旧道に入って20分くらいの半山道だ。
この先10分ほど行けば集落があるが、ここは集落と集落の間、曲がりくねった街灯もない坂道だった。
行きの登り道はよかった。なんせ人間一人を誰にも知られず捨てるという使命があったから必死だったし、路肩は雑木林だった。
しかし、生きていた被害者の男と微かに打ち解けて切迫感が薄れた状態で街に戻ろうと僅かな離合スペースを使って(大変な思いをしながら)Uターンしてみると、路肩は落差10メートルくらいの崖だった。
真っ暗な下り道、片側が崖。

新八は先週末に免許を交付された、完璧な初心者だ。
1面でやっとクリボー踏んで喜んでるような人間がいきなり8面とかに叩き込まれたようなもんだった。足場はBダッシュジャンプを連続しないと落ちるような心細さで、しかも足下の土管からパックンフラワーが顔を出す。マリオの足が竦んだとして誰が責められようか。

しかもそんなマリオに、罪なきハンマーブロスがハンマーを投げてくる。

「家に帰してくれさえすれば文句はない」

とハンマーブロスは言うが、家にっていうか、それ以前に街に帰るのが新八にとって大問題だった。

「まさか、高屋くん…」

男は、たった10メートルも走ったくらいで力尽き、姉ちゃんの軽を路肩に停車させたきりハンドルに突っ伏してしまった新八を疲れきった目で見た。

「すいません…」

こいつに、もう何回謝っただろうか。
謝って当たり前すぎる立場であるのは理解しているが、新八はもう謝り疲れた。疲れるどころか、謝り過ぎて、だんだん腹が立ってきていた。
完全に逆ギレだったが、感情は理屈ではなかった。

「こんな暗い、危ない道なんか走った事ないんですよ僕。だって免許もらったの先週だもん。なんで、…なんでせめて街灯のいっこもないんだっ!」

「自分で来といてその言い種はないんじゃない」

「………」

お腹が痛い。道が怖い。
新八はハンドルに突っ伏したまま泣きそうだった。
しかし、泣いたところでどうにもならない。

「ゆっくり下りればいいだろ。崖が怖いんだったら、道の真ん中くらいを走ればいいじゃん」

男の発言は非常に温情的だった。
しかし疲れ荒んだ新八は男の温情に対して、立場も忘れて反抗した。

「対向車が来たらどうすんですか」

「来ねぇよ、こんな時間にこんなとこに」

「わかんないじゃないですか」

「じゃあどうすんだよ!」

どうもできない。
さすがの男もイライラしてきたらしく、組んだ膝の先を貧乏揺すりし始めた。優しかった男の機嫌が悪くなってきているのを感じた新八は、もうほんとに泣いちゃおうかなと思ったが、泣く一歩手前で気が付いた。
この男は大人だ。ちゃんとした大人かどうかは知らないが、年齢的にはおっさんに近い大人であることに間違いはない。

こいつ、免許持ってんじゃねぇの?

「あの…」

「なんだよ」

「非常に厚かましいお願いなんすが。あの…運転、代わってもらえませんか」

そうだ。そうするしかない。
このまま新八が泣きながら運転して崖から落ちる、及び対向車と正面衝突するよりは、男に運転させてでも確実に街に帰る方がずっと建設的ではないか。
交通事故の加害者が、道が怖くて帰れないので代わりに運転してくださいと被害者にお願いするとか、非常識極まりないがこの際仕方がない。

「無理だな」

男はとりつくしまもなく言い切った。

「いや、わけのわからないお願いなのはわかってますけど、でも他に方法が思い付かないんです。頼みます」

新八は、機嫌が悪くなりつつある男が意地悪をしているのだと思った。だから心の底からの謝罪を込めて助手席に向かって頭を下げた。
しかし男は

「無理なもんは無理だ」

と言う。

「そこをなんとか…」

「いや、無理だ。俺、運転できねぇもん」

「えっ」

「正確に言うと、この車が運転できねぇ」

「えっ」

「俺の免許はオートマ限定だ」

えええええ。

「えええええ」

『男はマニュアルだよね。オートマなんかダサいよね』というたかちんの言葉が脳裏を去来する。

「お、男のくせに…」

自分だってたかちんに言われるまではオートマ取ろうとしてたくせに、既にマニュアル免許を取得した新八は過去の価値観なんかコロッと忘れてそう言った。

「ほっといてくんない。必要ねぇもんは取らねぇ主義なんだよ」

男は冷たい横目で新八を見た。
ヤバい。これ以上機嫌が悪くなられるとヤバい。気が変わって、やっぱ警察とか言われるとヤバい。
焦った新八は卑屈に歪んだ追従の笑顔を作って男に向けた。

「そっ。そうっすよね。必要ないもんは取らないっすよね」

「…………」

「………………」

気まずい…。
新八は男の冷たい目から顔を反らした。窓の外は真っ暗で、ガラスには卑屈な笑いを強張らせた自分の顔が写って見えた。

ところで、新八には80万の貯金があった。
自分の車買おうと思って鬼のようにバイトをして貯めたのだ。
姉ちゃんの車はマニュアル車だ。オートマなんてゴーカートみてえなもん乗ってられっかよ、という考え方の持ち主である姉ちゃんは当然のようにマニュアル車だった。新八は、免許を取ったら姉ちゃんの車を借りようかとも一瞬考えたが、姉ちゃんは元ヤンであるので、万が一新八が車のボディに傷でも入れようもんなら新八のボディにも傷が入れられる可能性が高かった。
そんなら自分で買おうと思った新八は、別に寒冷地でもないこの町でマニュアル車である必要も感じなかったのでオートマ免許取って自分専用機を乗り回そうと思っていた。
しかし、一緒に車校に行ったたかちんが『やっぱ男は…』とか言いやがるから、衝動的に新八はマニュアル免許を取ってしまったのだ。
そして一旦免許取ってしまうと後はなし崩しで、なんかあったらボディ(新八の)に傷を入れられるかもという懸念なんか、免許取得の高揚感で跡形なくどっかに消えてなくなって、毎晩のように姉ちゃんに車借りては乗り回していた。
そして、この様だ。
僕の80万。万が一こいつの体がなんかおかしくなろうもんなら、死ぬ思いで貯めた80万が、僕の専用機のための資金が、削られてしまうのだろう。
おのれ、たかちん。
新八は頭の中で気の弱い幼なじみの首を締め上げながら歯噛みした。
完全に逆恨みだったが、感情は理屈ではなかった。

「…はっ!」

と、新八は男との気まずい雰囲気に俯けていた顔を上げた。

「なんなんだよ、お前は…」

男はうんざりした声で呟いたが、新八は構ってられなかった。
ばーん、と運転席のドアを開けて車外に出る。
そして、男がぶつかったと思われる前方のバンパーに駆け寄ってしゃがんだ。暗くて肉眼では確認できなかったので、そのあたりだと思われる箇所を指先ですすすと撫でた。
バンパーは微妙なアンジュレーションで、しかし明らかに窪んでいた。ちょうど、人間の幅くらいで。

「ギャアア」

傷を入れられる。僕のボディにも、これくらいのアンジュレーションがつけられる。

新八はその場で膝を付き、手を付き、四つん這いで項垂れた。
その側に、車を降りた男が近寄ってきた。

「なんだよ、ギャアアって」

「くるまが。くるまが。姉ちゃんのくるまが」

新八は先ほどは堪えた嗚咽を、今度は押さえられなかった。
男の治療費+姉ちゃんの車の治療費で、ほんとに志村くんって金の亡者なんだね、とかバイト先の女の子のシフトを代わってあげた時に言われたりしながら貯めた80万が消えていく予感に慟哭が止められなかった。

「くるまがー」

「車ってお前」

「姉ちゃんのくるまがー」

絶望に脱力した新八はその場にぺったり座り込み、両手で顔を覆って、くるまがくるまがと泣いた。

男は、しばらくその様子を眺めていたが、やがてぽつりと言った。

「はねた人間の前で、車の心配して泣くな」









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