第六話 調整

奥の部屋に入ると、その中央部に巨大な機械が鎮座していた。
その形は、円環状の機械に囲まれた手術椅子のようだが、そこに乗せられた患者を照らすライトは見当たらない。
横には、バイタルを示す機械と、何かの薬品を溜めこんだタンク数本が並んでいる。

「メンテナンスを始めよう」

三日月が平坦な声で告げた。

その言葉に識は頷くと、身に着けていた衣服に手をかける。
そして、恥ずかしげもなく、全裸になり、機械の中央の椅子に横たわった。

三日月が手早く横の機械にコマンドを打ち込むと、円環状の機械から透明な壁がせり上がり、識の身体の上に弧を描いてカプセルを形成した。
足元にも壁はなめらかな曲線を描き、まるで卵のように識を包み込む。
ついで、密閉された空間に、液体が注入された。

「気分はどうだい、"焦げた注射器"」

三日月の問いに、識は口を開いたものの、意味の無い音声と、気泡が零れたのみだ。
肺へと流れ込む液体に、識は咳き込んでいたものの、やがては空気中にいるよりも穏やかな呼吸を始める。

「今日は新種のナノマシンを入れた。
 長年の使用により疲労した人工皮膚(ライタイト)の洗浄・修復だけでなく、もはや錆びついているだろう疑似重力素子(フロートディバイス)の修復まで出来る優れものだぞ」

謳うように言った三日月の声は、先ほどとは打って変わって楽しそうだ。

「もちろん、終わったら検査をしよう。
 後で"教授(プロフェッサー)"に会うのだろう。
 プールを使う許可を取ってほしい。
 私は訓練場(フィールド)の使用申請をしてくる」

そう言って三日月は、普段からは考えられないほど軽い足取りで部屋を出ていった。

『(全く……三日月は……)』

識はため息をつくと、感覚を確かめるように腕を動かした。
この液体は水よりも粘度が高いのか、少しばかり動きが重い。
三日月の言うナノマシンが動いているのだろう、体表面に微小な存在が取り付き、何かをしているようだ。

『(……それにしても、静かなところ……)』

持ち主の去った部屋に残されたのは、ほとんど駆動音のしない機械の群れとせせらぎの一つも響かせない液体。
現在、培養されている生物もいなければ、改造を施している被験体もいないらしく、部屋に反共する単調な電子音は、識の鼓動とシンクロするそれだけだ。

ふっ、と息をついて頭上を見上げた識の顔に薄青い影が落ちた。
クラゲが揺れるような気泡の向こうに佇んでいたのは青い蛙――ケントニスだった。
少し聞きたいのだが……、そう前置きしてケントニスは尋ねる。

「今まで、地球に固執していたお前が、どうして今回の任務を承服した?
 戦争は戦争屋の仕事だと言っていたのはお前だろう?」

脳裏――正確には、脳内に埋め込まれたチップ――から直接響く声に、識は、口を開くことなく、さあね、と返した。
初めは戸惑ったものだが、このタイプのコミュニケーション――有体に言えばテレパシーというやつだ――にも、随分慣れたもので……。

『どうも、予感、というか……そんなものが働いてさ。
 確かに戦闘の絡む任務かもしれないけど、あくまで私は一医療兵としての参加らしいから、戦争に参加するわけじゃないし、計画発動の理由が"ホモ=サピエンスという種の保全"だなんて、随分と素敵じゃないか。
 だからかな?』

だが、ケントニスはその答えには満足しなかった。
器用にも、顔を顰め、識を睨む。

「それは嘘だな、識。本心を答えろ」

識は肩をすくめた。
正直言って、これといった理由など初めからなかったからだ。
強いて言うならば、自分の職分に、自分の研究に疲れたから……それだけ。

答えない識の様子からだいたいの答えを察したのか、ケントニスは何も言わなかった。

場を、沈黙が支配する。

ややあって、ケントニスが再び口を開いた。

「お前は、"錆びた銃(ラスティポンプ)"をどう思う?」

『どう思うって……私はボイルドのことなんて、データでしか知らないよ』

"錆びた銃"……本名をディムズデイル=ボイルドといったその男は、識にも施された"疑似重力(フロート)"という技術を初めて装備した男だった。
元軍人であった彼は、戦争が終わった後に"楽園"にやってきたそうだ。
度重なる実験の結果、睡眠と感情を失い、虚無こそが至高、という思想に憑りつかれると、"事件屋"としてその武力を行使しつづけ、その挙句に、一人の少女の手で殺されたという。

彼は"十一月の森(ノヴェンバー・フォレスト)"に葬られており、"疑似重力"に対する識閾値や実験記録などのデータも残っているので、識もおおよそは知っていたが、実際に会ったことはなかった。

『あの人なら……バロットさんならもっとうまく答えられると思うけれど』

バロットの名前が出た瞬間、ケントニスが露骨に嫌な顔をした。

「私が知りたいのはお前の考えだ。
 彼は仮にも、お前のプロトタイプだろう?」

『それは彼女にも言えることだよ。
 何せ、私には"電子攪拌(スナーク)"もついてるわけだし……』

「あの人が亡くなる原因を作った女のことなど聞きたくもない」

ケントニスはそう言ってそっぽを向いた。

先ほどから話に出ているバロットというのは、識の尊敬する女性であり、ケントニスの毛嫌いしている女性だった。
ルーン=バロット。それが彼女の名前だ。
恐らく偽名だと思われるが、非常に哀しい名前だと識は思う。

彼女もまた、"楽園"の被造物――だが、正確には、"楽園"の外で能力を付与されたらしい……たしか、マルドゥック・スクランブル09(オーナイン)という法律によるものだったか――で、代謝性金属繊維(ライタイト)によって生み出される能力、"電子攪拌"の持ち主だった。
その正確な“感覚”と能力により、腕利きの"事件屋"として活動していた。

そんな彼女が"楽園"の中でも一目置かれる理由は二つある。

まず一つに、"錆びた銃"を打ち破ったということ。
彼女は、"事件屋"として、また、被害者として立ち会った事件をめぐってボイルドと争い、かなりの強者であった彼を撃破した。
この事実は、彼女の"電子攪拌"に対する識閾値が驚くべきほどに高いというデータの実証であり、"楽園"最高の被造物であることを現している。

そして、二つ目が、"金の卵"の最期のパートナーであったということ。
バロットとウフコックは、ある種の特殊な絆で結ばれていた。
ただの信頼関係や友情といったものではなく、愛、というべき絆で。
彼女は、ウフコックにとっての最高の使い手と認められ、濫用まで許されたという。
しかし、詳しい理由は分からないが、彼は自らガス室に入り、バロットに見守られながら息を引き取ったらしい。
それ以降はどちらも消息を絶ったため、結局のことは分からないが、おそらく、ウフコックの最期を看取って、バロットは自殺したという見解が濃厚だった。

ふむ……、と首を傾げ、頭の中にある、ディムズデイル=ボイルドについての情報をかき集める。
虚無主義的な思考、睡眠を忘れた身体、起伏の無い感情、身体に埋め込まれた異物(重力素子)の存在……そして、ケントニスがわざわざ、そのような質問をした理由。
すべてを鑑みた結果、弾き出された答えは……。

『私と、似ている……?』

いや、むしろ自分が近づいているのだろう……と識は考えた。
異物だらけの身体も、あまり振れ幅の無い感情も、どこか一線引いたような諦観したような態度も……。

改めてケントニスを見つめる。
黒々とした瞳が識を見つめ返した。

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