空に星が溢れかえってしまったら、星座をむすぶのがすこしだけ難しくなった。だけどその代わり星が流れることは珍しくなくなったし、燦々と空を彩るたくさんの星のうち、ひとつくらい、つかめるような気がしたから。
狭くも広くもないベランダは、高さだけは十分すぎるくらいにあった。その手すりに寄りかかって、手を指先までぴんと張りつめて、空に向かってまっすぐ伸ばして、ゆっくり、小指から順番に指先を手のひらにしまい込む。もしも流れ星をつかまえられたら、3回唱えきれなくても、願い事を叶えてくれる?
はあ、と吐き出した息が白く濁った。昼間は真夏みたいに暑かったのに、日が沈んだ途端にするする冷えていって、この冬の最低気温を記録、なんて、笑っちゃう。そのせいでわたしは、半袖のティーシャツの上にもこもこのカーディガンなんていう、ちぐはぐな格好をしていた。

「なにしてんの?」

握りしめた手を胸にあてて、振り返る。湯気のたつマグカップを両手にひとつずつ持った涼太が、わたしのおかしな行動に口元を緩めていた。差し出されたカップを受け取って、あついココアをつめたい体に流し込む。ちょっとだけ、舌をやけどした。

「いないと思ったら、こんなとこにいたんスか」
「珍しく晴れてたから」
「あ、ほんとだ」

涼太もカップに口をつけた。喉仏がかすかに動く。「あっちい」小さく洩れた声に、今度はわたしが笑った。唇をとがらせてふうふうとココアを冷ます姿は、ちいさな子どもみたいで、かわいい。言ったら拗ねちゃうから、あんまり言わないけど。
そっと手を開いてみる。でも、やっぱり、当たり前のように、なにもない手のひらを冷たい風が撫でるだけ。

「わたし、ちゃんと星になれるかな」
「…急になんスか?」
「死んだら星になるって言うじゃない」
「はは、ロマンチスト」

ふわりと、後ろから抱きしめられる。しなやかな、だけど骨っぽい左手がわたしの左手をすくって、薬指におさまるちいさな約束を撫でた。「オレの名字、あげたかったなあ」そう言って泣きそうな顔で笑うから、つられて泣きそうになったのは、つい先日のこと。安くはない指輪まで用意して、あんなことを言ってみせた涼太だって、たいがいロマンチストなんじゃないかなあ。
あの時、終わりが来るのがあと2年遅かったら、って涼太は言ったけど、もしそうなったとしてもその時にはまた別の誰かが同じことを思うかもしれないから、結局はいつでも変わらないのかなって、今は思うんだよ。

「あ、彗星も見える」
「気づいてなかった?」
「うん、星がありすぎて」

右手を拳銃に見立てて、人差し指で彗星を狙う。もしもわたしが超能力者だったなら、ぱあんって銃声代わりの言葉を放った途端に、彗星はばらばらに砕け散るのに。「ぱあん」ちいさくつぶやいても、わたしのささやかな反抗なんてちっとも気にしないで、青白い彗星は淡々と、同じ色のやわらかい尾鰭を紺碧の星の海に残していく。かけらがまたひとつ、流れ星になって落っこちた。願い事を唱えるひまなんてない。
おおきなくしゃみをひとつしたら、もう中に入るように言われて、おとなしく従った。ほどよい具合の暖房に体がじんわりと暖められる。わたしの鼻が真っ赤になっているからと笑う涼太だって、鼻もほっぺも真っ赤だった。
ぬるくなったココアを一気に飲み干す。後ろ首に手を回して屈ませて、それでも足りないからぐっと背伸びをして、あまったるい唇を押しつけた。べろりと唇を舐められたから、すこしだけ隙間をつくってあげる。涼太の口の中もやっぱりあまったるかった。薄く瞼を持ち上げたら目が合って、だからそのまま、するりと離れる。

「なあ、今の、なんのつもり?」
「窒息させてあげようかなって」
「ふ、なんスか、それ」
「なかなか素敵なやり方だと思ったんだけどなあ」
「もっと、うまくやんなきゃ」

口の端からあかい舌がのぞく。あ、と、思った時にはもう、ぱっくりと食べられて、もとい、キスされていた。言っただけあって、涼太はわたしよりよっぽど上手で、長い指に鼻をつままれたなら、本当に、息ができない。…このまま終わってしまえたら、わたしは幸せ?ちらりとよぎったのは、たぶん、気の迷いなんかじゃない。
酸素を求めてはあはあと喘ぐわたしを涼太はゆるく抱きしめてくれた。大丈夫?という声にただうなずいて、それから、ぎゅうっときつく抱きしめ返す。さいごまで、離してあげないから、涼太も彗星なんかによそ見しないで、わたしをちゃんと見ていてね。


心中ごっこ