text | ナノ





なんでわかるの、と聞かれても、「そんな気がした」としか言いようがない。
亮とわたしはそんな関係だと思っている。


「あ、なまえ」
「なに」
「あれ貸して」
「えー?亮また辞書忘れたわけ?」
「わりぃ、家出る前までは覚えてるんだけどよ」
「ほんとそればっかり。前日に用意しとけばいいんじゃないですかあー?」
「おまえだってよくあれ忘れるくせに」
「亮ほどじゃないですー」

「…なあ、今言うてたあれって何?」

「「ジャージ」」

氷帝テニス部の部室に、テニス部の人間でもないくせに入り浸って今日出された英語の宿題に取り組む。今日の部活はオフということは亮からリサーチ済だ。放課後、部室へ向かう途中にたまたま出会った忍足も「暇やし行くわ」とついてきて、三人で教科書を取り出して真面目に勉学に励んでいたのは時間にしてどのくらいだろう。結局持ち込んだお菓子やパックジュースに手を伸ばして雑談タイムが始まってしまった。

「自分等ホンマ仲ええなあ」
「もうそれ言われ慣れたよな」
「あ、ちなみに付き合ってるって勘違いされるのもう飽きてるから。関西人なら面白いフリしてよね」
「無茶ぶりやな……まあなあ、そりゃされるわ勘違いも。『あれ』でジャージと理解できんやろ、普通」
「いやあ、もう何年も一緒にいたら言わんとすることがわかるっていうかね」
「あーあるなそれは」
「ん」
「サンキュー」
「それや。なんなんいまの」

別になんなんと言われても、忍足の前にあって亮の位置からは取りにくかったお菓子を亮が食べたそうにしてたから、取ったんだけど。そう説明すると忍足はさらに驚き、今宍戸何も言うてへんやん、と突っ込まれた。確かにそれはそうなんだけど、なんというか「そんな気がした」のだから仕方ない。

「説明できないんだから仕方ないよ、そういうものだと思ってくれたらいいよ」
「説明する気なくしただけやん」
「なまえは感覚で動くんだよ」
「人のこと脳筋扱いして…」
「別に頭よえーとか言ってねーだろ」
「今!今言いました!」

亮とのやりとりをじっと見ていたらしい忍足が呟く。


「なんか長年連れ添った夫婦みたいやな」




それからぐだぐだと雑談は下校時刻近くまで続き、宿題も特に終わらないまま解散することになった。電車通学の忍足と別れたあと、亮の自転車を取りに行って、後ろに乗せてもらう。亮の家へ向かう通り道にわたしの家もあるため、今日みたいな部活がオフの日は乗せてってもらうのが当たり前になっている。亮がペダルを踏み出すのはいつも右足からだから、少し左に体を傾ける。体重移動も慣れたものだ。

「忍足って幼なじみとかいないのかな」
「あいつは転校してきたし、関西にはいるかもな」
「そっか。でもダブルス組んでたら相手の言いたいこととかわかったりしない?」
「あー…」
「鳳くんとそういうのないの?」
「まあ多少はあるけど、なまえほどじゃねーな」
「忍足と岳人は?」
「あの口ぶりだとねーんだろ」

早すぎず遅すぎず、一定の速度で自転車は進む。わたしはリプトンのアップルティーの残りを啜りながら亮の背中を見ていた。見慣れてしまったからか、こんなに亮の背中って広いっけ、みたいな少女漫画のようなときめきはないけど、亮の自転車の後ろだったら大丈夫というなんと表現したらいいのかわからない安心感はある。
幼なじみが恋愛に発展するという話はよくあるけれど、亮とわたしの間ではどうだろう。お互い何十年も結婚相手がいなかったら、もしかしたらそうなるかもしれないし、それもわるくないなって思う。でも亮は案外モテるからなあ、わたしひとりが余ったらどうしよう。


「腹減ったな、メシなんだろ」
「うちはコロッケだよー」
「おばさんが作ったコロッケうまいよな」
「それ亮が言ってたって伝えたら多分すごく喜ぶよ」
「おー、伝えといてくれよ」
「うちのお母さん亮のこと昔から好きだもんなあ」
「俺んちもなまえちゃんなまえちゃんっていまだにいってる」
「うっすらだけど、結婚させようとか言われてたの覚えてるよ」
「…あー」
「覚えてない?まあ割りと昔のことだしねー」
「忘れてねえよ」
「…びっくりした、いきなり真剣だな」
「…」
「…ねー亮はさあ、わたしのこと女の子として意識したことあるのー?」

半分、冗談で言った質問だった。なんとなくぎこちないこの雰囲気を変えたいという気持ちもあったし、「んなわけねーよ、激ダサだぜ」みたいなフレーズが返ってくると信じて疑っていなかったし。だからわたしの予想の斜め上を行きそのまま宇宙まで飛んで行ってしまいそうな返答に、これは夢なんじゃないのかと思ってしまった。


「お前のこと、そうやって思わなかったことなんてねーよ」


そのあとすぐに止まった自転車。いつの間にかもうわたしの家の前だった。どういうことなのか亮に聞きたいことは山程あるのに言葉が出てこないし、自転車から降りたあとに見た亮はなんか照れてて(耳が真っ赤だった)話しかけにくい。というか、現状に思考が追いついていなくて何も出てこないのが一番正しい。
最後に「また明日な」とこちらの目もしっかり見ないまま、すごい勢いで自転車を漕いで消えた亮の姿が頭のなかに残って全く消えない。


・・・


明日はどういう態度で会おう、挨拶しようとぐるぐる悩んでいたら、お母さんにコロッケを作りすぎたから宍戸さんちに持っていって、とタイミングがいいのか悪いのか、とにかくこんなときにというお願いを頼まれた。亮とわたしの間に起こった出来事なんてなにも知らないお母さんは、わたしにコロッケを持たせて「冷めないうちにね」とにっこり。断れなかった。

歩いて数分の宍戸家の前で、インターホンを押しながらせめて出てくるのが亮じゃないといいなと思っていたのに、こういうときは出てきてほしくない人が出てくるもの、そういうふうにできているのかもしれない。出てきたのはやっぱり亮だった。

「なまえか」
「あ、あの、これ コロッケ!お母さんが持っていって、って」
「あー、サンキュ」
「……」
「……」
「…なんていうか、お前意識しすぎだろ」
「だ、だ誰のせいだと思ってんの!」

手渡したコロッケばかり追って斜め下だった視線が、勢いに任せて前へと向く。亮はコロッケを持って笑うのを堪えているような顔をしていた。…今の反応でその顔ってどういうことなの。笑うようなシーンってあったかな、わたしが噛みすぎなくらいしか心当たりがない。
恥ずかしいセリフがものすごく苦手な亮のことだから、自分の発言を思い出してばつが悪そうな顔(これは亮でいうと照れた顔)をしていると思っていたのに。なんで少しうれしそうなの?(コロッケ効果?)

「え、なに、なんなのその反応」
「い、いやべつに」
「なんもないわけないじゃん!ちょっと笑ってんじゃん!」
「笑ってねーだろ」
「あほか!笑ってるわ!」
「…っあー、うるせーな!」
「ハア?なんで切れてんの?!」
「なまえは絶対、俺のことなんか意識しねーと思ってたのに、そんな反応ってことは少しは俺のこと意識してるってことだろ!」
「あんなこと言われてなんも思わない方がおかしいでしょ!」

「だから!好きなやつに意識されたら嬉しいだろーがよ!」
「あーそうですか!」

大声で一気に捲し立てるように話したからか、亮もわたしも息が荒い。思えば亮とこんなに大声を出した言い合いなんて、ずいぶん前からしていないな、と思ったあとに亮の発言が結構恥ずかしいことに気づいた。言った本人は当然もっと恥ずかしいようで、ちらりと見た顔は真っ赤だった。

「と、とりあえずそういうことだから、この話もうやめようぜ。たえられねえ」
「わ、わかった。でも亮のこと別に男として見てないっていうわけじゃ」
「あー!!やめろ恥ずかしい」

突然、今日忍足に言われた「長年連れ添った夫婦」という言葉を思い出した。こんな言い合いをしているようじゃ、そんなのとは程遠いようだよ、忍足。

「今思ったんだけどよ、忍足が言ってた、長年連れ添った夫婦とかいうの、当たってねえよな」
「えっ」
「…」
「…同じこと考えてた」
「だろうと思った」



あながち、間違っていないのかもしれない。




はじめに君ありき


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