※EDパロディ
※血表現あり



夜の闇から突如として現れる名前にほとんどの人間は驚き、身構える。けれど彼女が近づくにつれ明瞭になる美しい顔立ちに、しなやかな足取りに、誰もが数瞬を奪われた。気がついた時には細身の短剣が喉に深々と突き立てられ、そのまま横に裂かれて命までもが奪われている。
心臓を貫いてやろう。名前がそう思ったのは、身にまとうものがいつもの古びた布の継ぎ接ぎではなく、深紅と金とで彩られた煌びやかな衣装や装飾であるからだった。腰から下と胸以外を露出する形は、腰のラインを強調する一方で脚のベルトに差した短剣をすっかり隠している。いつものようにその短剣で喉を裂けば返り血で汚してしまうのは確実だった。それを惜しいと思ったことに名前自身最初は驚いてはいたものの、任務に差し障りはないので狙いはやはり心臓のまま。刺した短剣を抜かないままでいればうまくいくと踏んでいる。けれど、汚さなかったところで証拠となりうるものは処分されるに決まっていて、名前もそれは充分わかっていた。死にゆく人間を見て吐いたのも、血の匂いが消えない幻覚に喘いだのも、へまをして大怪我をしたのも何年も前の昔のことだ。
足を踏み込むたび、腕を振るたびに金属の輪がシャランと鳴った。光る糸が織り込まれたくすんだ白のベールを自分の体の一部のように操りながら、揃いの素材で出来ている布に口元を隠して笑う。数歩先の上座で胡座をかいているこの国の主である男――凛は、ただ薄い表情で踊り子たちを眺めていた。もう少しで踊りが終わり、音楽も止み、心臓を貫かれた凛の顔が苦痛に歪んで、楽器の音の代わりに誰かの悲鳴が響き渡る。
タイミングは名前に一任されている。なんならこの部屋に通された早々に短剣を投擲したってよかった。両脇を固める護衛などには触れもさせず、首でも心臓でも、狙い通りの場所に届かせる確信に近い自信も彼女にはあった。そうしなかったのはやはり、この衣装が理由のひとつで。もう少しだけ煌びやかさをまとったままで、踊ってだってみたい。投擲よりも接近して直接、という方が得意であるという理にかなった理由に隠れて、自覚こそなかった気持ちはそのままになっている。
けれど、そろそろ。ふっと軽く息を吐き出し、盛り上がる音楽に合わせて名前は大きく一歩を踏み込んだ。シャン!と一際高く金属が鳴り響く。踊りの動きの中で徐々に詰めていた分、もう一歩あればそれで充分だった。よろけたふりをして凛の懐に倒れ込みながら、隠し持っていた短剣に手を伸ばす。壁際でただ立っているだけの衛兵たちはもちろん、彼らよりかは気を張っていた左右の護衛も、不意を突かれて反応できなかった。
きゃあっ、と踊り子の中から小さな悲鳴が上がる。けれど、血は一滴たりとも流れていない。

「…えっ」

動揺する名前の声は掠れていた。意に反してぴたりと密着した体、腰に回された手、目の前にある赤みがかかった髪の毛、そして極めつけは、短剣を握りかけていた右手が微動だにできないこと。
熱くなっていく手首に、ようやく、上回る腕力に押さえつけられていると気がついた。同時に、任務が失敗したという事実が頭に鈍い痛みを与える。一人前になってから致命的な失敗をしたのは初めてだった。こんな方法で死ねるのだろうか、と疑問に思いつつも、唯一の凶器を封じられた名前には舌を噛みきるくらいしか方法が思いつかなかった。組織にはなんの義理も感じていなくとも、拷問で嬲り殺されるのは願い下げだ。

「危なっかしい奴だな」

名前に向けられた凛の声は大きくはないものの、しんと静まり返っていた部屋にはよく通った。彼以外が押し黙る中、名前が言葉の意味を反芻しているうちに短剣をするりと奪って絨毯の下に滑り込ませる。布がふんだんに使われスカートは波のように広がっていて、周りの目からその一連の動きを隠すには充分だった。
ありえない。掴まれたままの名前の右手がぶるりと震える。意図がわかったところで、納得なんて到底できそうになかった。自分が殺されそうになっていた事実を隠すどころか初めからなかったことにして、まるで、その相手をかばっているような。

「おまえ!王になんという無礼を…!」
「いい、下がれ」
「し、しかし!」
「いいっつってんだろ」

ようやく動いた護衛が発した怒声に名前の思考の糸がぷつんと切れた。ぎこちなくまばたく。自由になっていた右手はだらりと絨毯に投げ出されていて、自分のものではないような錯覚がした。
「全員下がれ」そう命じた凛の目がぐるりと部屋を見回す。当然のように上がる様々な声を全て無視して、早くしろと言わんばかりに出入り口の一番近くにいた衛兵を睨みつけた。結局は凛に命じられたままに人の気配が減っていき、あっという間に名前と凛の二人きりになる。
名前が同じく投げ出されていた左手でそっと肩を押すと、凛は案外あっさりとそれを許した。そこで名前は初めて凛の顔をまじまじと見た。対する凛はうっすらと笑っている。胡座の中に両膝を入れ、片方は肩に手を乗せ、もう片方は腰に腕を回し、冷め切った瞳に反して、恋仲であるかのような距離。
――今なら殺せるのかもしれない。筋肉がしっかりとついている肩の感触を手のひらに感じながら、右手も肩に乗せた。頭を抱きかかえて、そのまま首をへし折ってしまえばいい、と。肉弾戦は名前の専門外ではあるものの、どこにどうやって力を加えたらいいのかといった知識は頭に入っている。
つ、と指先が名前の背中を撫でた。ぞわりと背骨が震えて、息が洩れた。

「日付が変わる頃に俺の部屋に来い。…場所はわかるな?」

自然な動作で伸びる手が頬に添えられる。決して速いわけではなかったのに、名前は避けることも振り払うことも出来なかった。かろうじて手首を掴んでも、ろくに力が入らない。いたずらに喉に触れられてもそれは変わらなかった。今まで当たり前にあった機能が壊れてしまったようにちっともはたらかない。
指先に落とされた口づけが合図だった。弾かれたように立ち上がり、身を翻して窓へと駆け寄る名前を凛は胡座をかいたまま見送って、あまつさえひらひらと手を振ってみせた。



棘のさいご