text | ナノ





「なまえ」
「なんですか、仁王先輩」
「こっちこっち」

今日は特に寒いせいか、仁王先輩は首元にぐるぐる黒いマフラーを巻いてベンチから一歩も動かない。仁王先輩は暑さや寒さなど、極端な気温の変化が苦手らしい。そういえば夏も日陰でじっとしていたななんて思いながら、呼ばれたので近づくと、腕を引かれてわたしもベンチに座らされた。今しなくちゃいけない急ぎの仕事はなかったけど、後から赤也くんにストレッチの補助をしてほしいと頼まれている。赤也くんはコートで丸井先輩とラリーをしていたので、終わるときにちゃんと気付けるように視線はコートに送っておくことにした。

「コート見とってもおもしろくないじゃろ、試合もしとらんし」
「あ、いや…後から赤也くんの補助を頼まれているので」
「なにそれ。赤也見とるん?」
「見てるっていうか…まあ、はい」
「…ふーん。おもしろくないのう」

おもしろくないと言われても、どうしろっていうんだろう。というか仁王先輩は練習しなくてもいいのかなあ、と思いながらまた視線をコートに移そうとしたら、仁王先輩の手がわたしの顔をぐるりと横に向けた。ひんやりと冷たい仁王先輩の手が頬に触れるのでびっくりした。

「えっ、あの…」
「なまえはこっち」
「ええ〜…?」
「赤也はほっときんしゃい」

そしてまたいつものようにわたしの頭を撫でる。最早これは仁王先輩と接するときの習慣みたくなっていて、部活のときはもちろん、校内でばったりすれ違ったときでさえ撫でられる。そういうとき、一緒にいる友達はみんな声を揃えて「いいなあ!」と言うけれど、子供扱いされてるみたいでわたしはあまり好きじゃなかったりする。

「もう、頭撫でないでください」
「なんで」
「だって、仁王先輩わたしのこと子供扱いしてるでしょう?」
「しとらんよ?」
「してます!」

話している間も仁王先輩の手はわたしの頭を撫でたり、髪に指を絡めたりと落ち着かない。ずっとそんなことをされているとさすがにわたしも恥ずかしくなってきて、頬はすっかり熱を持ってしまっていた。顔を逸らそうとしても、クイと髪をひかれて「こっち」と仁王先輩のほうに向き直すことになり、見つめ合うみたいな状態にされる。仁王先輩の目はじっとわたしの方を見ていて、口元は薄く笑っている。…一体何を考えているんだろう。
「おーい、なまえー!」
随分長く時が止まっていたような感覚だった。時間を動かすように赤也くんの声が耳に飛び込んできて、驚く。「今行く!」と返してベンチから立ち上がり、赤也くんの元へ行こうとしたのに、仁王先輩はわたしの手首を掴み、離してくれない。

「行くん?」
「行きますよ」
「じゃあ、」

ぐい、と手首を引かれ、すばやくわたしの首に回された仁王先輩の腕が一気に距離を近付ける。そして、耳にダイレクトに飛び込んできたリップ音と頬に触れる感触が、体を硬直させてすこしも動けなくなる。一体、いまのは

「はい、いってらっしゃい」
「い、い、いま、あの」
「なまえ顔まっかじゃ。可愛いのう」
「ひゃ!」
「また後でな」

耳元で囁かれた声に、さっきされた、キスとか、そういうのが全部ぐちゃぐちゃになって、体中に心臓の音が響いて全身が熱のかたまりみたいに熱くなる。
ベンチでの出来事は誰にも見られてなかったようで、わたしを見た赤也くんは「なまえ
風邪?」と心配そうに顔を覗き込んだ。後ろから痛いぐらいに投げ掛けられている視線が誰かなんてすぐにわかる。その人物がいるだろうベンチは、もう見られなかった。



ワンダーフェイカー


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