わからない
僕は、銀さんの後ろを歩いていて、銀さんは、僕の前を歩いていた。
歩きながら、つまらないことを話していた。
トマトの中のドロドロを食べるか食べないかとか、僕が鉛筆を削ったことがないとか、そういう。
僕はトマトのドロドロは食べるし、鉛筆を削ったことがないのは鉛筆を使う機会があんまりなかったからだ。
銀さんは、トマトのドロドロはトマトの内臓だと言って、鉛筆を使う機会があまりなかった僕をゆとりだと言った。
すごくどうでもいい。
すごくどうでもいい話をしながら、歩きなれた道をだらだら歩いた。
僕は銀さんの後ろ姿を見ながら、一体何考えてるんだろうなこいつは、と思っていた。
僕には銀さんの考えていることが全然わからない。
出会った頃も今も、一貫してわからない。
しかし、僕はそのわからない部分に何かを感じたから今ここにこうしているわけで、だから、銀さんのわからない部分というのは決して怖いようなものじゃなくて、どちらかというと親しくて、どこか愛おしい感じすらある、そういうものなのだった。
だから別にわかんないままでもいいんだけど、わかんないものはわかりたくなるものなので、僕は時折、何考えてるんだろうなこいつ、と惰性のように思うのだった。
「なんていうか、」
僕は、銀さんの背中に向かって話しかけた。
「僕らは、どこへ行くんですか。」
家を出てきたとき、銀さんはどこへ行くとも言わなかった。僕もどこへ行くのか聞かなかった。
でも僕は黙ってついて出た。銀さんもついて出た僕に何も言わなかった。
「どこへ行って何するんですか。」
今日は晴れているけど肌寒い日で、足元を冷たい風がすり抜けていって、僕は歩きながら少し不安だった。
前を歩いている銀さんが巻いているマフラーの端が風に煽られてひらひらしていて、僕はそれを掴みたいような気がする。
或いは、前を歩いている銀さんを押しのけて、僕が前を歩きたいような気がする。
しかし僕は、そのどちらも出来ないで、ただ漠然とした不安に緩やかに揺られている。
なんだか酔いそうだった。
「どこへも行かねぇし、なんもしねぇよ。」
そう言う銀さんの声は平らで低く、僕に、というか誰かに話しかけている風でなく、まるで独り言を呟いているようだ。
「それは、」
僕がついてきたからですか。
僕がっていうか、僕らがついてきたから、あんたはどこへも行かないし何もしないんですか。
銀さんが突然立ち止った。
それは本当に突然だったので、僕は「それは」の続きを言いかけて口を開いた状態で銀さんの肩甲骨あたりに衝突した。眼鏡が顔に食い込んだ。そして、僕の口が衝突した銀さんの肩甲骨あたりに僕のヨダレがちょっと付いた。
「お前は、どっか行きたいか。そんで何かしたいか。」
僕は、銀さんに付いた僕のヨダレを手の甲で拭きながら、銀さんの、ちょっとこっちを振り返った横顔を見た。
何も考えないで改めて見ると、ずいぶん冷酷そうな作りの顔だな、と思う。
一瞬、こんな顔した人間の庇護の下にいても大丈夫なのか、と思うくらいの。
「いや別に。僕は、どこへも、何も。ていうか、思いつかない。」
銀さんは腕を伸ばし、そう言う僕の口元に残ったヨダレを親指で拭った。そして言った。
「俺も思いつかないんだよね。」
僕は、何考えてるんだろうな、こいつ、と思った。
僕は、馬鹿な犬みたいに、銀さんのその冷酷そうな作りの顔をぼーっと見上げた。
冷酷な顔した銀さんは、僕のヨダレを拭った親指を僕の左胸の上で拭きながら、
「どこもへ行かねぇし何もしねぇって、俺は前に決めたんだよ。だから俺は何も思いつかないし、お前も思いつかなくていいんだ。」
と言った。
「ていうか、思いつかないでくれ。」
とも言った。
僕は、相変わらず馬鹿な犬のような表情のまま銀さんを見上げていた。
しかし、僕はもう不安ではなくなっている。
銀さんは、相変わらず冷酷そうな顔をしていた。
しかし、おそらく、その冷酷は内側に向いている。
僕には、銀さんの考えていることがわからない。
出会った頃も今も、一貫してわからない。
わからないが、でもそのわからなさを、どこか愛おしいと思っている。
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