殺人

※あ痛たたた(肉体的に)、な表現あり




「戦争ってどんな感じです」

と新八は言った。

銀時の右の耳たぶには小さな切れ込みが入っている。耳の穴と同じ高さ、普段髪の毛に隠れているそこは、5ミリくらいの切れ込みが入って裂けている。
風呂上がりで濡れた髪が後ろに撫で付けられているせいで見えたそれが、新八にそんなことを訊かせた。

「あん?」

銀時は手にタオルをさげて新八を見た。
新八は

「やっぱり怖いもんですか」

と続けながら、甘い乳飲料の紙パックを銀時に手渡してやった。
銀時はタオルを持った手に紙パックを受け取って、側面に貼り付けられたストローを毟り取ると紙パックに刺した。刺したストローを唇の上下にくわえて吸う。乳で薄まったピンク色がストローの中を上っていった。

「それとも正義感が満たされたり、征服欲が満たされたりする?」

新八は男なので、興味がある。
その是非がどうの、という以前に純粋に興味がある。
だから、いつもなんでもなく身近にいる銀時にこそ、それを訊いてみたかった。

「敵への憎しみとか怒りで戦うの?それとも正しくないものを倒す、みたいな義憤ですか?」

黙ってピンク色を吸っていた銀時は、吸った分をゆっくり嚥下した。
それから紙パックを流し台の上に置き、手にしたタオルを頭に乗せて濡れた頭を雑にゴシゴシ拭いた。
水滴を飛ばしながら銀時は3歩ほど歩いて新八のすぐ前に立つと、ゆるゆると左手を上げた。

「………」

なんとなく首を竦めて避けようとした新八の、耳の後ろから後頭部を通ってもう片方の耳の後ろにかけてが銀時の長い指に固定された。首の座らない赤ん坊を抱えるときの要領だ。
それで新八は逃げられなくなり、しかも自然と顎が上を向いた。口が馬鹿みたいに開いた。

口を開けて見上げたすぐ近くには風呂上がりで血色の良い銀時が新八を見下ろしていて、新八はすぐ近くにある温かそうに湿った皮膚や萎れた髪の毛に、開いたままのこの口を使って触りたいなと思った。
唇や舌や、口腔内の柔らかくて敏感な粘膜で銀時を確かめてみたい。新八は、話の途中だというのにそんな事を考えた。
或いは口付けてくれるんじゃないかと思った新八は、緩んでいる口角がムズムズして待ちきれなくなり、至近に立っている銀時の脇腹に指先を伸ばして少しだけ触れた。
銀時は、新八が脇腹に触れると、肩からだらりと脱力してぶら下げていたもう一方の腕を上げた。
それが新八の指を払い除ければダメだし、手を重ねてくればダメじゃない。どちらかな、と思いながらも新八は、きっと銀時は自分に優しく触れてくれるに違いないと根拠のない期待を募らせた。

しかし銀時の手は、脇腹に触れる新八の指を無視して、新八の目の前まで持ち上がった。
爪が短く切られた銀時の指は節が目立っていて長い。男っぽくて格好のいい形をしている。
新八は、目の前に突き出された銀時の指をぼんやりと見た。

「…あが」

と、新八の喉が変な音を立てた。
銀時の中指が、開きっぱなしの新八の口に突っ込まれていた。

「ここから、」

と、新八の口腔内に入り込んだ銀時の中指は下顎の前歯を越えて、舌の裏側を探った。

「ここから下には骨がない」

銀時は言い、舌の裏側、その下部の粘膜をぐっと押し下げた。
舌の付け根が突っ張って痛い。
新八は顔を顰めたが銀時は止めなかった。そこを押したまま言葉を続ける。

「だから、顎の裏側からここを突くと、びっくりするくらい簡単に刃先が入っていく。そこの」

銀時が目で示した流し台の上にあるまな板には、夕飯のおかずに使う蒟蒻がのっている。

「蒟蒻に包丁を立てるみてぇな感じだ」

感触を確かめるように銀時は指先に二、三度ぐっぐっと力を入れる。
新八は、銀時の指に押される事で、そこが骨のない粘膜と筋だけの層である事を意識した。例えるなら蒟蒻みたいな。

「でも、筋と粘膜と舌、柔らかいのはそこまでで、すぐに刃先は固いもんにぶつかる」

粘膜を押していた銀時の指が反されて、新八の舌の側面を撫でながら移動し、上顎を突いた。

「ここだ」

口蓋の襞を銀時の爪の短い指先がなぞった。

「ここには骨があるから硬い。粘膜や舌を突き通った刃先はここの骨にぶつかって、めり込んで、それで音を立てる。耳で聞こえるっつうか、刀を伝って掌に響く感じだ」

『ぺきっ』みたいな。
ここの骨は硬いが、薄くて脆いんだ。

銀時の指が、上顎の骨をノックする。
とんとん叩かれる感触は確かに硬く、新八は、ここに骨があるのを知る。そして、この脆い骨に刃物の先が刺さる事を想像した。
柔らかくて敏感な、ついさっき銀時の皮膚や髪を愛でようとした、蒟蒻みたいな粘膜の層を裂いて刃物が貫く。その切っ先は上顎の骨にめり込んで、ぺきっ、という音を立てる。
今、口の中にあるのは鋭い刀の切っ先ではない。爪を短く切った銀時の指先だ。
しかし新八は、自分の上顎の骨がそういう音を立てたような気がした。

首の座らない赤ん坊の頭を抱えるように、銀時は新八の頭を抱えている。口の中に突っ込んだ指が口蓋骨を叩いている。
そうしながら銀時は、眠そうな表情で喋り続けた。
新八はどうする事も出来ずに、ただ銀時を見つめた。

「こんなとこを突かれたくらいじゃ、人は死なねぇ。痛ぇし、びっくりするだろうが死なねぇんだ。それで、突かれたそいつは、どうしたらいいかわからなくなったんだろうな、そのまま俺をじっと見てた。…丁度、今、お前がしてるみたいに」

舌に銀時の指が触れている。
風呂上がりのせいで、湯の味がした。研がれた鋼の味はしない。

「俺が覚えてるのは、」

銀時の指が新八の舌を優しく撫でるように弄んでいる。

「刀を伝わって聞こえた骨が割れる音と、俺を見つめるそいつの表情」

覚えてるのはそんだけだ。

銀時はそう言うと、新八の口腔から指をゆっくり抜いた。
新八は痺れて緩んで開きっぱなしの口から垂れそうになった涎を、袖で拭いた。思わず確認した袖は、血で汚れてなどおらず、透明に濡れているだけだった。

「…それで、どうなったんですか」

新八は涎を拭った袖を見ながら訊いた。
銀時は、あまり感情の感じられない声で答えた。

「俺がそのまま刀を突き上げた」

今ここで、風呂上がりで温かく湿っている銀時は、人殺しだった。

人殺しの記憶しかないと断言する銀時が英雄と呼ばれるのなら、つまり、結局、戦争は膨大な殺人の蓄積であるのだろう。
或いは、銀時には英雄は向いていなかったと言う事だ。

「萎えたか?青少年」

銀時は流し台に置いた紙パックを取り、またストローをくわえた。その口元は笑っていた。

「………」

新八は流し台に寄りかかる銀時に近付き、その手首を取って持ち上げた。節が目立った男っぽくて格好のいいそれが、風呂でふやけて柔らかく温かい。掌にしっとりと馴染むようだった。
これは、人殺しの手だ。

新八は床に膝を付き、目を閉じて、まるで尊いものであるかのように銀時の手に唇を押し当てた。
そして、切り裂かれていない口の中を使って、人の口の中を切り裂いた人殺しの手を丁寧に愛でてやった。










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