割れた窓ガラスを踏み締める。パキパキと小気味悪い音に耳を塞ぎたくなるけれど、そんな暇はない。粉々に砕けてしまった枚数が何枚か正確に数えなければいけないので、必然的に廊下の窓際に歩み寄る事になる。

今回は控え目に二枚。元から寄り気味の眉間への皺は一層深くなり、同時に重いため息が零れた。今月に入って何回目だろうか。今年に入って何枚目だろうか。思案にくれながら窓枠に手を置くと、残った破片が食い込んだらしい、人差指に痛みが走る。小さな、それでいて、よく感触が残る。

「リューヤさーん」
「反省の色はないな」
「ノンノン!そんなに怒っちゃハゲちゃいマッス!スマーイルくだサーイ!」

いつの間にか背後に立つ、事の原因になる男。振り返れば、サングラスの奥の眼光が放つ意味を読み取ることは出来ず、ただいつもと同じように、企みを含んだ口元が歪むだけだった。散らばるガラスに反射して幾つも幾つも数え切れない揶揄が全身を包むかのようでどことなく居心地が悪くなり、チェシャ猫に似ているかもしれないなどとばかげた事を考えた。

「…怪我をしたのか」
「え」

修理の申請をしにいかなければ、と背を向けると、腕を引かれる。男の力が強い事は重々承知していたが、直接体に触れられたのは久方ぶりだったので、思わず声を漏らしてしまった。そのまま掌へと指先は滑って行き、先程痛んだ人差指を捕らえる。つぷりと膨らんだ赤い珠を、自分よりもさらに武骨な指が潰した。ぶちゅり、と溢れ出した血は先程よりも色濃く感じられる。何故。何故。鼓動が速いから、そう感じてしまうのだろうか。

「んなもん舐めときゃ治る」

縦に細く走った傷を、悲しげな顔で見つめる理由がわからない。下がった眉。消えた揶揄。こんな怪我は今までだって撮影やロケで何度も経験してきたし、この男が悲観にくれる必要は毛先程もないのだ。

「お前は別に、強くはないのにな」

食い込んだ親指の爪が、少しだけ染まって行く。浸食するように。俺はと言えば傷を抉られて今度は声も出ず、黙って力が緩められるのを待っていた。

ぱきぱき。音がする。立ち止まった自身と歩き出した男。

抵抗する間もなく抱き締められてしまい、このまま透明で綺麗な足元の世界に、逃げられたら、誰にも見つからずに去れたら、もっとなにか、変わっていたかもしれないのだけれど。広い肩にこの身を預けるのは教師として示しがつかないと瞬時に判断して、抜いていた力を込めた。

「連れないな」
「おっさんが割ったガラス、片付けねえと」
「龍也」
「…」

ああもうこの傷なんて一生治らなければいいのに。その爪にこびり付いた体液が洗い流さなければいいのに。感じた体温をすぐに忘れられればいいのに。

「恋愛禁止だぜ、バーカ」

END



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