「いっ…」

いってえ、と男は声を上げた。
浅い擦過傷を舌で探ると削れた表皮がザラザラしていて、鉄の味がした。
新八は助手席の前、男の足の間に膝立ちになって、男の腹に顔を埋めて傷口を舐めた。そんなわけないが、なんとなく舐めたら消えるような気がしていた。
だから、最初は撫でるようにしていただけの舌には次第に力が入って、終いにはそこを抉るようになっていた。
男は新八がそうする毎に低い悲鳴を上げた。

「痛ぇ、痛ぇってば」

男が悲鳴を上げると、頬を押し付ける腹が痛みに対する反射でか細かく痙攣した。

「すいません、すいません」

新八は舐める合間に繰返し謝ったが、もう完全にすいませんってどういう意味の言葉だったか忘れていたので、正しくは謝ってなんかいなかった。
男の肩を押さえていた両手はかがみ込む新八の位置にならってずり落ちて、今は男の脇腹にあった。力の入った指先が男の腹にわずかに沈み、皮膚の下の筋肉の痙攣を如実に感じ取った。

すげえ。
と新八は思った。
エアじゃないってすげえ。リアルってすげえ。

「 と、友達に、僕と、」

是非、是非とも、お友達になってほしい。
脇腹の筋肉なんていう思いもしないような細部までが抜かりなく連動する、エアではない現実が持つ底力に新八は目眩するほど興奮した。

お腹痛いのは、もうやだになって緊張しているからではない。

興奮しすぎて緊張しているからだ。

「こっ…ういうのは友達って言わねぇ!」

男は腹にある新八の頭を押し退けようとしながら言った。

「じゃあ、あの、あれ、…『リアル』になって下さいっ」

「なんだそれ!」

「僕の、僕の『リアル』になって下さいっ!」

新八は叫び、引き剥がそうとする男の手に逆らって頭をより男の腹に押し付けると、ちょうど唇に当たった傷を舌の先でぐっと押し広げた。
男は鋭い悲鳴をひとつ上げ、新八を挟んで広げた足の、膝から上をはね上げた。男の爪先がダッシュボードに当たり、大きな音を立てた。
姉ちゃんの車が壊れる、と思った新八は男の膝を掴んで押さえ込んだ。

「あんた、靴は?」

押さえた男の足を見ると、裸足だった。

「知るか!」

そう言えばこいつをはねた時、路上にスニーカーが落ちていたと新八は思い出した。
靴のない足でダッシュボードを蹴ったせいで、男の親指の爪が少しだけ割れていた。
新八は、痛々しいような気がして、なんも考えずにそこを握った。男は振り払おうともがいたが、握られている割れかけた爪が痛んだためにまた声を上げ、それから畜生などと毒づくと、結局足の力を抜いた。

力の抜けた足の間に新八を入れた男は呟くように言った。

「リアルって…、」

「え…?」

「お前にとってのリアルって、何…」

新八は握った足の指を離した。男の足は助手席の上に力なく延びて脱力した。新八は自由になった手で男の半分だけめくれたTシャツを首までめくりあげた。
新八は男の問いに答えなかった。
別に、なんか思わせ振りな態度を取ろうとしたわけではない。単に、僕のリアルになって下さいとか、自分で言っといて何の事だか全然意味わからなかったからだった。

新八はまた男の腹に突っ伏した。男の皮膚は滑らかで、洗いざらしたみたいな妙な清潔感があって、他人の体に感じる違和感とかそれによる抵抗感があんまりなかった。おっさんに近い年齢の男のくせに。
外気に冷やされた新八の頬に接した男の腹が温かい。
温かいだけではなく、人体の弾力性と、紛れもなく生きている証拠としての微妙な反応があった。
そういうものを感じると同時に、自分の意志ではコントロールできないような深層心理的な潜在意識的な部分から、なんかしらの感情が沸き上がってきたのを新八は感じた。

この感情は、一体なんだ。



話は逸れるが、新八の意識の内部、インナースペースには役所みたいなとこがある。
その窓口には、役所の窓口の人みたいな格好したインナースペースの新八がいる。

新八はその窓口の内のひとつに座って、

「すいません」

とインナースペースの新八に言った。

「どうされましたか」

と、首から『健康福祉課・志村』というカードを下げたインナー新八は新八に言った。

「今、ちょっと変なことになってて…どうしたもんかと思って相談に来たんですが」

と新八は言った。

「ちょっと待って下さいね」

と、インナー新八は、横にある端末をタタタと叩いて

「ああ、問題ないですね」

と言った。

「えっ。ほんとですか」

と新八は言った。

「いま履歴見せて頂きましたが、大丈夫です」

とインナー新八は言った。

「許可、おりますかね」

と新八は言った。

「おりますね。ただ、申請書だけ書いてもらわないといけないんですが、今日は印鑑はお持ちですか」

とインナー新八は言った。

「はい、持ってます」

と新八は言った。

「じゃあ、ここに署名捺印と、あと『沸き上がってきたなんかしらの感情』はお持ちですか。写しを取らせて頂きたいんですが」

とインナー新八は言った。

「あ、はい」

と新八は言い、『沸き上がってきたなんかしらの感情』をインナー新八に渡した。

「お預かりします」

と、インナー新八は『沸き上がってきたなんかしらの感情』を受け取り、背後にあった複合機で『沸き上がってきたなんかしらの感情』の写しを取ると、新八に原本を返した。そして新八が行った申請書の署名捺印に漏れがないかを確認すると、

「では、許可証を数日内にお届けしますので、ご確認下さい」

と言った。

「…あの、もうひとついいですか」

と新八は言った。

「はい。なんでしょう」

とインナー新八は言った。

「実は、今現在、まさに変なことに直面しているんですが、やはりこれは、許可証が交付されるまでは待たなければならないんでしょうか」

と新八は言った。

「いえ。許可の日付は申請して頂いた今日からになりますから、許可証が届く以前でもしていただいて構いません」

とインナー新八は言った。

「そうなんですか。よかったです」

と新八は言った。

「ただ、」

とインナー新八は言った。

「先方さんには、きちんと許可が下りている旨をお伝え下さい。そこの連絡がうまくいかないと、トラブルになることもありますので」

「わかりました。どうもありがとうございました」

と新八は言って席を立った。
そして、役所みたいなとこを出た。…



「好きです」

トラブルを避けるために、新八は男に伝えた。
聞こえなかったら良くないので、新八は延び上がり、男の耳たぶに口が付くほどに近付いて伝えた。

「あんたの事が、好きです」

よくわからんけど、多分それが新八にとってのリアルに一番近いと思われたので新八は言ったのだが、

「バッカじゃねぇのお前…」

男は首をねじ曲げて、新八の声から逃れた。表情は呆れ返っていて、言葉通り完全にバカを見るそれだった。

「お前、俺を車ではねたんだよ?しかも、ついさっき。そういう相手に、お前、好きですとか…。俺はそれを聞いてどうすればいいの」

「わかってます。でも仕方ねぇじゃん。好きになっちゃったんだから」

「…優しくしたからか。俺が優しくしたのがいけなかったのか」

男は両手を上げて自分の顔を覆った。
新八は頭を男の頭の横にゆるゆると落とした。そのために、一度逃げた男の耳たぶは再び新八の唇のそばにあった。

「わかんないけど、多分、そうだと思います」

結局、声を直接耳に吹き込まれた男は、両手で顔を隠したまま、くっと息を詰まらせるような笑い方をした。

「俺が悪いってのかよ」

「わかんないけど…」

掌で隠しきれない男の口元が笑っている。
笑った形のその口が言った。

「…でも仕方ねぇじゃん。優しくしたかったんだから」



あ、ダメだ。

と新八は思った。



「…こっ、こここここ、」

「お前は鶏か」

「こばっ…、拒んで、ん、だか誘ってんだか、どっちなんだあんたは!」

新八は跳ね起きて喚いた。
喚きながら、男のジーンズのボタンを外して緩めた前に手を突っ込んだ。そんで間髪入れず、下着越しに性器を鷲掴みにした。

「いっ!…いってえぇ!何すんだアホ!」

「うるせぇ!好きです!」

殆どやけになった新八は下着越しのそれを掴んだ手を強く上下させ、そしてTシャツをめくりあげた時から妙に気になっていた、ちっせー乳首のついた胸に噛み付いた。

「痛っ!てめぇ、い、」

新八の下で男の体は痛みに強張って固まっていた。
車にはねられといて平気な顔してるくせに、この程度の事がなんだ、と新八は胸に食い込ませた上下の歯に力を入れ、性器を鷲掴む力も強くした。
男が強張った体を細かく震わせて、耐えるような低い呻き声を上げる。その声を聞いた新八はもっと噛みついた。
新八の、噛みつく口の中にある舌が男の胸に触れる。そして乳首に触れた。それは何故か固くなっていた。

「うッ、ぁ」

噛みつきながら、その内側の舌で固くなった乳首を撫でると、男はそういう声を出し強張った体を震わせて、ちょっと違った様子で身悶えた。
皮膚とは違うその辺の感触が楽しかったので、新八は周囲を噛んだまま熱心に舌でそれを触った。
噛んで触ってる内に、手が掴んでいる下着越しの性器が固くなって熱を持ってきた。

「え、嘘…」

感じてんのか。乳首舐められて?
思わず呟いた新八を男は潤み切った目で睨み付け、

「嘘じゃねぇよ!『リアル』だ、アホ!」

と怒鳴った。

男の表情を見、言葉を聞いた新八の顔がほんの一瞬だけ笑った。

自分で見えないから新八にはわからないが、それはとてもじゃないが普通の高校生がしていい顔じゃなかった。すんげー悪い顔だった。
男には、ほんの一瞬のそれがばっちり見えていた。

男は

「…やっぱ警察に言う。訴えてやる。告訴してやる」

と地を這うような声で言った。

「すいません警察は勘弁して下さい。告訴もなしで。ほんとすいません」

新八は男の胸を舐めながら言い、性器を掴んでいた手を離すと、おもむろに下着に突っ込んだ。

「あっ、てめ」

「すいませんすいません」

「あっ、てめ、あっ、あっ、ァ」

「すいませんすいません」

新八は謝りまくった。
全く謝罪の意がこもっていない謝罪の言葉を繰り返しながら、直に触った男の性器を自分のをするのと同じようにしてやった。

つまり、気持ちよくなるように。



いつの間にか、お腹は痛くなくなっていた。
それどころじゃなかった。










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