オレは、思い悩んだ時にどうしたらいいかわからなくて、ベッドの下の狭い空間に入る。滑稽だった。決して小さくはない身体を、埃にまみれたそこに押し込む。相談する相手がいない。一緒に音楽をやっているアイツらには言えないし、そんなオレ達をバックアップしてくれる彼女にはもっと言えない。テレビを点けておけば、メンバー誰かしらの顔が休みなく流れていると言うのに、この虚しさは何だろう。

他の何にも、例えばレディのナカ、でさえも、この屈折した感情を和らげる事は出来ない。あの柔らかな肢体を死体に変える程傷付けてしまう可能性がゼロではないから、こうやってまた、わざとカーペットの敷いていない、冷たい床へと口付けを落とす。服は脱いだ。下着だけを身に付けているのは、全裸になると現実感がなくなってしまうからだった。布切れ一枚で、生きている世界を忘れないように理性を保っている辺り、ああもうまっさらな自分には戻れないんだと噛み締める。そもそもまっさらな時なんてあっただろうか、と、記憶を探ろうとしたけれど、彼女や仲間達に出会う前のオレがロクな人生を送ってきていない事が一番最初に思い出されて止めた。ただでさえ、息苦しいのに、追い詰めて、どうする。

首を捻り、頬を押し当てていると、波打つ鼓動がより強く感じられた。一つ打たれる度に、肩が上下する。呼吸の穏やかさがベッド下を埋め尽くして行った。一定のリズムを刻んでいるけれど、いつ止まってもおかしくないのだなあと終わりばかり意識してしまう。それに、この歪な音楽を無理矢理止める事だって出来ない訳ではない。ネットでだって本でだって、どうやったら、この乱れ切った旋律を壊せるのか、その方法を明らかにしている。非常に恐ろしい世の中だ。一番恐ろしいのは、そんな世界のメディアの真ん中に立って、笑っているオレ自身かもしれないけれど。

生まれてきた意味を、見出せないから、子宮の中に近い、窮屈な場所を選んでもう一度生まれ直そうと試みているのかもしれない。何度も何度も、失敗してもめげずにこうやって、産道を通らずに舞い戻る。だから、こんなに安心するのか。神宮寺レンに、ならなくていいから。精子と卵子が出会ったばかりの、名もない存在になれるから。

両親の温もりを知らないせいか、良心が痛むとはどういった状態なのか、未だに理解出来ずにいた。盗みをしてはいけない、人を殺してはいけない、基本的な倫理は自然と脳内に刻まれている。人には誠実でいなければならない、好きな人はひとりだけ。そう、この辺りがあやふやだ。愉悦を味わいたいのであれば、多少の虚は必要とされる。夜のネオン街を見ればわかるだろう。本来の姿のまま繰り出す人間はいない。自分を辞めたくて仕方ないのだから、装飾品に囲まれていればそれでいい。夜の街でプライドが高いせいで見栄を張って破産する、なんてよくある話だ。必死に守ろうとするのは嘘ばかりで辟易とする。

それから、愛をくれる人は多い方がいい。いつ裏切られてもいいように。永遠なんてありはしなし、不変的な愛情も存在しない。毎日、屍が生まれるのと同様に、愛もまた、継続しない。質が悪いな、腐るまでの期間なんてなくて、即日使えなくなる。三年周期で飽きが来るなんて流行じゃああるまいし、あらゆる愛と知り合った方がいいに決まっている。

父親は、どんな人、だったのだろう。プライドはきっと高かったに違いない。何故って、オレがそうだからだ。決して一人きりではないのに、何もかもを跳ね退けて、蹲る。母親の死を受け入れられない、ちっぽけな人だった。愛する人の死をきっかけに狂っていく自身が許せなかった。隠し通そうとしてきた、弱点が露呈するのを恐れて、オレすらも拒絶したんだ。

容姿が、似ていたね。悪かったよ。見たくもない現実を突き付けられてしまって困惑したんだろう。絶望したんだろう。アナタに似て、生まれなくて悪かった。もっと厳格な、男らしい顔つきで、兄さん達のように神宮寺の名にふさわしい、三男だとしても無下にされないヤツになれるものならなりたかった。どんなに、どんなに羨ましかったか、兄さん達も、アナタも、見当がつかないんだろうね。オレは、いらないと、教え込まれたよ。メイドも執事も、ゴミを見るみたいな目で見るんだ。それから小声で、ひそひそ、ロクでもない事を言う。ジョージが外に連れ出してくれるのは、渦巻く憎悪から逃がすためだったんだ。アイツは社会勉強がどうのとか言っていたが、そうじゃないなんて事、すぐにわかったよ。あまりにも背負うものが大き過ぎた。

かと言って母親を恨んだりしていない。何故って、オレが目にした事のある彼女は、いつだって弾けんばかりの笑顔だからだ。ライブで、写真集で、プロモーションビデオで、雑誌で、笑っていないものがない。アイドルだから、の一言で片付けられない眩さがある。愛されて、謳歌していたのだ、人生を。父親も、そんな彼女にどうしようもなく惹かれて、結ばれたのだろう。彼女は、嘘なんてつきそうにないし、父親の弱さだって包み込んでいたんだ。あの小さな身体で、精一杯、生きていたから。

勝手に目頭が熱くなってきて、フローリングに入った線へと染み込む。傷口へ塩水を流し込んでどうするんだろう。羊水で満たしてくれ。どうせなら。ぷかりと身体の力を抜いて浮かびたい。

神宮寺。この名前がある限り、完全な自由は手に入れる事ができない。アイドルとしてデビューする時、棄てられたらどんなに良かっただろう。叶わない願いだった。広告塔として、見張られている。笑いなさい、それしか出来ないのだから。歌いなさい、それしか出来ないのだから。幻聴が聞こえる。またあの、耳打ちされている罵詈雑言をオレに投げかけるのか、そうか。
レン。母親の名前の読みから取ったのか。思い入れを残して、消えて行った魂を、慰めようとでも?ここでも嫌悪感が襲ってくる。どうしたら彼女のように生きられるのか、考えても考えても、答えが出ない。そうしたらやはり環境のせいにしてしまって、最終的に彼女を悪者にしてしまいそうになる。オレは、彼女を、愛しているから、避けたい、それだけは。

鼻水すらも垂れて、水気を帯びた顔面を、紙粘土としてぐにゃりと曲げて、まったく違う顔にしたい。両親を憎みたくない。愛したい。愛されたい。聖川は贅沢だ、あんなにも寵愛を受けて何が不満なのか。イッキは狡い、親がいなくてもあんなに実直ないい子だ。イッチーが羨ましい、手塩を掛けて育てて貰って。シノミーは案外オレに近いけれど、砂月がいるから決定的に違う。おチビちゃん代わってくれ、兄弟想いの身内が欲しい。ないものねだりしか出来ないのか。そうだ。手に入れる努力はしたか。してもどうにもならなかったんだよわかってくれ。

こんなにも、
もとめられることは、
もとめることは、
わらってもらうことは、
ないてもらうことは、
おこってもらうことは、
たのしんでもらうことは、
だれかをたいせつにすることは、
じぶんをたいせつにすることは、
だれかをまもることは、
じぶんをまもることは、
きずをいやすことは、
かぞくでいることは、
そばにいることは、
あいされることは、
あいすることは、
いきることは。

もう、いいと思っても、しょうがない。色々な事が、複雑に絡み過ぎて、ベッド下から、もう動けなくなっている。このまま、食事をしないで、睡眠をとらないで、内緒でいなくなろう。それがいい。迷惑はかけない。オレはオレを、このまま、黙殺するのが一番だ。

さようならは言わないよ、何も痕跡を残したくないんだ。多分、去り際が静かなら、心に波風を立てずに、その波が悲しみへと届く前に、風化出来るだろうから。いいじゃないか。地球上にどれだけの人間が生息していると思うんだい。たった一人消えても、下手をすれば見つかることすらないんだ。瞼を下ろす。やってくる暗闇。心地いいな。元々真っ黒だったから、一体化できて、皮膚も肉も細胞も骨も悦んでいるよ。ゆっくりゆっくり、そう、溶けてなくなる。

「また性懲りもなく、そうやっていなくなろうとすんのか、こら」

灯りの点く部屋、見えた靴下とスーツのズボンの裾、顔が見えないのに誰かわかる声。どうして。どうしてわかるんだろう。オレが、どうしようもなく消えたいと思う時。

連絡がマメじゃない、オレの嫌いなチョコレートを食べさせようとしたりする、仕事の話がとても多い、たまに違う話題かと思えばレディの話をオレの前で平気でする、白髪だって生えてきた、枕から変な匂いする、不精ひげでほっぺたを攻撃してくる、洗濯物は分けて欲しいのに一緒に回す、印刷物をまとめる時に端が揃っていないと不機嫌、日曜日の朝の特撮の録画を勝手に消したら怒鳴る、バイクの事になると冷静さを失って喚く、不良物のマンガをゴリ押ししてくる、せっかくお揃いで買ったシャツは変な柄、そんな人なのに。
ただいまって言ったらおかえりって迎えてくれる、ダンスが上手く踊れたら背中を撫でてくれる、演技が上手くいったらどんなに会えない日が続いても予定が合ったら焼き肉屋さん、お笑い芸人の好みが似ているからクッションを抱えて人とは少し違う所で笑う、でも動物ものと家族ものは泣いてしまうからあまり見ない、ラーメンの麺の固さで喧嘩する、仲直りはオレンジジュース、仕事について朝まで語り明かす、やる気が出ない時はお互いの頭をはたく、笑ってくれたら嬉しい、泣いていたら悲しい、オレの成功を自分のことみたいに喜んでくれる、オレの失敗を真剣に受け止めてくれる、そんな人でもある。

いつだって救ってくれるのは、日向龍也、だ。

「きったねえ顔」
「う……うう……」
「俺がいるのにいなくなんのか、レン」

オレはどれだけ馬鹿なんだろうか。優しく此方を覗き込むこの人を、一瞬でも、存在しないかのように扱ったなんて。涙が溢れて、子供のように泣きじゃくる。その間にずるずると引き摺られて、捲くり上がるワイシャツを、丁寧に直してくれるものだから、余計に嗚咽が漏れる。こんなオレは、放っておいていいのに。それすら出来ないなんて可哀想だ。手を煩わせて、面倒を掛けて、なんで。見捨てずに、救いあげて、掬いあげてくれるんだろう。

「ごめ、いなくならな、う、う……」
「なーくーなーよ。明日ドラマの撮影と雑誌のグラビアもあんだろうが」

ティッシュをぐりぐりと押し付けられたら、甘かった。この間。普通のボックスティッシュで鼻をかんだら、ざりざりして嫌だって言ったのを、覚えていてくれたんだ。自分の家の生活品でもないのに、こうやって気を配ってくれる。この愛だ。

抱き寄せられてしまう。汚れちゃうよ、と言ったら、もっと強く抱き締められた。思えば、そうだ、小さい頃はこうやって抱き締めて欲しいと言えなかった。何をしても言ってもやっても、迷惑しかかけられないんだと、ロボットに嘆いていた。身体を擦り寄せても、彼は動いたりしなかったのでそれがまた、幼心を食い破る。
目の前の男は違う。息をしている。熱がある。オレを見ている。オレに触れている。背中に回された腕にだって、顔を押し付けている肩にだって、支えてくれている足だって、血が通っているんだ。生きている。死にたがりなオレを生かすのは、母親に似て鼓動を楽しそうに打ち鳴らすこの男だけだ。

「ガキはガキらしくしてろ」
「もうずぐはだぢだよ」
「ぶはっ!声、酒焼けみたいになってんじゃねえか」
「わらいずぎ」

どくん、どくん、と身体に心臓が二つある感覚に陥る。左胸だけではなくて、右胸にも、命を感じて。だから人は抱き合うのかと再認識する。オレは特に、すぐに忘れてしまうから、よく覚えておかないといけない。きっと、先に、いなくなってしまうから。悲観的に考えている訳ではなくて、順当に考えたらそうなる。それにこの人の鼓動は、今まで関係を持ってきたどんな人間よりも早い。もしも、ああ、自惚れてもいいのだろうか、違ったら恥ずかしいから聞かない方がいいのかもしれない。

「心臓ばっくんばっくんしてるな」
「リューヤさんでしょ、それは」
「好きな奴抱き締めてりゃあ、誰だってそうなるだろ」
「好きなの」
「は」
「オレのこと、好きなの」

鼻を啜ってから、聞いてみる。今日はテレビも何も点いていないから、言い逃れは無理だ。付き合いだして、そろそろ二年半になる。記念日とセックスの時しか、愛してるって言ってくれないんだ。滅多に自分の気持ちを吐露しない。大人は狡猾だけれど、子供は純粋だからね。

「お前ね、俺が仕事人間だって知ってんだろ。そりゃあ可愛い教え子のためなら多少の苦労は厭わねぇって思うが、完全に私情だ、これは。俺の恋人はまだまだ未熟だからな、すぐ不安になるし、可愛げねぇ事言うし、モテないって俺の事馬鹿にするし、たまに本気で殴りたくなるんだが」

一旦、言葉が切れる。大人しく聞いていたオレの視界いっぱいに、世界一、いや、宇宙一愛しい人の顔が広がった。ぶつかった目線はどこまでも真摯で、上唇を軽く噛む歯がいやらしくて、薄く血が滲む内側を擽っていく舌を追いかけようとしたらまた笑われる。

「そんなもん気にならねぇくらい、可愛いし、愛しい。心の弱いお前が好きだぞ。だから、無理すんな。消えたいって思ったら俺に好きって言いに来い。欲しがってるもん全部やるから」

一際大きく心臓が歌う。こんなに大きなときめきを与え続けられたら、床にくっついていた時一定だったものが、不協和音になったってオレは絶対悪くない。下腹部からこみ上げて来る気持ちに、せっかく引っ込んだ涙を呼び戻してしまった。

このひとといきていこうと、きめたのです。

END



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