(4)



誰かいる。

その日もそこを訪れた新八は、もう少し雑木を分け入れば崖が見えるあたりで足を止めた。
誰かの声がするのだ。
自分以外にこの場所を知る者があるのか、と妙な焦りを覚えて新八は下草を踏む足を早めた。或いは彼を見ることもできない人間が、木立の間に見える景色にひかれてこの場所を探し当てたのか。
あの静かな場所や時間を他人に踏み荒らされるのは嫌だった。

藪を掻き分けるといつもの崖が見えた。
その際に彼が立っている。
そして、彼の横に知らない女の子が座っていた。
女の子はしきりに何かを喋っていて、新八に聞こえたのは彼女の声だった。
新八は、彼と話したいと強く思っていたが、彼はまるで8ミリフィルムが投影する映像のようで、会話する事など不可能だと思われた。だから半ば諦めていたというのに、あの知らない女の子はしきりに何か喋っている。

「そのひとと話せるの?」

新八の口調は詰問するようだった。
振り返った女の子は体を硬く強張らせ、突然現れた新八を上目遣いに睨むように警戒の表情を浮かべた。

「…君はそのひとと話せるの?」

取り乱した自分に気付いた新八がゆっくり言い直すと

「お前」

と彼女は新八を呼んだ。

「お前、最近、誰か死んだ?」

彼女はそんなふうに言った。
父親が、と新八は答えた。

「わたしはマミーが死んだよ。ずっと前に。悲しくて、わたしも死んでしまいたいと思って夢中で走ったら、ここに来てた。そしたら銀ちゃんがいた」

「銀ちゃん?そのひとの名前?」

「そう」

「誰かが死んだらそのひとが見えるの?」

姉には彼が見えなかった。

「見える人と見えない人がいる。パピーとにいちゃんには見えなかった」

新八は湿った土を踏んで彼らに近付いた。
女の子は座ったまま近付いて来る新八を見ている。彼はいつものように町並みを眺めるばかりで新八に意識を向けない。しかし、女の子にも意識を向けていないように見える。

「僕はそのひとと話してみたいと思ってる。でも全然できそうになくて、だからそのひととは話が出来ないんだと思ってた。なのに君は話をしているみたいだったから驚いたんだ」

「話してないよ。わたしが勝手に喋ってただけ。銀ちゃんは何も見えてないし、聞こえてない」

彼女は傍らの幽霊を見ながら言った。

「でも、じゃあ、君は何でそのひとの事を知ってるの。名前とか、見えてないとか。話せないならどうして知ってるの」

彼女は、幽霊から新八へ視線を移した。
新八より2つ3つ年下に見えるが、表情はまるで大人だ。
何か悲しい事を知っているような顔だと新八は思った。

「一度だけ、話した事があるから。名前とかは、その時に聞いたよ」

「どうして?どうして話せたの?」

何か方法があるなら、どんな事でもいい。それをして、彼と話してみたい。声を聞いてみたいのだ。

彼女は新八の様子をじっと見ていた。変に大人びた悲しい表情だ。
そのような表情で彼女は言った。

「わたし、一度、心臓が止まった。車にひかれて」

彼女は新八の前で、着ていたブラウスの前をたくし上げて見せた。
彼女の白い腹から胸にかけてを大きく長い一本の傷痕が貫いていた。

「こうなる前の日に銀ちゃんと初めて話が出来た。その日だけ。それからは一回も話せてないよ」

わたしは何日も目を覚まさなくて、何日目かに心臓が止まった。パピーはもう駄目だと思ってお葬式の準備を始めた。
でも、お医者さんがわたしに電気を流したりして、それでわたしは生き返った。
わたしは、一回、死んだ。

「わたしが銀ちゃんと話が出来たのは、わたしが車にひかれる前の日だった。わたしが銀ちゃんと話したのは、それきり。元気になってからまた来てみたら、もう話せなかった」

「どういう事…」

「銀ちゃんと話せるのは、もうすぐ死ぬ人だけっていう事」




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