第一話 辞令

『死んだ方がいい』

識は声にならない声で呟いた。
目の前にいる上司に聞かせるつもりもないただのつぶやき。

窓の外では埃っぽい地下の薄闇に電気自動車のライトとネオンが流れている。

『死んだ方がいい』

どことなく疲れ切った雰囲気の地下街から聞こえてくるような気がする雑音。
その言葉を口にするだけで肩にのしかかる何か重いものが少しだけ軽くなる気がする。

「何か言ったかね?八尋くん」

尋ねきた上司に、識は頭を振った。

『何でもありません。所長。
 どうぞ話を続けてください』

それじゃあ、続けさせてもらおうか。
そう言って上司――生化学研究所の所長である男は手を組み直す。

「君も知っての通り、憎むべき異星人・ガミラスの攻撃が過激化している。
 そのため、国連宇宙軍によるマル秘作戦が行われることが決定した。
 それは知っているね?」

『ええ、確か、人類を他惑星に移送することで地球人という種の保全を図る
……確か、"イズモ計画"といいましたか』

「そう。
 それで、君にも声がかかっている」

『は?』

予想外な言葉に識は怪訝そうにかえした。

すると上司は口元をひん曲げ、詳細を添えて繰り返す。

「だから、君にも、その作戦への参加が求められている。
 君は確か日本の中央病院に勤務しておられる佐渡医師をご存知だろう?」

『もちろん、知っていますが』

確かに医師である佐渡 酒造にはお世話になったことはあった。
もっとも、診察室に猫はいるわ、当人は勤務時間にもかかわらず酒飲んでばかりだわという状況に度肝を抜かれたものだが……。

「彼の推薦だそうだ。
 何しろ、自分の助手は君しかいないとかで、医官としての参加を期待しているそうだ」

『……そうですか』

どこか気の抜けた返事をして識は上司を見つめた。

確かに、識は医師免許と薬剤師免許とを両方持っているが、正直、それが何の役に立つというのだろう?

『(まぁ、"能力"の行使が許可されれば、まだ役に立つのだろうけど……)』

思考の海に沈みかけた識の様子を見かねてか、上司がオホン、と咳払いする。

「あー、えっと、その、だね……君も自分の研究が心配なのだろうが、一応、製品化も軌道に乗ってきたわけだし、これは地球を救う重大な試みでもある。
 私としても、大事な部下の一人を失うのは非常に心苦しいのだが、まぁ、あれだ、気にせず行ってきてほしい。
 我々のような研究畑の人間がそういった任務に携わることができるのは非常に栄えあることではないか。
 所長である私としても、鼻が高いよ」

長々とご高説を賜ったのだが、識としては、最後の一言"だけ"が本音だろうという気がしてならない。

上司は席から立ち上がり、識の前に立った。

「期待してるよ。
 地球のために、頑張ってくれたまえ」

尊大な態度で上司は識の肩を叩く。

『(地球のために……ね)』

叩かれたところを中心にジワリと広がった不快感に識は顔を顰めた。

『(だいたい言動からして、この人分かっていないだろうな……)』

脂ぎった顔に笑みを浮かべる上司を見ながら識は思った。

『(自身が口にしている言葉の重みさえも、恐らくは……)』

しかし、そんなことはおくびにも出さず、上司の激励に対して、簡単に礼を述べ、識は部屋を後にした。

『(全くもって、無能な所長の部屋は息が詰まってしょうがない……)』

識は所長室の前で伸びをした。

『(たったドア一枚で隔てられただけにもかかわらず、こんなにも開放感が違うとは……)』

妙なところで感心しつつ、識は自分の部署に向かって白い廊下に白衣を翻らせた。

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