第三話 帰還
『……?』
確認してみると、差出人には"宝条 三日月"の文字。
"宝条 三日月"と言えば、生物学者たちの間でも悪名高い人物だ。
弱冠12歳にして――父親である宝条博士のコネのおかげというのは有名な話だが――生化学研究所にはいり、様々な生体兵器を開発した天才だ。
しかし、そのほとんどが人間に改造を施したものであり――ちなみに彼女の父親、宝条博士も改造人間兵器で著名な人物であった――、人道的な観点から迫害され、ほどなくして親子ともども姿を消したといわれているが……。
実を言うと、識はその行方を知っている。
そんな彼女からのメールになんとなく嫌な予感がした。
『アイツ……何の用だ?』
少しの警戒心を持ちながらメールを開く。
だが、内容は本当にシンプルなもので、
「君のメンテナンスがしたい」
そして、数行空けて、
「"傷物の青"が寂しがっている」
その二文のみだった。
うまく意図が掴めず、しばらく画面と睨めっこを続けてみたが、やはり文字通りの意味しか読み取れなかった。
『仕方ない……久しぶりに帰るか……"楽園"に』
そうつぶやき、識はただでさえ少ない荷物を片付け始めた。
識の所属する生化学研究所の一角に、職員の中でもごく限られた者にしか通れない通路があった。
一見すれば、それといって特徴の無いコンクリートの掘立小屋に、赤錆の浮いた金属製の扉。
電力動力室、あるいはボイラー室と書かれていてもおかしくなさそうなそれには"関係者以外立ち入り禁止"の文字。
識は扉に手を当てた。
すると、赤錆の浮いたそれは瞬く間に、白くのっぺりとした新品のそれに姿を変えた。
続いて、そのなめらかな表面に光が、幾何学的な模様を描いて走ると、軋み一つ立てず、扉が内向きに開いた。
中は、一言で言うならば、純白だ。
外の埃っぽい薄闇とは違う、照明のふんだんに使われた、清潔で明るい空間。
そこに伸びる階段へ、識は足を踏み入れた。
――カツーン、カツーン……
靴音が反響するその通路に扉は見当たらない。
ただただ、単調な景色と閉塞感しかないそこは、病院の廊下を思わせた。
普通の病院ではなく、精神病院の病室のある棟の廊下を。
やがて純白の廊下は終わりを迎え、またもや白くのっぺりとした扉が姿を現した。
その扉も、識が手を当てれば、光が幾何学模様を描いたのちに内向きに開いた。
次に足を踏み入れた場所は、先ほどの廊下とは違い、開放感にあふれている。
何もかもが白く冴えわたり、そのくせ、ひどく穏やかな空気に包まれた空間。
例えるならば……そう、宇宙港のロビーが一番雰囲気が近いかもしれない。
まっすぐに歩く識の足元に、巨大な魚影が落ちた。
眩しい照明に目を細めつつ見上げた識の目に映ったのは、サメだ。
かつて地球表面の約七割を占めていたという青い海ではなく、中空の電磁波の織り成す海を泳ぐサメ。
これを"楽園"の"最高権力者"である"神(プロフェッサー)"は、"楽園を守る智天使"と言ったか……。
どうやら識を敵と認識しているわけではないらしく、悠々と高い天井付近を泳ぎ回っていた。
そうして、ロビーの中ほどまで来たところで、どこからともなく声がした。
「久しぶりだな、シキ。
宇宙への旅を前に、焦げつきを削ぎ落としにきたのかね?」
恐らくジョークのつもりで言っているのだろう、笑いを含んだからかう声に、識は眉間にしわを寄せた。
『お言葉ですが、"神(プロフェッサー)"……』
と言葉を続けようとすると、苦笑交じりに、すまない、と言う声が聞こえた。
「君はそういう人間だったね。
冗談があまり通じない……真面目な日本人であるが故かな」
そういうわけでもありませんが……、という言葉を飲み込み、識は彼の言葉に耳を傾ける。
「長期の任務を前にメンテナンスと、戦闘を想定して"能力"の使用許可を取りに来たのだろう?」
"神(プロフェッサー)"の質問に、向こうからは見えないだろうことを知りつつ、識は素直にうなずいた。
だが、"神(プロフェッサー)"は、よろしい、と出来のいい生徒を褒める教師のように言った。
「君の"能力"に対する許可は……そうだね……君がそれを使うことで戦況をどう変え、そして、それを目の当りにした異星人を含む人々がどう対応してくるのか……。
それをよく考えなさい。
その限りにおいては、この施設の全設備の使用、そして、"楽園"の外で"能力"を使うことを許可しよう」
その言葉を、識は真摯に受け止め、深々と頭を下げた。
『ありがとうございます』
「ああ、是非とも顔を合わせて話がしたい。
メンテナンスが終わったら連絡をしなさい。
"九月の森(セプテンバーフォレスト)"でお茶でもしようじゃないか」
『はい、慎んでお受けいたします』
そうして識はロックの解除された扉へ踏み込んで行った。
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