暗雲が垂れ込める空をじっと見つめては、そして、しとしとと降りしきる粒子の細かい雨粒を見つめては、小さく溜息をついた。その雫は地へと降り立って地面を浸食し、小振りな池さえ拵える。砂地のグラウンドはすぐに幾つもの水たまりでいっぱいになってしまった。その数の多さが、容赦なく降り注ぐ雨脚の強さを物語っている。朝は雲一つない青空が広がっていたはずなのに、一転して厚い雲に姿を隠してしまった太陽を恨めしく思う。今日に限って雨具を忘れてしまったことを悔やむものの、それで雨が止んでくれるのならいくらでも反省をするというのに。現実はそう甘くなかった。寒さが和らぎ春めいてきたと思っていたらこれだ。登校し、友人たちからお祝いの言葉を浴びせられ、幸せな時間を過ごして良い一日だった、と終わらせることができるはずのところに思わぬ用事を言いつけられ、そしてその用事がこれほど時間がかかるものだったとは。いつものように友人たちと下校していれば、こんなところで一人、希望もない雨宿りなどせずにすんだというのに。ぐるぐると、今日一日のターニングポイントを思い返したところで現状は変わらず。人気のない校舎でひたすらに雨があがるのを待つくらいならいっそ。その決心を固めるうえで気にかかることがひとつ。鞄の中には丁寧なラッピングの施されたプレゼントの数々。自分が濡れることは厭わないけれど、せっかくもらったそれらが台無しになってしまうくらいなら。そうしてまた、後悔で渦巻く心境を投影したような空を仰ぎ見る。

「雨やまないなあ」
「やみませんね」

 空しく響いて消えるはずの独り言に返答が返ってきて、それも背後でするものだから、大げさに跳ね上がった肩も仕方がないというもの。振り返るまでもなく、声の主はわたしの隣に肩を並べて「どうも」ぺこりと会釈をして見せた。

「く、黒子くんかあ。びっくりした」
「すみません。さっきから後ろにいたんですけど」
「えっそうなの」
「はい。声をかけるタイミングを見計らってました」

 いったいいつから見られていたんだろう。変なこと、してなかったかな。無意識の自分を見られるというのがこんなにも恥ずかしかっただなんて。それも全部、相手が黒子くんだから、なのだろうけれど。さっきまで心にかかっていた靄が、晴れていく気がした。「傘、ないんだったら」黒子くんの視線が、何も持っていないわたしの両手に注がれる。

「入っていきますか」
「いいの?」
「ちょっとだけ濡れてしまうかもしれないですけど」

 僕の傘、小さいので。それでも良ければ、という提案に甘えて「…黒子くんさえよければ」なんてかわいげのない言葉を返してしまう。そこは「喜んで」と笑うところなのに。互いの微妙な距離感が面白くて、誤魔化すようにへらへらと笑えば薄い水色の傘を広げた黒子くんが、首を傾げてこちらに向き直る。

「帰りましょうか」



 ひとつの傘に二人で入るという行為は、なかなかに羞恥心をくすぐられるものだった。弧を描いた膜が頭上を覆っているだけなのに、そこで世界が完結してしまう。不思議な空間。そして何より、近い。視界の隅に黒の学ランがちらついて、黒子くんと肩を並べて歩いてるという事実をどうしようもなく突きつけられる。肩が触れるのは当たり前。というのも、あまりの近さに驚いてのけ反ったわたしに黒子くんが「濡れますよ」と距離を詰めてくれたからだった。その自然な気配りにどぎまぎしてしまってろくに発音できなかった「ありがとう」の言葉が口の中でもごもごと音を立てる。あまり親しくしている女の子を見たことがないけれど、もしかしたらなかなかにやり手かもしれない。盗み見るように見上げたなら、黒子くんはこちらに気が付いて首を傾けた。さっきから度々見られるこの仕草は、黒子くんの癖なのかもしれない。かわいいと思いながら顔を伏せる。ぱたぱたと傘を叩く雨音だけが響いて、隠しきれない気まずさが場を支配していたとき、気が付けばふと頭によぎった疑問をぶつけていた。

「黒子くんは部活帰り?」
「いえ、実は補習がありまして」
「補習? 新学期早々たいへんだね」
「恥ずかしながら勉強は苦手です」
「そういえばよく授業中も寝てたっけ」

 火神くんの後ろでこっそり寝てるからばれないんだよね。日常風景を懐かしむように言えば、きょとん。効果音にすれば、そのような音だろう。面を食らったように瞬きを繰り返す黒子くんがいて、何か変なことを言ってしまったのだと悟る。なんという失態。でもわたしもよく国語の時間とか眠っちゃうし、部活きついならしょうがないって思うしと早口でまくしたてれば、黒子くんはきょとんとした顔を崩さずに大きく目を見開いた。今度は驚いてる? 決して大きくはないけれど色々なリアクションをする黒子くんを見られて貴重だと感じる。

「ごめんね。決して黒子くんを責めるわけで言ったんじゃなくて…」
「いえ、事実授業中に寝る方が悪いわけですし」
「でもほらっ寝てる人なんていっぱいいるし!」
「僕が驚いたのは、」

 よく見ててくれてるなって思ったからです。その言葉に今度はこちらがきょとんとする番だった。途端、黒子くんの呆けた顔の意味も、わたしの本当の失態の正体も、パズルのピースが組み合わさるようにして完成体を作り上げた。そこまで鈍くはないけれど、どうせだったらもっと早い段階で気づいていたかった。

「そっか! ごめんね気持ち悪かったよね!」
「そういう解釈になるんですか?」
「違うの?」
「違いますよ。それに関しては僕も似たようなものですから」
「えっ、どういうこと?」
「お誕生日、おめでとうございます」

 話の流れが読めなかった。唐突に告げられたそれは、今日のうちに何度も言われた言葉なのに、友人たちに向かって言ったように「ありがとう」と返せばいいはずなのに、それができなくて。続けざまに与えられる衝撃の数々は頭の処理能力を遥かに上回っていた。鞄に仕舞い込まれたプレゼントたちが特別な日であることを証明していてくれていたのに、隣にいる黒子くんにどきどきさせられていたせいか、すっかり頭から抜け落ちていた。それだけに破壊力は抜群だった。

「あり、がとう」
「ずっと言いたかったんです。でも機会がなくて。だから偶然見つけられたとき、ちょっとだけラッキーだって思ったんですよ」

 ついでに帰り道までご一緒できたのは、かなりラッキーでした。得意気な表情を浮かべて微笑まれる。それだけで心はしあわせで満ちてしまったというのに「こう見えて結構策士なんです」なんて言われたら、もう、黒子くん。

「なんで誕生日知っててくれたの?」
「それはお互い様、ということにしておきましょうか」

 くすり、空気を震わせて黒子くんが笑う。一雨ごとに春めくとはよく言ったもので、舞い降りるように訪れた幸福に雨も悪くないかな、と思ってしまう。黒子テツヤくんという特別な男の子のとなりで、ひとつ歳をとりました。
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