巻けないほどに衰弱したときだったというから、それで祖父さんが己の富を不動のものにした反面、祖父さんの妻が石女だったのは糸巻き娘たちの呪いだったのかもしれない。祖父さん本人は他人の呪いを受け取る感受性が欠落していたが、その近親者はそうではなかった。
祖父さんは両手で足りない程の女を作った。
たくさんの子供が出来たが、みな女だった。或いはこの子供たちは、糸を巻きながら死んだ娘たちそっくりの顔をしていたのかも知れないが、そんなことは確かめようがないし、何よりも祖父さんには呪いを受け取る感受性が欠落している。
それでも、たった一人だけ男が生まれた。祖父さんはそれを嫡子に据えた。
祖父さんのようやく出来た後継ぎは、祖父さんに少しも似ておらず、祖父さんに欠落していた能力を持って生まれた。それも人並み以上に。祖父さんはその欠落でもって財を築いてそれを保っていた。だから、欠落していなかった後継ぎは祖父さんの後継ぎには不適だった。
祖父さんは失望したのか、どうか。
わからないが、後継ぎは成長して妻を娶り、やがて男の子供が生まれた。子供は、幸か不幸かその父親には似なかった。
後継ぎが作った子供は、今度こそ祖父さんに瓜二つだった。容姿から性格、その欠落までを隔世でそっくり引き継いでいた。
祖父さんは歓喜したのか、どうか。
それもわからなかったが、ただ、糸を巻いた娘たちの怨念が消え失せたわけではないのは確かだ。
子供は、男に生まれながら、女を愛さなかった。




出入りする倶楽部で、俺はサロメと呼ばれている。
自分の愛情を拒否した男の首を切らせて盆に載せた女の名前だ。
笑えはするが、そう呼ばれることに不満はない。
事実だからだ。

俺は男の首を切り、盆に載ったそれに愛しく接吻する。
本当のサロメは自分を愛さない男に腹を立てたが、俺はもとから俺を愛さない男を望んでいる。
俺は祖父さんに似て自分のことにしか興味を持たないから、相手が俺に寄せる感情などは言うなれば邪魔だ。俺に必要なのは、静かに目を閉じた首の、死んだ唇だけだ。
俺は、無機物のような男を愛する。
男の存在価値など、俺を犯すでかい性器にしかない。
俺は生きていない、静かなただの無機物に恋をして、それに体を明け渡して我を忘れる。そのために、それと思った男を見付けるとまず首を切る。
サロメと呼ばれたとして、何の文句も言えはしない。
そしてサロメが白い裸体に纏うのは、痩せこけた娘たちが呪いを込めて紡いだ絹の衣だ。




「お前のような出来損ないには、」

つくづく祖父さんと俺は瓜二つだ。
酷い癖毛や非情そのものの目元、骨の太い体。老いて髪は薄く目元は皺が深くなり、体は俺の三回りも痩せているとはいえ、本来の形は全く同じだ。以前、祖父さんが若い頃の写真を見た俺は悲鳴をあげかけた。写真に、俺が写っていたからだ。
加えてこの、尊大で冷酷な物言い。全く俺そのものだ。
俺と祖父さんの違うところなど、女を抱くか抱かないかしかないだろう。俺はあと何十年かすると、間違いなくこれになるのだ。
そのような俺をこの老人は出来損ないと言う。

「過ぎた処遇だと有り難がってもらわねば困る」

「お祖父様を困らせるものがこの世にあるとは驚きですね」

「この世は、困らせるものと困らせないもので出来ている。そして、大半が困らせるものだ」

「ずいぶんと弱気でいらっしゃる。もうすぐ死ぬのですか」

「そうだ、今夜にでもな。もしも今夜屋敷が火事になれば今夜死ぬ。だがその時はお前も死ぬ。寝酒を飲んでいる分、お前の方が逃げ遅れる」

ああ嫌だ。自分と会話するようだ。
しかし嫌悪したのは祖父さんも同じで、骨ばかりの手に持った杖で俺の足首を容赦なく打擲した。祖父さんは昔から、俺がほんの小さな頃から俺の体に暴力を加える事を躊躇わない。
痛みに顔をしかめた俺の喉仏に、すかさず杖の尖端が突き付けられる。年寄りとは思えぬ速さだ。

「金で買えるものは買え」

「…金で買えないものは?」

「盗め」

俺は祖父さんの生き写しで生まれた。
容姿から性格から、その欠落まで。




「あっア」

男の硬い肉が自分の内部に刺さる感触に俺は悦びの声を上げる。
表層的には苦痛だが、その苦痛の余韻の中に、痺れるような快感が織り込まれている。
俺が男の首を切るのは、生きた男は俺が苦痛の中に複雑に織り込まれた快感を読むのを邪魔するからだ。例えば、俺を愛しているだとかなどのくだらぬ感想を囁く事によって。

「もっと強く…強く!」

こう命じれば、何も思わずにそのままを実行する男がいい。もっと言えば、命じる余裕を与えないほど粗暴な男がいい。
俺が欲しいのは粗暴で逞しい無機物だ。自分の中に閉じたまま、俺は物言わぬそれに殺されたい。




沖田はなるほど女のように綺麗な奴だった。
だが、それがなんだ?
俺に女は要らないし、俺を殺してくれる粗暴な無機物にしか用はない。
俺は俺の生き写しである老人への義理立てのため、こいつから盗む、それだけを考えながら沖田の亜麻色の髪を撫でる。

「旦那、あれ」

沖田が、その性格とは不釣合いに優しげな、まるで魚の稚魚のような指で、髪を撫でる俺の指を振り払った。そしてその指を、卑しからぬ育ちが滲み出る鷹揚さで宙に差し上げた。
綺麗で繊細で優しい、粗暴とはかけ離れた指だ、と俺は思った。こんな指には到底俺を殺せまい。
もしこんな指に出来る事があるとすれば、

そこまで考えて、連想すべきではない事を連想しそうになり、俺は慌てて思考を中断した。
この指は、よくない。

「山崎の奴。あの女が好きなんですぜ」

沖田の指は自分達が立つテラスの真下、ドウダンツツジの低木が囲む芝生の庭にいる男と女を指し下ろしていた。
男女は、この家の忠実な執事である山崎と、話し方や動き方がまるでからくり人形のようであるため『学天則』というあだ名で呼ばれる若い女中だ。
二人は、頭上に主がいる事に気付いていない。山崎は『学天則』に何かをしきりに話しかけている。その様子を見るに、沖田の言う事は間違いではないと思われた。

「あいつ、あんな女なんかにすっかり骨抜きにされてやがる」

幼い頃に使用人の子供と遊んでいたためにうつった、汚い江戸言葉で沖田は嘲った。

「ふうん。あんな、何が楽しくて生きているのかわからない男でも、女に惚れたりするんだね」

「旦那。俺はね、あの女に暇を出そうと思ってるんで」

さも嬉しそうに沖田は言った。
沖田は人に酷な仕打ちをする事を趣味にしている部分が俺とよく似ていた。

「可哀相に」

俺が思ってもいない感想を口にすると、沖田は

「そうでしょう」

と悪魔の息子のように目をきらきらさせる。
その輝きに、期待されている事を如実に感じ取った俺は、

「先日、俺の家の女中が一人、腹がでかくなったものだから辞めさせてね。それで、無駄口をきかずによく働く女がいないかと探しているんだが」

と言った。
沖田は、寄席で馬鹿話を聞いた時のように腹を抱えて笑った。




俺は幼い頃から攻撃的で、そして他者への共感や配慮に欠けていた。あまつさえ、俺の攻撃を受けて腹を立てたり傷付いた者の無様さを見て喜ぶような性質さえ持ち合わせていた。
間違いなく祖父さんから受け継いだ欠落だ。
祖父さんは自分そっくりな俺にきつく当たり、折檻というにも過ぎるほどの暴力を加えた。一度などは、さんざん殴られた後、真冬の池に胸から上を押し込まれた。もがいた足の爪に、凍った土が抉れて入り込んできた感触を今も覚えている。そのとき俺は多分6つにもなっていなかった。
ついに生まれた跡継ぎに対して期待するあまりの厳しい教育だったのか。
わかりはしない。
俺は祖父さんが何を考えているかわからないのだ。そして、祖父さんも俺が何を考えているかわからないはずだ。これは、同じ欠落を抱えた者がお互いの欠落を覗き込んでいるようなものだ。どれだけ目をこらそうと、そこに見えるものなど何もない。




祖父に虐待される俺には母親がいなかった。早くに死んだ。病気で、と聞かされていた。
ただ、俺が12の歳、右も左もわからなかった俺の純潔を奪った女中が、未成熟な俺の性器を舐めながら教えてくれた。

俺の母親は、祖父の妻である俺の血の繋がらない祖母さんに殺された。祖母さんは俺の母親を殺した後、その場で自殺した。

女中は、俺のまだ薄い陰毛を爪の先で可愛がりながら、

「そのとき大奥様は、旦那様も、赤ちゃんだった坊ちゃまも殺そうとなさったのよ」

と言った。

ご自分の子ではない旦那様が奥様を迎えられて、お子様ができて、それでご自分の立場がなくなると思われたのね。
大奥様は、ずっと神経衰弱でお薬を飲まれていたのですって。

「でも、大旦那様が止めに入られたから、お二人は助かったの。だから、大旦那様は坊ちゃまに辛く当たられるけれども、本心から憎いとお思いではないのだと思うわ。だって大旦那様は坊ちゃまをお助けになったんだもの」

女中は、使用人の間で言い伝えられるまことしやかな噂を幼い俺に漏らしてしまった事に対する贖罪のつもりなのか、或いは本当に親切心からか、そのような事を付け加えて聞かせた。
俺は、俺の体を跨いで揺れる女中の大きな乳房を掴み、沼地のようなその中に性器を呑まれながら考えた。
祖父さんが俺を助けようとしたかどうかなどという事についてではない。

祖母さんは自殺したのではなく、祖父さんに殺されたのではないか。
祖母さんは自分の立場が脅かされると思って神経衰弱になったのではない。
多分、祖母さんは、俺の父親に嫉妬していたのだ。祖母さんは、祖父さんを俺の父親に奪われた悔しさでずっと狂っていたのではないか。




祖父さんに折檻される俺を助けてくれたのは、いつも父だった。
殴られて体温が下がり、冷え切った俺の手足を、俺が眠るまでさすってくれた。祖父さんに全く似ていない父は、骨が細く華奢だった。
父の指は、綺麗で繊細で優しい形をしていた。

父は祖父さんの跡継ぎには不適格だったが、何故か祖父さんは父を溺愛した。だから折檻の現場に父が止めに入ると、祖父さんは驚くほど素直に俺を殴るのを止めた。

大体、跡継ぎとして不適格だからというよりは、祖父さんが父に自分の仕事をさせたがらなかったという方が近い。
祖父さんは、父が自分の仕事に興味を持ったりする隙を作るのを恐れるように、父が望んだ教育の機会を惜しみなく与えた。父は一高から帝大に進み好きな学問を修めたが、その後は祖父さんの仕事の片棒を担がされるでもなく、屋敷の部屋で本を読んだり、インテリ仲間と議論をしたり、近隣の子供に読み書きを教えるなどして静かに生活していた。
高等遊民の走りのような存在であった父が、無学な成り上がりである祖父さんにニーチェなどを講義しているのを何度か見た。隣人愛の精神とは自己への逃避に過ぎず、本来あるべき態度というのは隣人に対する愛などではなく、未来に出現する者に対する『遠人愛』である等云々。
父の座る椅子の前で講義を受ける祖父さんは、ふてくされたような表情で時々あくびをしながら、しかし飽きずに父の声に耳を傾けていた。あの冷酷で悪質な祖父さんが、教師の前で神妙になる出来の悪い生徒のように見えた。

父は自分の境遇に不満を持っている様子はなかった。
父は俺を愛していて、同じくらいに祖父さんを愛していて、愛する家族に囲まれて何不自由なく好きな事をさせてもらえるのは、これ以上なく幸福だと言っていた。
ただ、祖父さんの非道な処世、そして俺への虐待には深く心を悩ませていた。

「僕はなにも、倫理の話をしているんではないんです」

人が違うように殊勝な様子でいる祖父さんに、父は静かな声で言った。

「そんな生き方をしていたら、疲れるんじゃないかと心配しているんです」

祖父さんは半分泣くような顔をしながら決まり悪そうに笑っていて、これではどちらが親だかわからないと俺は思った。
祖父さんは自分以外の人間が何をどう思っていようと全く気を留めなかったが、ただ一人、父についてだけは違っていた。
父は、祖父さんの唯一の良心だったのだ。

俺の最初で最後の女になったあの女中が俺に教えてくれた話が、事実なのかどうかは知らない。確かめる気もない。
だがもしも真実ならば、嫉妬から父を殺そうとした祖母さんは自殺ではなく、愛する者を傷付けられそうになって怒り狂った祖父さんに、殺されたのだ。




俺は父が気の毒で仕方がなかった。
女中の言葉が真実なら、父は呪われた性格破綻者の子に生まれたために地獄を見た。
それに、嫡子でありながら家業から遠ざけられ仕事も与えられず、飼い主の心を慰めるためだけに生きる籠の鳥のような生活が、いくら性に合うとはいえ男の身に生まれた者にとって快適ばかりであるはずがない。

父は俺が悪いことをすると、祖父さんが俺にするように殴ったりはしなかった。
ただ、居心地悪く父の前で棒立ちになっている俺の手を取り、

「いけませんよ、銀時」

と穏やかな声で言って、その綺麗で繊細で優しい指で俺の指をぎゅっと握った。

「あなたは賢い子だからわかっていますね」

「…でもお祖父様は俺を馬鹿だの出来損ないだのと言うよ」

「それはあなたのやった事を愚かだと叱っておられるだけですよ。確かにあなたは馬鹿な事をした。だからといって、あなたの本質が馬鹿者なわけではないんです。いつも言っているでしょう。あなたは賢い子です。それを忘れないでいれば、次の時はきっと馬鹿な事をせずにすみます」

父は低い穏やかな声で複雑な事を言う。俺は安楽椅子にかけた父の膝に乗り上げて、その華奢な肩に抱きついて、考えるふりをしながら目を閉じる。
俺がどんな姿勢を取っても父の優しい指は決して離れず、俺の指をぎゅっと握ったままである、それにたまらない幸福を感じながら俺はうとうとと眠った。

俺はいつしか、可哀相な優しい父を祖父さんから救いたいと思うようになっていた。
あの暴虐な男が自分勝手に閉じ込めている父を、他でもない俺が自由にしてやるのだ、と殆ど使命のように思うようになっていた。




家名以外の何一つその手に残っていない沖田に、昔日と変わらぬ贅沢をさせているその男は、酷く俺の好みだった。

「役者みたいな顔だな」

涎でも垂らしそうになる口元をなるたけ引き締めながら俺が呟く。

「そうですね」

山崎は全く興味なさそうに、最低限の返答だけをした。
俺と沖田のいたずらで気に入った女を他家にとられてしまった山崎は、主人の悪質な嫌がらせに気付いていた。さすがに怒りを覚えているらしく、このところずっと俺達に対して不機嫌だった。
俺は、この地味で気弱な男がそのような態度をあからさまにする事が可笑しくて仕方がない。

「下衆の中には時々ああいうのが出るものだ。容貌であれなんであれ、特異な何かを持って生まれる奴がね」

山崎が個人的な不機嫌の勢いに任せて、下衆、などという言葉を殊更に使ってみせた俺を上目遣いに睨んだ。

「…ふ、ふ。例えば、俺の祖父もそれさ」

下衆の中に突然出た異能。土方は祖父さんと同種だ。
祖父さんは生糸の工場で娘達を酷使して金を作り、土方は傾いた生糸の工場を買い叩いて金を作った。呪いに塗れた絹の糸は土方の足首にも絡まっている。
そして奴は、他者を拒むきつい目をした、体格のいい俺好みの男だった。

俺は呪われた絹を纏うサロメだ。
それと思った男の首を切り、盆に載せる。
勿論、本当に切るわけではない。ではどう切るのか。
俺は倶楽部で見付ける、正真正銘犯す者である男達に淫蕩な女のような顔をして擦り寄る。そして奴らが媚を売る淫蕩な女を愛そうとした瞬間を見計らって、犯す。今まで想像した事もないだろう、犯される者の立場を教えてやる。完膚なきまでに、徹底的に、快楽と苦痛を交えて、二度と外を歩けぬ程に教えてやる。
後はゆっくりと好きなように、物言わぬ男を味わうのだ。




「君は、その顔だ。女などとっかえひっかえだろう?」

紅茶を掻きまわした後、弄んでいた茶匙を戯れに掲げると、銀の曲面に土方の美しい顔が歪んで映った。

「…お前はいつまでここにいる」

土方の言いは単刀直入だった。なるほど腹芸は出来ないタイプか。俺は可笑しくなった。こんな顔をしているから、何か謎めいた深遠な考えを持っているかのようだが、実際は実に単純で素朴だ。
土方はその、歌舞伎の女形などをさせてもみたくなるような容貌を単純な感情のまま歪めて俺を睨み付けた。

「お前は本当にあのあばずれを貰い受ける気か」

貰う。貰うだと。
俺は内心で身を捩って笑い転げた。貰うなどというお上品な行いであるものか。俺は、ここに、盗みにきたんだ。

「取られるのが怖いか」

俺の言葉に、土方は切れ長の目を静かに細めた。俺の挑発に腹を立てている。
かわいい奴だ。
こいつの首を切り、自分の好きに使ったらさぞかし具合がいいだろうと思える。しかし、このかわいい土方は、あの小鳥のように無垢な天性のサディストである沖田に全身全霊で入れ込んでいる。女をとっかえひっかえどころか、あの愚か者にひたすら一途なのだ。

ああ、沖田君。君は本当に筋がいい。君は意識しないで色々の事がわかって、色々のことが出来る天才だ。だが天才だけに工夫が足りないのだ。
こういうものは、どのように使うべきか、どのように使えば最もよくなるか、君は全く考えない。それどころか、君はこれを使っているという意識すらない。なんという勿体ないことか。
俺は君に、こういうものはどう使うべきか、是非とも教えてあげたい。将来有望な君に、俺の知る事をみな伝えてあげたいのだ。俺の欠落の産物であるそれを、みな君に授けてあげたい。
このような単純な男に、その煌びやかな才能を台無しにさせてはいけないよ。

「苦労を知らねぇお坊ちゃんが。ケツを巻いて、さっさとおうちに逃げ帰るんだな」

怯える土方が、下衆を剥き出した口調で言った。
下衆出身でも三代目である俺には、そんな口調は真似できない。仕方がないから俺は弄んでいた茶匙を、冷えてしまった紅茶を湛える碗の中にかちゃんと投げ入れて椅子を立った。
ならば、苦労を知らない成り上がりお坊ちゃんのやり方というものを、見せてやるだけの事だ。









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