text | ナノ





「おはよーさん」
「…おはよう」
「昨日はごめんな、まあ…見ての通りや」

いらっ。靴箱で上履きに履き替えていると普段よりもニコニコさわやかな白石に遭遇した。朝から惚気モードでうっざいったらない。女子卒倒モンのふにゃっとした笑顔は胸やけしそうなほどに甘い。ていうかなにが「見ての通り」やねんぼけ!

「科学の宿題は見せてもらうで!」
「ハイハイわかっとる」
「頭撫でるな」

同じ教室に向かうので一緒になってしまうのはしかたない。白石が私の頭触った瞬間、周囲の女子の目がギラリと嫉妬に揺れたのが、空気でわかった。そんな皆の王子様にはもうお姫様がおるんやでー、とここで言ったらどうなるんやろとまったく別のことを考えていたため、隣であーだこーだと話をする白石の声は左から右へ通過する。なのに後ろから聞こえる声だけは耳が拾う。白石が気付きませんようにと願ったけど、やっぱり無駄だった。

「あ、謙也おはよう」
「…おはよう」
「…おー」

なにこれ、気まずい。
「俺先行くわ」と一言残して謙也はすたすたと階段をのぼっていってしまった。謙也の背中を見送ったあと、案の定何か勘づいた白石は私の顔を見る。何かあったんやろと目が言っている。

「私もわからん」
「せやけど、何もないわけやなさそうやな」
「うーん まあ…」
「心当たりは?」

そんなこと言われても。

「…私のギャグが滑ったことくらいや」
「なんやねんそれ」




白石と私は隣の席だから、休み時間は大体こっちへ来て3人で話すのに、教室にいても謙也はいつものようにこちらに寄ってこない。話しかけてもそっけないし、用事思い出したとかなんとか言ってすぐに逃げる。他のクラスメイトには至って普通の態度で、私と白石に対する態度だけが異なっていた。私はずっとこうなった原因を考えていたけど、やっぱりよくわからなかった。ただ、昨日の帰り際のあの表情。あれだけが引っ掛かって、頭の中にこびりついて消えない。謙也のあんな顔、はじめて見た。くるしそうでつらそうで、泣きそうなかお。
昼の放送があるため尋常やない速さで昼ごはんを食べた謙也はもう教室にはいない。謙也が教室を出ていくと、体の緊張が一気にとけたような気がした。今日の昼ごはんはメロンパンを持ってきたけど、どうも食べる気にならない。机に突っ伏した私を見て「ちゃんと食べなあかん」と諭す白石は彼女とランチタイムせんでええのかと思ったけど、私がこんなんやから気遣ってくれとるんやとすぐにわかった。

「しらいし…もう…どないしたらええんや…」
「うーん、俺に言われてもなあ」
「元はと言えばあんたが教室でいちゃついとったんが悪い」
「むちゃくちゃ言いがかりやないか」
「白石がわるいねん……白石のせいや〜…」
「…すまん、なまえ」
「…ううんごめん嘘。白石は悪くない」

ああ、もういやや、泣きそう
謙也にそっけなくされることがこんなにつらいだなんて思ってなかった。
何がだめだったんだろう。
昨日の夕方に戻してほしい。
そしたらやり直す。やり直して、またいつもみたいに

「なまえ…」
「…う、ひっく、うえ…」
「ハンカチ、ほら」
「ありがとう…」



「白石、おまえ、なまえになにゆうた」

白石からハンカチを受け取ったときだった。机をバン!と叩かれた白石は目を見開いて驚いている。
声の方向を見上げるとそこにいたのは見たこともないくらいに真剣な表情をした謙也だった。

「なにしたん」
「ちょ、謙也落ち着き、別に何もしてへん」
「ほんならなんでなまえが泣いてるん?」

何言ってんのどう考えてもおまえのせいやと言いたかったのに、泣いていたのと今にも白石に掴み掛かりそうなほどの謙也の剣幕に圧倒されていたのとで言葉が出ない。クラス中も何事かといった感じに静まりかえり、まるで3年2組だけ時間が止まったようだった。

「ちょっと、用ある」

呆然と謙也を見ていたら、急に腕を引かれて立たされ、いきなり走りだすもんだから私は足がもつれてずっこけそうになる。みんながざわめく声がする。白石に名前を呼ばれたような気がしたけど、それでもなお走る謙也の手はやたら熱くて、掴まれてるって感覚が妙に恥ずかしい。

「つ、つかれ、た………」
「す、すまん」
「走るん、はやい」
「え、あー、おおきに」
「あほか、ほめてへんわ」

謙也に連れて来られた屋上は風が強くて、髪があおられボサボサになる。ついでに泣いていたせいで鼻水も出る。手ぐしで髪を直していると、はねていたのか謙也が撫で付けるみたいに私の髪に触れた。さっき掴まれた手首を思い出して、また照れ臭くなる。

「髪直った?ありがとう」
「……」
「…聞いとる?」
「聞いとらん」
「え」
「…なまえが白石すきってゆうてたこと、聞いてへんことに、したらあかん?」

私が白石をすきって、もしかしてあの渾身のギャグのことやったり…するん?
まさか謙也が本気にするとは思ってなかったし、何より今のこの表情はなんなんだ。頭が混乱している。どうゆうことや。別に自惚れとるつもりやなくて、こんな表情って、これじゃまるで謙也は


「俺、なまえがすきやねん…」


空気の抜けた風船のようにしゅるしゅるとしゃがみこんだ謙也は、髪をがしがしやりながらあーとかうーとか唸って、膝に顔を埋めてぴたりと動かなくなってしまった。私もしゃがんで謙也と同じ目線になる。頭はまだ混乱していてうまく働いていないのに、胸はきゅんきゅんと痛くて、くるしい。

「謙也、私が白石すきとか、あれ冗談やねん…」
「…せやな、しゃーないわな………って、ハア!?冗談?」
「変な空気やったから笑わせたろーって」
「え!?ちゅーことはなんや、俺勝手に白石に妬いて、」
「……」
「! あ、い、いまのなし、いまのなしな」

なしとか言われても、今更おそい。自分の顔見られへんけど、異常なぐらいに熱を持っていることはわかった。顔は真っ赤にちがいない。今度は私が謙也の顔を見られなくなり膝に顔を埋める。穴があったら入りたいむしろ穴掘ってでも入りたいとか考えてたら、謙也の手が私の頭に乗った。

「…くそ、なんでそんなかわいいねんアホ」



恥ずかしいやら気まずいやらで、私は謙也の二歩ぐらい後について教室へ戻る。そして教室に入った瞬間、「おめでとー!」というどでかい声に迎えられ、正直しにたいぐらい恥ずかしかった。穴!穴どこや!入れろ!

「俺完全にとばっちりやろ」
「ほんまにすみません」
「ま、謙也もも幸せそうやからええけど」

教室の真ん中でひたすらからかわれている謙也を見ながら白石は言う。

「あ、さっき。謙也がなまえつれて走ってったときな」
「うん?」
「なんか漫画、見とるみたいやった」




ただの恋だよ



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