第十八話 跳躍のち昏倒

1時間もせずに佐渡はブリーフィングから戻って来た。

説明の内容を要約するならば、この艦は
「とにかく速く飛ぶ」ことのできるワープ機能と
「艦自体が大きな大砲になる」波動砲という兵器が搭載されており、
これらの機能は誰も使ったことのないのでこれから――01:30にテストを開始するのだという。
ただしワープテストの際は何が起こるか分からないので全員、船外服――簡易的とはいえ生命維持装置や推進機構のついた宇宙服だ。これを着ていれば72時間くらいは船外に放り出されても活動できるだろう。――を着用して臨むようにとのこと。

随分ざっくりまとめたな……というのが識の率直な意見だ。
ワープ自体そう単純な理論で語れるものではないし、
波動砲の方もかなり完成された兵器だ。
――とはいえ、これは"楽園"でプロフェッサーが口にしたことなので識にはすごいものだ、というぼんやりとした印象しかわかっていないのだけれど。

しかしながら実際に作った側である技術科からすれば腹立たしい、あるいは歯がゆい思いをしただろうという想像は容易に出来た。

いつの時代も"使う"側の人間は"作る"側の人間の苦労を知らないものだ。
薬品でも機械でもそれは同じことだろう。


腕時計を確認すれば23:30を少し回ったくらいの時間帯。
テスト開始までは2時間。

「さて、そんなことは起こらんとは思うが、器具が散らばらんように固定せんとな」

佐渡の言葉に識は頷いた。
診察室にしろ手術室にしろ、人体を容易に傷つけ得る医療器具が多い。万が一これらの部屋で物が散らかれば片付けるのも補修するのも苦労することが予想される。
予見できる危険に備え、回避することも医療には大事な心得。
先手を打つに越したことはないだろう。

乗艦に際して利用したチェックシートを端末に呼び出すと、識らをはじめとする医療スタッフはそれぞれの持ち場に散開した。





そうして時刻は01:15を回った。
この時ばかりは不慮の事態に備えて休憩中の人員も呼び出され、それぞれの持ち場に船外服を着用して待機する。

識もまた支給された船外服に袖を通し、主な仕事場となる処方室窓口に面したデスクに座る。
宇宙開発初期に比べ、かなり薄型に改良されているとは言っても、気密性の高いもこもことした着心地にはまだ慣れない。
普段の仕事場で、場違いなものを着こんでいるという意識がその違和感を助長しているのだろう。

どうにかこの居心地の悪さから脱するべく、もぞもぞと身じろぎして、
識は端末に変身したままのケントニスに話しかけた。

――ワープってさ、"感覚"できると思う?

――なんでそんなことを考える。

どこか呆れた調子の"声"が電子の揺らぎとともに返って来る。
相も変わらず皮肉げな口調だ。
しかしケントニスは識の言葉を否定するだけには終わらずこうも続ける。

――理論的にはワープの際、ワームホールを通り抜ける時間が必要になる。
  つまり時間の経過はあるわけだから"観測"は可能だろう。
  だが、"感覚"しようにもほんの何千分の一秒の世界……難しいだろうな。

理路整然とした意見に、なるほど……、と呟く。
確かに、光を超える速さで空間の穴を通り抜けて移動するのだ。
ワームホール内に時間の概念が適応するかどうかも未知数であることだし、
人間の感覚で知覚することはきわめて難しいだろう。

だが、と識は視線を落とす。

自分には常人にはない能力があるのだ。
目に見えないものすら把握し、微弱な変化すらも逃さない能力が。
そう、"電子攪拌"。
その能力の一側面とも言うべき体感覚を何倍にも鋭くし、
周囲にある全ての物体を一瞬にして立体的に体感できる、指向性の電子的探知能力。
これを使えば常人の感知できない数千分の一秒の世界だって"感覚"出来る。

知らず知らずのうちに識の口角が上がる。

それを見たケントニスは、識の考えることがわかったのか、
馬鹿なことはしてくれるなよ、と言ったきり沈黙した。





――ワープテスト開始5分前。

そんなアナウンスと共に艦の加速が強まる。
いよいよワープを開始するようだ。

それに伴って、まるで離陸前の飛行機のような揺れが始まる。
薬棚に収められた瓶がカタカタと音を立て、
固定し、蓋を閉めたトレイの中でメスや鉗子が擦れ合って嫌な音を立てた。

――ワープテスト開始2分前。

揺れは艦の加速に伴って大きくなっているらしい。
棚の扉が歪むのではないかと心配になるほどガタガタと音を立て始めた。

少し不安になって部屋の中を見回せば、スタッフのうち数名が青い顔をしている。
しかし医療モジュールに設けられた畳張りの休憩スペースには相変わらず酒を飲んで騒ぐ佐渡の姿があるわけで……。
その横では原田が音楽を聞きながらなにやら鼻歌を歌っている。
驚くほどにいつも通りの二人である。

そんな彼らに感化されたのか、医療モジュール内の空気が和らいだような気がした。

この分なら心配はなさそうかな。
そう判断した識は目を閉じ、艦の様子を探るのに集中する。

艦の速度は実に30エスノットに達している。
なおも艦は加速を続け、33エスノット、36エスノット、
ワープまで秒読みになり、そして……、

『……壁?』

識は艦全体が何かに飲み込まれるのを感じた。
例えるなら、何か超えてはいけない壁に突き当たり、食い破るようなそんな感覚。
200年ほど前に提唱された説によれば、五次元空間から見た我々のいる四次元空間は膜のようになっていると言われているが、
その膜すら超えようとしているのだろうか?

だが識のその考えは、艦がその壁を超えたところで打ち破られた。
……否、その時点で思考することができなくなったという方が正しいだろう。


その瞬間に、時間が伸びきったゴムのように弛緩する。
ゼロコンマ何秒の世界が何分間、何時間、いや永劫ともいうべき長さに引き伸ばされ、

そんな時間の中で識は、  昇っているような

         落ちているような
                     右へ行くような
  左へ行くような
          前へ進むような
                         後ろへ引かれるような

     回転しているような
                止まっているような

とにかく自分の居場所も、存在さえもあやふやになったような不安と不快感。
それが永遠に続く拷問のように識の知覚をめちゃめちゃに揺さぶる。

しかし永遠のように思われたそれは、薄氷を踏み抜いたような、あるいはガラスを突き破ったような感覚と共に消散した。
それと同時に彼女の意識も、不快感を伴う遅延された時間の流れから解放され、
正常な時間の流れへと投げ出される。

けれどもあまりに唐突な切り替わりに識の頭が付いていけるわけもなく、
酩酊する本能の命じるままに脱力し、識はあっさりと意識を手放した。


――バタン。




―――――
2017/3/9

本編はここまで。

まさかの初ワープで倒れる識。
アニメの描写を参考にワープ中のシーンを書きましたが、
ワープ酔いが出ているところを見るに、あれかなりきつそうですね。
一瞬とはいえ気分が悪くなるほどなので、
もろに知覚してしまった識はSANチェックです。結果は気絶。
次回、ようやく真田さんと接点を持てそうです。

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