聖川が爪とぎ用の木に見え始めたのはいつからだろう。気付いたら、乾燥したやけに白い木にあいつはなっていた。新緑の葉を揺らして、書を認めている背中を見つめる。枝はちょうど、人間の腕がある位置から二本、それなりの太さを持って生えていた。五本の指は小枝になり、器用に筆を持っている。硯にたっぷりと墨汁を付けて、和紙を汚していく工程は見慣れたものだ。飽きもせず、何時間も正座して、集中力を高めているらしい。オレにとってのダーツと同じだと、教えてくれた。でもその時は確かに、ニンゲンの姿をしていたのに。

伸びてきた爪で、齧ってやろうかと思った。痒い。ベッドの上で、枕へと手を沈める。
おかしな話だ。どう考えたってオレは野良猫ではなく飼い猫なのに、爪は手入れされていない。こういった気遣いは、昔からオレの方が長けていた。言葉にしないとわからない男だ。言葉になんてしたくない。思いの丈と同じ分だけ鋭利になっていく、薄いタンパク質。

「どうしてそんな姿になってしまったのか」

怪訝そうな声が、また一段と。反射的にバリ、と聖川の背中を引っ掻こうとしたけれど、体が上手く動かない。枕に縛り付けた利き手が良かったのか。思い通りにならなくても、泣いたりはしない。何事もなかったかのように、背中をシーツで落ち着ける。波打つ。まったくと言っていい程効果がなかった。

「いっとう好きだった。それなのに貴様は俺を置いて変わってしまう。なんだその無様な格好は」

木になった聖川はよく喋る。気になった聖川は寡黙だった。今はまるで別人だ。誰だろう、説教じみた話を延々と続ける白樺。知り合いにいない。記憶を辿っても出てこない。

眠い。
瞼は蕩けて、先を拒絶した。

知らない人に接するのは苦痛だった。囲まれる。品定めの手が伸びてきて、そこかしこを暴いていく。その中で一際白い腕を選んだのに、剥き出しの爪でいくら傷付けてもお前は怒らなかったから、安心して身を任せてしまった。用意されたミルクを、毛布を、取り上げられるかもしれないなんて微塵も思っていなかった。使えない学校の授業で命は大切に、動物を飼う時は責任を意識しなさいと、習っただろうに。無責任な男だ。オレには女性を軽んじている、と文句を言う割に。

毛だまりになっている耳と、尾骨から間違えて生えた尻尾を、木の葉が撫でていく。書を止めて、わざわざそばに来た、と言う事実が嬉しくて、無意識のうちに喉仏が震えた。もうどうでもよくなる。異質な毛の集合体すら己のものにしてしまえば、変わらない日常が送れるのだから。

「犬の方が好きなのだ。猫は何を考えているかわからない」

簡単な事だよ。飼い主の事さ。

振り払って、枝を爪で削った時に生まれた快感たるや、どんな情事よりも華やかで。

END



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -