text | ナノ




ヒールのない歩きやすい靴にしてよかった、と思う。
不動産屋さんに紹介してもらった物件から何件か候補を選んで、半日くらいで見て回ろうかと話していたのに気づけば夕日が顔を覗かせていた。先程まで青空がのぞいていたと思っていたのに。本当に楽しい時間が過ぎるのはあっという間だって何度も何度も体感している感覚なのに、いつも物悲しくなってしまうのはなんでだろう。

「今日はお疲れ様」
「さすがに疲れたね…」
「結局一日使ってしまったからね」

休憩しよう、と入ったカフェは住宅街には不釣り合いな風貌で、花柄のテーブルクロスが敷かれていたりと随分可愛らしい。ちょっと気まずいな、と周助くんがこぼしていたけど彼が考える以上にこの雰囲気に馴染んでいることは黙っておくことにする。
大きなマグカップに注がれているロイヤルミルクティーをかき混ぜながら、今日見た物件の中でとても気に入った、あの部屋について思い返す。日当たりが良くて、壁が白くて、可愛い部屋。窓が大きいところも好みだったし、キッチンも割と広かったし…。スマホで撮影した写真たちを見ているとわくわくしてしまう。今日の物件巡りにこんなに時間を使ってしまったのも、私があまりにその部屋を気に入ってしまい、長々と居座ったからだった。

「なまえ、2件目の物件が随分気に入ったみたいだね」
「う…かなり時間使っちゃったよね」
「いいよ、それは。僕もあそこの部屋が一番気に入ったよ。日当たりもいいしね」

周助くんが育てているサボテンも、あの部屋ならよく育ちそうだ。それも大切な条件にちがいないけれど、私があの部屋をすっかり気に入ってしまった本当の理由は、周助くんと一緒に住むという情景が一番すんなり浮かんだのがあの部屋だからだった。実を言うと部屋を見学している時間の8割は、周助くんのことしか考えていなかった。こんなの、浮かれすぎてて恥ずかしいから口がさけても言えない訳だけど。

「なまえは?あの部屋のどこが気に入った?」
「え?えーと、白い壁とか、内装が可愛いところとか…あっ!勿論日当たりの良さも気に入ったよ!」
「それだけ?」
「え、それはどういう…」
「なまえはもっと別のことを考えているように見えたから」

ハーブティーを一口飲んで、静かにカップを置いた周助くんが、楽しそうに笑う。もう周助くんとは何年も一緒にいるからわかる。これは、完全にバレている。この笑顔のときの周助くんに、裕太と私が何度からかわれたことか。こういうところは昔から本当に変わらない。

「……わかってるくせに、聞くんだもんな…」
「ごめん、なまえの口から聞きたいなと思って」

テーブルの端に置いていた手の上に、周助くんの手が重なって優しく握られる。左薬指に光るリングは何度見ても幸せだなあと、この状況下で頭の端っこはどこか平和だ。

「…し、周助くんと暮らしてる…ところが、一番想像できたの」
「ふふ、よく言えました」
「もうほんと、周助くんて意地が悪い!裕太にこのこと絶対言ってやるんだから」
「裕太怒るだろうな、僕らのノロケ聞かされるんだから」

確かに、これを裕太に伝えて一番恥ずかしいのはどう考えても私だった。「それも面白いかも、話してみてよ」と楽しそうに笑う周助くんにはやっぱり敵わず、私は「言わない!」と言い返すしかできない。(く、くやしい…)

あと一口だけ残っていた、すっかり冷めてしまったロイヤルミルクティーを飲み干して、裕太にカフェでテイクアウトしたショートケーキをお土産に買った。駅に向かう足取りはゆっくりで、秋に差し掛かって少し冷たい夜の空気のなか、左手に感じる周助くんの体温が落ち着く。
今はまだ、お互いの家に帰らなくてはならないけれど、遠くない未来、周助くんと同じ場所へ帰れるようになるのだと思うと、何といえばいいのかわからないほどにうれしくなる。横を歩く周助くんの顔を見るとどうしようもなく頬が緩んだ。


「あ」
「どうしたの?なにか忘れ物?」
「僕があの部屋を気に入った理由も、なまえと同じだよ。言い忘れてた」
「なっ…えっ、い、いま言う?!」
「言いたかったから」

ちゅ、と触れるだけのキスをされて、目と目を合わせた周助くんの顔は、自意識過剰かもしれないけれどすごく幸せそうで、胸がきゅんと締め付けられる。



「早く同じ部屋に帰りたいね、ふたりで」




Romance effect

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