奇妙な女子

≪家康視点≫

『二人ともそこで気を付け』

識殿と言う名の女性にかなり冷えた声音でそう言われ、ワシと三成は思わず言うとおりにしていた。

お、怒らせてしまったのだろうか……。
いや、当然怒っているに違いない。

先ほどまでワシらの暴れていた部屋は本当にひどい有様で、もはや見る影もなかった。

たとえ殴られても文句は言えまい。
でも、殴られたらきっと痛いだろうな。

あっさりと三成を投げ飛ばした彼女の腕力は測るべくもないが、もし殴られたら……と考えると身震いせずにはいられない。

彼女はワシらを前にして、黙っている。
その後ろで刑部や政宗たちがニヤニヤ笑いながら見ていることに気づいてワシは思わず顔を顰めた。

その時、何時の間に割れた皿で切りでもしたのか、腕から血が流れているのに気がつく。

すると、識殿が顔色を変えて何処かに駆け出した。
あまりにとっさの動きに片倉殿も猿飛も抑えることができなかったらしく、慌てている。

ところが、彼女はすぐに戻って来た。
小脇に何やら白い箱を抱えている。

『すみませんが、徳川様。
 治療をいたしますのでじっとしていてくださいね』

そう言って彼女は箱を開けていくつかのギヤマンの瓶と、普通の綿と平たく形の整えられた綿、そして包帯と網のようなものを取り出した。
全く用途の分からない物の数々に、誰もが怪訝そうな顔をする。

識殿は、銀色の箸のような道具で綿を摘み上げると、瓶の一つに浸した。
消毒……と書いてあるが、ワシ自身、毒を盛られた覚えはない。

『腕、少し沁みますが、失礼します』

そう断りを入れて、彼女は濡らした綿をワシの腕に押し当てた。
瞬間、

「ぃッ……つ、……」

傷口のあたりに刺すような痛みが走る。
しかも、一瞬ではなく、ジクジクと襲ってくるのだからたまらない。

しかし、彼女は苦悶するワシの様子などには目もくれず、平たい綿を傷口にあてて白っぽい紙ではりつけると、その上から包帯を一重に巻き、網をかぶせた。

『お待たせいたしました。
 動かす分には問題ございませんが、ガーゼ――平らな綿がずれたり、傷口が開いたりしたときには、私に声をかけてください』

識殿はそう言って頭を下げた。

次いで、三成の方へ向き、少し頭の方失礼します……と後頭部を探る。
そして、一瞬だけ顔を顰めると、またどこかへ駆け出そうとした。

しかし、次は猿飛に阻まれてしまい、不服そうに唇を尖らせる。

『氷を取りたいのです。
 石田様が打撲されておりますので……』

申し訳なさそうに言う識殿を、猿飛は、鼻で笑う。

「氷?こんな暑いのに何処にあるっての?」

すると識殿はむっとしたような表情になった。

『奥にあります、台所……じゃなくて、厨の冷蔵庫……えぇと……貯蔵庫の中に』

「俺様が取るけど?
 どの棚のどのあたり?」

『白いつるりとした箱の、小さな引き出しです。
 持ってくるときは、隣の棚から無事な皿を出して、それに入れてきてください』

そう言われ、猿飛はどこか面倒くさそうに奥へ向かう。
ひょいひょいと器用に割れた皿を避けながら目的の棚までたどりついた猿飛は、彼女の言った通り、小さな引き出しを開ける。

ガラリと音を立てて開いたその中身を見て、うぉっ、と猿飛が奇妙な声をあげた。

なんだなんだ、と見ていると、大ぶりなサイコロほどある玻璃のような透明な塊をごろごろと皿に盛った。
持ってきたそれには微かに靄がかかっているようで、一粒もらって、恐る恐る摘み上げてみると、確かに冷たい。

「Oh!確かにこりゃあiceだな!」

「このように暑いにも関わらず、斯様な氷が作れるとは……」

「ちべたいでござるぅぅぅううううう!!!!!」

大騒ぎする面々にお構いなしに、識殿は四角い氷を次々と透明な薄い袋に入れ、口を縛った。
そして、それに毛羽の立った見たことも無い素材の布にくるむと、三成に差し出す。

『どうぞ石田様。これ痛む場所に当てがって、冷やしてください。
 そうすれば痛みもいくらか引くでしょう』

三成は困惑したように、差し出されたもの(氷ともなればかなり高価なはずだ……)と識殿の顔を見比べていたが、珍しく素直に受け取って頭に当てていた。
やはり、ひどくぶつけでもしていたのだろう。

『さて、これでもう大丈夫か……』

そうつぶやいた識殿からは怒っているような気配は感じられない。

ワシらを怒るつもりじゃなかったのか……そんなことを考えたが、言い出す気にはなれなかった。

けれども、本当に識殿は奇妙な女子だ。
随分と大きいらしい屋敷に独りで住んでいるようで、そして、見ず知らずの男に治療なんかして、高価だろう氷まで与えてくれる。

目的も何も無しに何かを与えることの出来る彼女が、少しだけ羨ましいと思った。


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