ストラップ
あんまりくやしくて台所の隅で泣いていたら、足元で声がした。
「おい。」
見たら、僕の袴の裾を小さい銀さんが引っ張っていた。
体長10センチ足らずの小さい銀さんだった。
「銀さん。」
僕は床にしゃがみ込んで、小さい銀さんをじっと見た。
小さい銀さんはただ小さいというだけで、完全に銀さんだった。
なんか知らないけど、装備品まで全部揃った完品の銀さんだった。
「新八どうした。泣いてんのか。」
完品の小さい銀さんは、優しい声で言うのだった。
その声があんまり優しかったから、僕は余計に涙がこぼれた。
そしてそのうちの数滴が小さい銀さんの上に落ちて、小さい銀さんは僕の涙でびしょ濡れになった。
物凄くロマンチックだった。
「あんたのせいです。」
びしょ濡れの銀さんは小さい手で僕の膝につかまると、まさに銀さんでしかありえない動きで、しゃがんでいる僕の腿の上によじ登った。
小さい銀さんの体重は単3電池1本分くらいだった。
すごく小さい手足なので、太腿の上で銀さんが動いているところがくすぐったかった。
「馬鹿だな新八。泣くことなんかねぇよ。」
「泣かないで済むことなんか、全くねぇよ。」
「いいんだよ泣かなくても。
なぜなら俺は、今後お前の携帯ストラップとして生きることにしたから。
だからもう、悲しいこともムカつくことも、なんも起こらねぇんだ新八。」
携帯ストラップ。
小さい銀さんは体長10センチ足らずだった。
サイズ的には最適か、少し大き目くらいかと思われた。
「そうなんですか。僕の。」
「お前の携帯ストラップだ、新八。」
銀さんは最初と同じとても優しい声で僕に囁いて、そして自分の首の後ろに手をやると、何か黒い紐的なものを引っ張り出した。
紐は輪になっていて、確かにストラップの紐だった。
「これでお前の携帯に装着しろ。」
僕は小さい銀さんが差し出した紐の端を恐る恐る摘まんだ。
そのまま紐を持ち上げると、銀さんも持ち上がった。
紐は細いけれども案外丈夫なようで、多少ゆすっても千切れたりすることはなさそうだった。
まさしくストラップの紐。
どこでどのように銀さんと繋がっているのかは全然わからないが、大丈夫そうだった。
「痛くないんですか。」
「痛くねぇ。だってストラップだもの俺。」
「銀さん…。」
これから銀さんは、携帯がマナーモードになっていて僕が気付かなかった着信を教えてくれたりするのだ。
僕が姉上とかと話してるときに、すぐそばでぶらーんになっているのだ。
携帯落としそうになったら銀さんを掴んで、今度は逆に携帯がぶらーんになるのだ。
それはきっと、平和で静かな日々だろう。
悲しくも、ムカつきもしない。
するわけない。
だってストラップだもの。
「でも銀さん。ストラップは意外と消耗品です。だいたい半年くらいで、フィギュアなら手足がもげます。」
「そうね。」
「半年くらいで、あんたももげるんですか。」
「もげるかもな。」
「もげたら…、どうするんですか。」
紐で釣り上げられてぶらーんになっていた銀さんに掌を差し出すと、銀さんは僕の掌に着地するなり、両足を投げ出してだるそうに座った。
やっぱりぶらーんは疲れるのではないだろうか。
気にかかる。
ところで、それはそれとして、僕は単3電池1本分の重さにそろそろ変な興奮を覚え始めていた。
僕は、誰憚ることなく完全にバカだった。
「もげたら、別のに換えればいいだろ…。」
「な、なんてこと言うんだあんたは!駄目ですよそんなん。」
「だってストラップだもん。壊れたら換えるだろ普通に。」
「そんなこと言わないで下さいよ。換えれるわけないでしょう。」
僕は心から悲しくなって、換えろなどと言う小さい銀さんを思わず両手で握りしめた。
銀さんは僕の握力に体を締め付けられて窒息しかけ、呻き声を上げた。
10センチ弱で単3の、僕の涙で濡れて湿った銀さんのそういう感じは非常にそういう感じだった。
それは僕がバカだからに他ならなかったが、別にもうバカでもいいと思った。
しかしここで銀さんを潰してしまうわけにもいかないことがわかる程度にはバカではない。
仕方なく握力を緩めると、銀さんは広げた僕の掌の上でぐったりと大の字になった。
バカを自覚した僕には怖いものなど何もなかったので、中指の腹を使ってぐったりした銀さんを優しく何度も撫でた。
この、儚い弾力性…。ぐったりした銀さんの弾力は、ゆで枝豆(さや入り)の弾力に似ていた。
「銀さん。僕、銀さんを携帯に付けたりしません。」
大切にティッシュでくるんで箱に入れて、引出しにいれておきます。
それで、時々そっと箱から取り出して眺めます。
気がすんだらまた箱にしまって大切にしておきます。
「新八、お前は酷い奴だな。」
「どうしてですか。」
「壊れるのが怖いばっかりに俺をそうやってしまい込むとか。お前には、俺を携帯する勇気もないわけ。
お前は、悲しくもムカつきもしないだけじゃ、駄目なんだな。
悲しくもムカつきもしない、そして怖くもない。そうじゃないと駄目なんだ。
そんなん、最初から死んでるのと同じだろ。何もないのと同じだ。意味ねぇよ。存在する意味がねぇ。」
銀さんは、銀さんを撫でる僕の中指を小さい両手で掴んだ。
「それに、そんなとこに俺をしまってたら、お前、絶対俺のこと忘れるだろ。
…それとも、忘れたいのか。」
僕の中指は震えていて、もう銀さんを撫でることもできずに、ただ銀さんの小さい手に掴まれたままだった。
僕はまた泣きそうになっていた。
銀さんはゆっくり起き上がると、震えて力が抜けて、緩く曲がってしまっている僕の指を優しく撫でてくれた。
物凄くロマンチックだった。
「お前はもっとバカになれよ。起こってもないことを心配するのをやめろ。
起こってもないことを心配するから、悲しいしムカつくんだよ。
考えるなら、今自分がしたいことを考えろよ。それだけを本気で考えろ。そうすりゃもっと楽になれるから。」
決壊した涙腺から涙が際限なくこぼれて、また銀さんの上に落ちた。せっかく乾きかけていた銀さんはまたびしょ濡れになった。
僕は、言われた通り心配することをやめた。
心配することをやめてプリミティブになった僕は、濡れている銀さんをなめたいと思ったので
「銀さん。なめていいですか。」
と思ったそのままを口に出した。
銀さんは
「お前がお前のストラップをどうしようと、お前の勝手なんじゃね。」
と言った。
っていう妄想を台所の隅で泣きながらしていたら、ちょっとましな気持ちになってきたので、
僕はやかんに水を入れて火にかけた。
そして番茶を沸かしながら、小さい銀さんをなめたらどんな感じなのか
湯が沸く間中ずーっと考えていた。
<< prev next >>
text
top