log | ナノ

季節はもう冬から春へと移行し始めて、段々と風が暖かくなってきたような気がする。しかし夜はまだまだ冬の夜と気温差がなくて、冷たい夜の風が突き刺すように吹いていた。


「よお」
「寒いんですけど」


灰色のマフラーを首にぐるぐる巻き、いかにも寒そうな銀時がわたしに向かって片手をあげる。そのだるさが溢れる片手がむかついたので下げてやると銀時はそのままわたしの手首を掴み、ベンチに腰掛けろと促す。掴まれた手首に伝わる体温がやたらと高くて、すこし驚いた。


「手熱くない?」
「今俺の体にいくつ貼るカイロが貼られてるか知ってる?7枚だからね」
「うわ」
「ラッキーセブン」
「知らないよ。まじくだらないな」
「ぶっちゃけ暑い」
「馬鹿じゃん」


一方のわたしは部屋着のジャージにダウンを羽織っただけという状態だ。ふざけんなよという思いを胸にしながらすこしでも寒さを和らげようとダウンのフードを被ってみた。…やっぱり寒い。


「俺のカイロいる?4枚くらい」
「いる」
「ちょっと待ってろ、今剥がす」
「うん」


ベリベリと服からカイロが剥がされ、わたしは手渡されたカイロをジャージの下のトレーナーのさらに下のキャミソールに貼った。さっきより3倍くらいましになった。ちょっと暑いぐらいだ。
しかし一体こんなところで何をしているのだろうか。ていうかわたしは何でここにいるんだっけ。銀時に呼び出されて、それで…あれ、それで?


「あ、ハイおにぎり」
「いや、あのさ、おにぎり…違うじゃん」
「まあ食えよ」


コンビニで買ってきたらしいおにぎり(明太子)をいきなり手渡され、ますます訳が分からない。深夜のピクニック的な…そういう感じなのか?いやいやそんな理由だったら帰るわ。


「んで本題な」
「前振り長すぎたよね」
「おまえ進路どうすんだっけ」


わたしたちは今日高校を卒業したばかりだ。わたしは電車で一時間くらいの、地元の大学に進むことになっていて、銀時は確か県外の大学を受験したらしいとお母さんが言っていたのを覚えている。
小学校、中学校、さらに高校まで同じだった銀時とも今日で違う進路を進むことになる。
一応、というかかなり長い付き合いのはずなのに何故一言も言ってくれなかったのかとひっかかるものがあって、いまだに結構ショックだ。


「…わたしはそこらへんの大学だよ」
「そこらへんてどこだよ。近所にあるみたいに言うな」
「電車で一時間くらいのところだからその辺だし」
「ふーん」
「…銀時は?」


知っているくせにわざと聞いた。銀時はわたしの進路を知らなかったのに、わたしが知っているなんて知られるのは癪だったから。


「俺もそのへん」
「その辺ってどこ」
「その辺はその辺だろ」
「近いの?」
「まあそれなりに」


何がそれなりに、なの。嘘ばっか。新幹線で2時間も3時間もかかる土地がその辺だなんて、考え方がグローバルすぎるよ。日本は狭いようでそんなに狭くない。わたしにとってはとても遠い場所に感じる。
いつも隣にいた銀時がいなくなる。近くにいなくなる。どうして本当のことを言ってくれないのだろう。何だか突然気持ちが滅入って、一気に心が黒い影に覆われた。ぐっと唇を噛んで、今にも泣きそうなのをこらえて、鼻の奥がつんと痛い。

幼なじみは彼女じゃない。
わたしの中では絶対的だった銀時とのつながりは、ひどく脆くて不確かなものだということに今更気づいて。一番近いようで、一番遠いように思う。


「馬鹿天パ」
「陰口直接的すぎない?」
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿」
「オイ」
「バカ、銀時のバカ」
「おまえ本当どうしたの?」
「知らないよ、もう」


わたしと銀時の間に空いていた一人分くらいの距離を詰めて、下を向くわたしの顔を覗き込もうとする銀時に何とか顔を見せまいと、手で顔を覆って背けた。しかし手首を掴まれてぐいぐい引っ張る力に負けそうになる。いつもそんな力使わないくせに、こんなときだけなんなの。ぼやける視界はもはや景色の原型を留めていなかった。


「…今更卒業後のセンチメンタル?」
「違う、誰のせいだと思ってんの」
「俺?」
「…しかいないじゃん」
「…あー…そうなの」
「銀時が悪い!なんで、なんでわたしには、進路のこととか、何も言ってくれないの」
「進路ったって、別に一生会えない訳じゃねえだろ」


会えるとか、会えないとか、そういうことを言ってるんじゃない。会いたいときは真っ先に会いに行く。悩むまでもないことだ。そうじゃなくて、わたしに何も話してくれないことが重要な問題で、それが何よりつらくて、悲しいのに。


「女は面倒くせぇなあ」
「…にそれ、いい加減に」
「これだけ長くつるんできてよ、言葉にしなくちゃわかんねえの?」
「…わかんないよ」
「女は言葉を大事にするってやつ案外当たってんだな」



「別に俺にとっちゃ大した距離でもねーし、会いたきゃ会えばいいし、おまえと俺の間に距離とか感じる必要あるか?なんか俺その程度だったってことのがショックなんですけど」



もうこんなこと二度と言わねえぞ、と銀時はわたしの頭を軽く叩く。拍子抜けしてしまったわたしはただ呆然と銀時の顔を見ていた。小さなことに細かくこだわっていたのはわたしで、本当は何も変わっていなかった。銀時は何も変わっていない。


「ごめん、なんか」
「俺ショック」
「本当ごめん」
「何がって馬鹿天パって言われたことな」
「そっち…?」
「もう一生残る心の傷跡と化したなコレ。責任とれよ」
「は?責任て」
「一生かけて償え」
「一生とかやってられな……って、え?」


一生?
聞き流してしまった言葉に耳を疑った。


「俺将来教師になるからたぶん二人分の生活費くらいの収入はあんじゃね?」


どうせ銀時のことだからそういう意味じゃなくてただの冗談だと思って、今の言葉はさっさと水に流そうと必死に整理したけど、気付いたときには銀時の死んだ魚みたいな目が目の前にあって、ごく自然な流れるような動作でくちびるが触れ合ったから、頭の中は鍋で掻き混ぜたみたいにすべて一緒になって訳がわからなくなってしまった。体が一気に熱を持つ。これはカイロのせいだ、カイロ。


「おまえ手熱い」
「銀時だって熱い」
「アツアツカップル?」
「ば…、ばっかじゃないの!」

















×