突然お通が歌い、新八はビクッとなって目を覚ました。
お通の歌は5秒くらいで途切れた。メールが着信したのだった。
新八は携帯を探したが見当たらない。手に持っていたはずだが、持ったまま寝落ちしたために握力が緩んでどっかに落としたのだと思われた。車内は探し物をするには暗く、どこかの陰に落ち込んだのか、着信のピカピカも見えなかった。
助手席の男の、よく寝ているために規則的な寝息が聞こえている。明るくすると目を覚ますかもしれないが仕方ない。
新八は車内灯を点けた。
携帯は、新八の足下の半ば座席の下に隠れた位置に裏返って落ちていた。
『どこにいるの』
開いてみた携帯のメール画面には、そんだけの文字が表示されていた。
fromねえちゃん。
画面上部の時刻を見ると、2時半だった。灯りを点けても男は目を覚まさなかった。



「新ちゃん。どうしたの。どこにいるの」

電話の向こうで新八の姉ちゃんが言った。
電話するために出た車外は、山中に近いだけあって寒かった。

「あの、ちょっと道に迷って」

新八は、今この電話で状況を説明するのは好ましくないと思ったので、とりあえず場を取り繕おうとそのように言った。

「ええ?大丈夫なの?」

姉ちゃんは心配そうに言った。

「いや、それで、もう迷ってはいないんですけど、また迷うといけないから、明るくなってから帰ろうと思って、明るくなるのを待ってるんです。大丈夫です。何でもないです」

微妙な嘘を吐く新八は早口になっていた。
そして、何でもない、とか余計な事までついつい言っていた。

「本当に?」

姉ちゃんは疑り深く言った。

「ほっ…んとうです」

新八は噛んだ。何でもない、は余計だったとすごく後悔した。

「………」

姉ちゃんはしばらく何かを考えてから

「…てめーフカシこいたら承知しねえからな」

と言った。

うううう嘘じゃないっす、と言った新八は電話を切った後、もしかしたら本当の事をきちんと説明した方がまだマシだったんではないかと思ったが、もう遅かった。
姉ちゃんは、朝7時までに帰って来なかったら新八にチョーパンを入れる、と宣言した。
今回のこの件に関して必要な調整は多方面にわたる。それに加えて今、時間制限までが設けられた。
姉ちゃんは新八を心から、本当に心配しているのだ。それで、こんな風にきつい言い方になるのだ。でも、チョーパンは嫌だ。



車内灯を点けたままの車の中に戻ると暖かかった。
新八は溜め息を吐いて、もうやだ、と思った。
外は寒かったし、姉ちゃんは怖かったし、また嘘を重ねてしまったし、お腹は痛いし、マジでもうやだった。
疲れた。
疲れた新八の横から、イビキに近い寝息が聞こえてくる。
車にはねられたというのに、へこんだのは車の方、という鋼鉄かと思うようなボディの持ち主は、首を向こうにガックリ折って熟睡していた。
すべての元凶はこいつだ。と、新八は思った。
しかし、すべての元凶であるこいつが今の新八にとって唯一の救いなのだった。非常に変な状態だったが、そうなのだった。たかちんにも姉ちゃんにも後ろめたくなっている新八にとっては、後ろめたい事が全部バレてしまっているこいつは唯一心を許せる存在なのだった。変な状態だったが、そうなのだった。
名前は高屋ですってウソついてるけど。

何より、おとーさんもおかーさんもいない新八を、おとーさんもおかーさんもいないこいつは同情して優しくしてくれた。それは、おとーさんもおかーさんもいる人間にそうされるのとは違う感じだった。なんつうか、意地を張らないで素直に同情を受けとれる感じだった。
それに、自分は少なくとも何歳までかはおとーさんもおかーさんもいた。しかしこいつは最初からいなかった。

それってどんな感じ?

と新八は思った。
そして、そういう感じとどうやって折り合いつけて生きてんのか、という事をこいつに聞いてみたいと思った。

端的に言うと、新八はこいつとお友達になりたかった。
車ではねといて、しかも山に捨てようとしといてなんだが、新八はこいつとお友達になりたかった。

お友達ってどうやってなるんだっけ。
車ではねて山に捨てようとした人とお友達になるにはどうしたらいいんだっけ。

と思って男を見た新八は、男を見た瞬間、またビクッてなった。

熟睡して動かない男の白いTシャツの腹。
そこが、なんか、赤い。
10センチくらいを筆で刷いたみたいな赤い何かがついていた。
いや、何かではない。これは

「ち、ちちちちち」

血。

どうしよう。
怪我してんじゃん。
なんか、怪我してんじゃん。

なんか体感的に鈍そうな男は怪我に気付いてないみたいだったが、鈍そうなだけに意外と大怪我なのではないか。
そして、自分を大怪我させた奴とは人は普通お友達になってくれないものではないだろうか。
ていうか、死んだらお友達もくそもない。
新八は、確かめなければ、と思った。
こいつが大怪我をしていないかを。
まだギリギリお友達になってくれる存在であるかどうか、こいつが死なないかどうかを。

車内灯の赤い光の下、新八は助手席に手を伸ばした。
そして、男が着ている白いTシャツを摘まんで、そうっとめくった。
男は目を覚まさなかった。

傷はあばらの下にあった。
Tシャツのシミと同じ大きさの傷だった。
何かに擦ったみたいな傷は、皮膚が浅く削れただけに見えた。新八は、体を乗り出して男の腹に近付いた。
近付いて見た傷は、やはり浅い擦過傷だった。
多分、死ぬとか死なないとかのレベルではない。多分。
新八は肩の力を抜いた。よかったと思った。

新八は顔を上げて、よかったと思いながら男を見た。

男は寝ていて、薄く開いた唇の間から前歯と、舌が覗いていた。そこは穏やかな呼吸を繰り返していて、男の浅い傷をつけた腹はそれに合わせてゆっくり規則的に上下していた。

「………」

なんだ…。
なんかわからんけど、なんか、またお腹痛い。
またお腹が痛くなってきた新八は、改めて男の傷を見た。
傷は、車内灯に照らされた男の皮膚の上で生々しく体液に濡れていた。

「………」

新八は極度に緊張すると胃にくる質だった。
今、ものすごくお腹痛い。
もうやだと思ってるからだろうか。もうやだになって、緊張が持続し過ぎて疲れているからだろうか。

と、思いながら新八は、なんでか知らんけど口の中に溜まった唾を飲んだ。
そして、指先を男の傷口に伸ばした。

「…冷て」

新八が傷に触れると、男の体はピクッと跳ねて、半分寝ているために鼻にかかった声を出した。
血は止まっていたが乾いてはおらず、新八の指には濡れた感触があった。そして、外にいたために冷えた指には熱いくらいの温度を感じた。

「冷て、なんだ…、冷たい」

男は薄目を開けて言った。半分寝ぼけて鼻にかかった声だ。薄く開けた目は溶けたみたいに潤んで、あらぬ方向を見ていた。
指が触る傷口は熱くぬるついていて、ずるりと滑った。
車内灯に照された男の裸の腹に、新八の滑った指が掠れた血の線を描いたのが見えた。

「あの、」

新八が声をかけると、寝ぼけた男は溶けた目で新八を見た。
睫毛が濡れて束になっている。

「お前…なんでそんなに冷てぇの、手…」

束になった睫毛を伏せて、男は腹に触れる新八の手に睡眠のために温もった掌を乗せた。乗せたところで力尽きたように、男はまた瞼を閉じて、そして小さい溜め息を吐いた。同時に新八の手を覆った掌の力が抜けて座席の上に落ちた。横向きに倒した頭から肩に繋がる首筋が無防備に大きく晒されて、従順な生け贄みたいだった。
みたいだった、というか、みたいだ、と新八が思った。

手が、助手席のオートマ免許所持者に触れている。エアではない、実在のオートマ免許所持者に。



新八は思った。
超お腹痛い。

もうやだになってるからじゃない。

別の理由で、超お腹痛い。



新八の襟足の産毛が、なんかわからん寒気に似たような感じで逆立った。

「お腹痛い…」

「あ?」

エア彼女ではない、これは実在だった。もっと言うと、これはエアでないだけでなく彼女でもなかったが、関係なかった。

だって、ものすごくお腹が痛いからだ。

「お腹痛い」

新八は、お腹痛いと言いながら、ギアとサイドブレーキを勢いよくまたぎ越して助手席へ移動した。反動で、姉ちゃんの軽の助手席がぎいと軋んだ。

「な」

男の広げた足の間に膝を入れ、両手を肩について新八は男を見下ろした。
最大に倒した座席に横たわる男は、自分に被さった新八を呆然と見上げていた。何が起こっているかわからない、といった目だった。無力で従順な生け贄の動物みたいな。

「なに。なんだ。なんなの」

「………」

そりゃそうだ。なんなのってなるよね。

車ではね、山に捨てようとしたら実は生きてて、そんななのに新八に優しくしてくれて、なんでかと思ったら新八と似たような境遇だったからで、だから新八はこいつといろいろな話をしたくなった。そんなこいつは助手席で無防備に横たわるエアではない実在のオートマ免許所持者だった。

お腹痛い。
超お腹痛い。
新八は、あまりのお腹痛さに、はは、と虚ろに笑った。

「なんだ。なんなんだ。なんなんだお前」

男は明らかにテンションのおかしい新八に押さえ付けられた肩を捩った。
新八はテンションがおかしいまま、男の肩を押さえる手に体重をかけた。

そして言った。

「お願いします!」

「あ?!なにを」

「僕と、友達になって下さい!」

「はあ?!」

言うなり、新八は頭を下げて、男の腹の傷を舐めた。











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