じいっと、見つめる。手入れの行き届いたきれいな黒髪、伏せられた瞼を縁取る長いまつげ、すっと通った鼻梁、やわらかい一文字を結ぶうすい唇、日の光を知らないみたいにしろい首筋、かすかに上下する肩と胸、ほそいのに男らしくごつごつとした指、組まれた脚の先は、テーブルに遮られて見えなかった。ソファーの背もたれに寄りかかって無防備に眠っているトキヤを、ローテーブルを挟んで対になるように置いてあるおそろいのソファーから見始めて、数分。穴があきそうなほどの視線を送ってみても、珍しく深い眠りにおちているらしいトキヤに咎められることはなかった。彼の膝に乗せられたままの薄っぺらい冊子を首を伸ばして覗き込むと、行間がそれなりに取られた文字列、そして赤いラインや丸印がちらほらあって、視線を左下にずらせばだらりとソファーにおちている右手には赤いペンがゆるく握られている。台本のチェックをしていてそのまま眠ってしまったのだと推測するには十分で、同時に、真面目で几帳面なトキヤにしたらなんとも珍しい状況だった。 最近、忙しかったもんねえ。毎日なにかしらの形で姿を目にするほど活躍していることへの純粋な感嘆と、ほんの少し、と言うにはあまりにも大きすぎる質量をもった、トキヤには気づかれたくない気持ち。 「しばらく会えそうにありません」そう言われたのは、ちょうど三週間前。しばらくって、どれくらい?メールならしてもいい?それらしいことはなにひとつ言わないまま、ただ一言、「頑張ってね」その時は本当に、そうとしか思わなかったから。元から頻繁に会っているわけじゃなかったし、今回はそれが少し延びるだけ。そう、思っていたから。ところがいざ蓋を開けてみれば、この有り様。私の方が年上だから、なんていうよくわからない意地をひとりで張って、当たり障りのない内容のメールも送るタイミングがわからなくなってどんどん未送信ボックスに溜まっていった。 立ち上がって、テーブルの辺をぐるりとなぞるように歩いて、すぐ横に立つ。すう、すう。小さな息遣い。透明に磨き上げられた薄い硝子の中に飾られている、精巧でうつくしいつくりものみたいだけど、彼は私と同じ人間で、囲うものなんて本当はなくて、手を伸ばせば簡単に触れられる。 ワックスで少しだけ重みの増した前髪を、人差し指でそろりと掬った。
「…どうして、あなたが」 「えっ」
反射的に引っ込めようとした手首をつかまれる。ぴたりと閉じられていた瞼に隠れていた瞳がじっと私を見上げていた。
「えっと………ひ、久しぶり」 「三週間ぶりですね」 「あ、うん、そうだね」 「で、なにかあったんですか?連絡もなしに来るだなんて珍しい」 「えっと、ほら、ちゃんと食べてるか心配になって」 「ほう、あなたが私の心配ですか」
わざとらしい言い方に言い返そうと口を開く一瞬前、つかまれたままだった手首を引き寄せられて、踏ん張りきれずにトキヤに抱きつくような格好で倒れ込む。質のいいソファーは難なく衝撃を吸収して、きしむ音ひとつたてない。ぎゅう、と、向かい合わせに抱きしめられた。すっぽり収まる感覚や背中に回された腕が思っていた以上に懐かしくて、思わず口を噤む。
「よく私が自宅にいるとわかりましたね?」 「音也くんが、教えてくれて」 「…彼と連絡を取り合っているんですか」 「たまに、ね」
トキヤのことが気になって、とは、口にはしない。 忙しさの最大の要因と言えるくらいに急ピッチで撮影が進められているドラマで、トキヤと音也くんはダブル主演という形で共演していた。トキヤのことを彼を通して知るのが、本人に訊くという方法を除いて一番手っ取り早いというか、私には都合が良くて。「トキヤが会いたがってたよ」なんて言ってもらえれば、それを理由にできるから。実際こうして音也くんの名前を出したあたり、私は素直じゃないのだ。
「……おもしろくないですね」 「え?なにが?」
耳の裏にため息がおちる。ああ、もう。くすぐったいから、なんて自分に言い訳をして。肩をぐっと押し返すとあっさり距離ができて、目が合った。
「いえ、こちらの話です」
すっ、と逸らされる視線は、隠しごとをしようとするときのトキヤの癖。にやりと唇が笑う。するりと腕を首に回して、つくった距離を自分で縮めて、触れてしまいそうなところで小首を傾げてみせた。さっきの、仕返し。
「なになに、おねーさんに話してごらん?」 「年上ぶらないでもらえますか」 「だって年上だもの」 「たったひとつでしょう」 「年上には変わりませーん。ああ、でも、こんな可愛げない弟はいやかなあ」 「…私だって、あなたが姉だなんて願い下げです」 「んっ」
いつの間にかしっかりと合っていた目に、もう少し早く気づくべきだった。髪にくぐった手が後頭部を軽く押すだけで、わずかな距離は簡単になくなる。首に回したままの腕がどうしようもなく恥ずかしくて、でも動かしちゃいけない気がして、ぎゅっと指先を握り込むことしかできなかった。 だんだん深くなっていって、ぴたりと閉じていた唇がぴりぴりしびれてきて、つい、声を洩らす。大きな水泡がひとつ、口から逃げていった。息がくるしい。酸素を求めたはずなのに、奪われていくばかりで。深い海に、溺れるような。
「…姉にはこんなこと、できませんから」 「ば、ばかじゃないの」 「そのバカと付き合っている物好きは誰なんでしょうね?」 「うっ」 「そもそも、あなたみたいな寂しがり屋を弟だなんていう立場で見守るつもりはありません」
…気づかれていないつもり、だった。自分でもびっくりするくらいに顔が熱い。「さ、寂しがってなんか、」喉が必要以上に震えて、きれいに声が裏返る。
「うそつき」
そう、言葉をなぞった声に、表情に、くらりとめまいがした。
せっちゃんへ愛を込めて お誕生日おめでとう!
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