「は…るか、せんぱ…」

耳の奥まで響く、細胞そのものに絡み付くような粘膜の水音。ここはプールではないのに。塩素の匂いと、ウォールタイマーの針の動きが、脳裏をよぎった。合間に聞こえるか細い声が、普段の歯切れ良い口調とは程遠く儚げだ。
誰かのために使われた事などない、窮屈な孔は、収縮している。遙の指を飲み込んだまま。排泄器官を曝け出すなんて、と、躊躇っていた怜の顔を思い出す。いつだって、決断を迫られた時には、清く正しく美しい選択だけをしてきた彼の。戸惑いを愛しく感じてしまうのはいた仕方ない。高揚を感じてしまえば、欲望に直結して早まるばかりの愛撫に、二人しかいない寝室の空気は更に濃厚になる。うねる肉壁は、運動部として努力した証、とでも言いたげに良く締まった。本人の、意志とは、合致しているかどうかは別として。

しなやかな筋肉のついた全身は、それこそ繭から飛び出し生まれ変わる直前の蝶に似ていた。まだ、伸ばし切れない、両羽。シーツにしがみついて、荒く呼吸を繰り返し、上下する胸には、何が秘められているのだろう。
恐怖だろうか。歓喜だろうか。読み違えてしまえば、この関係が壊れてしまうかもしれない、と、遙は危惧した、が。怜が、今まで一度だって反抗などしてきただろうか、と、思い返し、該当する出来事が見当たらなかったので続行する。
おかしいくらい、彼は自分を崇拝しているのだなぁ、と再確認した。好意を向けられ続けて、一種の宗教的愛情を感じる。それならば、己が彼の全てを略奪した所で、何も問題はないだろう。

「ごめ、なさ、」

予期していなかった謝罪に、思考も行動も静止して顔を上げた。なぜ。何に対する。男同士と言う壁に今更ながらぶつかってしまったのだろうか。ターンをする、あの、不安定に体を捻る瞬間のように。それとも、神と禁忌を冒したくないのだろうか。愚かだ。愚かで、可哀想だ。遙自身は罪悪感などとうの昔に捨てていた。怜と共にあるのだから。愛する人のそばにいるのだから。

手入れがされている訳でもないのに艶艶とした睫毛が、青年の初恋を激励しているのか瞬きの度に揺れる。加工されたアメジストを思わせる、透明度が高く穢れを知らない瞳から、ひとしずく、固まっていない宝石の欠片が溢れ出る。世界一美しい光景だと、遙は思った。彼の瞳の中で自由に泳ぎ回りたいとさえ。なかに、とにかく、かれのなかにはいりたい。ひとつに、なりたい。下腹部からせり上がる願望は、叶うのだろうか。

嗚呼、勿体無い。

優しい言葉もろくに掛けずに、随分と熱を持った舌で、その欠片を拾い上げる。そんな些細な動きにすら、怜はどうしたらいいかわからないのか、再び謝罪を口にした。

口内には、温かな、生命が生まれる海の味が広がる。自分達は種を残す事が不可能だと言うのに。




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